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2012-08-16

ダメ人間が幸せを期待することは愚かしいと自覚した夏

| 22:57 | ダメ人間が幸せを期待することは愚かしいと自覚した夏を含むブックマーク

濁り水 我が身凍らせ 春暖むゆ*1

なんか世の中に嫌気がさして、シャワーを浴びながら一句考えてみた。

この句の意味は端的にいうと「不幸な人間が自分より幸せな人間を助けて、さらに幸せにする。幸せにするために、我が身を削る」である。

自分に酔ってない?って言われそうだけど、親戚の頼みって断れないじゃん。記憶にないけど小さい頃お世話になったらしいし。


急に意味も近づいてきた知人には気をつけろ

詳しくは書かないけど、久々に親戚のおばちゃんが訪ねてきた。いろいろ雑談して、夏の間だけ家庭教師をすることになった。もちろん男である。もちろん無償である。

受験のために成績を上げたいならプロに頼んだほうがいい、と忠告したのだが、どうやらその子は非常に人見知りで塾に行くのを嫌がるらしい。過去の自分と似ているなと思って少し共感したのが愚かだったのかもしれない。押し切られる形であったが、承諾してしまった。

そして始まってみると、人見知りとは到底思えない少年で、バスケット大好き、友達たくさん、下手したら彼女もいる(恐くて訊けない)ほどの、いわゆるリア充だった。しかし、リア充というだけで手のひらを返すなど、喪男の名折れと思いそのまま続行することにした。

まず平均得点が30点台というひどい有様だったので、勉強に興味を持たせるよう雑学などネタを調べて話すことから始めた。基礎の大切さを教え、暗記方法を教え、予定と記録の大切さを教え、とにかく今まで俺が培ってきた勉強の方法を教えた。それらを全て効率よく教えるためにパソコンで資料を作成していたら(口で伝えるのは苦手なため)、睡眠不足になって膀胱炎になった。原因は疲労とストレスと思う。

資料を渡してみた感じではやる気が向上したように見えたので、安心していた。毎回やる小テストも良くなってきていたのでこれはいけるな、と思っていた。まだ終わってないのでなんとも言えないが。


長崎で育ったけど、原爆より嘘が嫌い

さて、ようやく軌道に乗ってきたとき、親戚のおばちゃんからメールがきた。内申点重視の学校に行くので内申点も上げて欲しい、とのこと。内申点は夏休みの自由研究とかレポートの質で決まるらしい。怒りを通り越して、気持ち悪くなった。人の醜さを見たようで気分が悪くなった。久々に胃が痛くなったけど、手元に胃潰瘍の薬はなかった。

なぜそれを最初に言わない?もう夏休みの数週間が過ぎているんだぞ?授業の仕方がまた変わるのをわかってないのか?ボランティアだからって、調子に乗ってないか?

ある程度信頼が出てきたから、このタイミングで切り出したのだろうか。確かにもはや断れない。しかし俺からの信用はガタ落ちだ。もはやゼロである。次に頼まれても絶対に引き受けない。大人ならその程度わかるはずだ。つまり俺は最初から切り捨ての家庭教師マシーンだったのだ。

また、人見知りで塾にいけないというのも嘘だった。夏休み前まで塾に行っていたそうだ。塾の参考書が出てきてわかった。どうもその子自身は全く隠すつもりはないらしく、ぺらぺらしゃべってくれた。つまり全部親が嘘をついていたのだ。眩暈と吐き気に襲われたが、俺は半笑いしていた。

結局俺は利用されたのだ。塾の夏講座って高いからね。家庭教師になるともっと高いからね。節約したい気持ちはわかる。

でも俺はそれならそうと最初から言って欲しかった。嘘をついて俺を納得させようとした親戚のおばちゃんを非常に気持ち悪く思う。正直に言ってもたぶん俺は引き受けたと思うし。

なぜ大人は(俺も大人だが、ここでは利益のためなら他人を平気で蹴落とす人間を指す)、人を説得するとき嘘をつくのだろうか。説得しやすいという利点があるかもしれないが、バレたら信用問題である。ビジネスで信用を失うと、最悪取引中止になる。新入社員でも知っている。だが悲しいかな、これはボランティアであってビジネスではない。そんなこという権利はない。ボランティアやっている人ってすごいなぁと本気で思った。俺には一生できない(今回の件を除く)と思った。

上でも書いたように俺は切り捨て前提で頼まれていたのだ。

しかし子供には罪はない。家庭教師は続けようと思う。内申点対策も考えた。


お約束の追い討ち

家庭教師を引き受ける前、実は自律神経失調症っぽいものにかかって全身が謎の疲労に襲われていた。春先からずっとである。その対策として、7月から毎日20分以上の散歩を目標に実行していた。徐々に調子が良くなってきた矢先、親戚からの依頼があったのだ。多少余力が出てきた時期ということもあって、引き受けたのだ。

しかし家庭教師は思いのほか苦痛で、休みの日は体がだるくて(もはや痛かったが)いすに座ることもままならず、ほとんど横になってた。だが、一日一回の散歩だけは欠かすことはなかった。どんなにきつくても、ゆっくりでいいからと言い聞かせて、散歩に出かけた。そのうち体が順応して、あわよくば健康な体を手に入れようとしていた。

ここで事件が起こる。見る人からすれば取るに足らない出来事だ。だがそのせいで俺はどんなことがあってもやめないと誓っていた散歩をやめた。

前提として俺の家には庭があり、5メートルほどの細い道を通らないと外には出れない。道の両側には背の高い植物。田舎の古い庭である。そこには当然くもの巣が張られる。その対策として、いつも細い木の棒をもって、くもの巣を駆除しながら

通っていた。中々しっかりした木の棒で長さもちょうど良かった。毎回道を通り過ぎた後庭の出口において、帰りにまた使うというのを繰り返していた。

ある日、出口に置いていた木の棒がなくなっていた。庭の出口を出てもしばらく私道(数世帯共有)が続くから、盗まれるなんて考えていなかった。掃除で撤去されたのだろうか。薄暗い7時くらいの時間帯にそんなことするだろうか?ともかくなくなったのは事実で、野良犬なんていないし、野良猫が持っていくには少々大きすぎる木の棒だ。つまり人に盗まれたのだ。しかも私道である。関係ない人が入ってきて盗むとは考えにくい。近所の人間の犯行で間違いない。しかし近所には老人世帯しかない。老人をこんなことで叩き上げると、田舎では生きていけない。

また気持ちが悪くなった。

俺には木の棒を持つ権利すらないのか。その所有欲がいけなかったのか。そもそも散歩して健康になろうという欲がダメだったのか。


仏教ではこのような苦難をどうとらえるか

仏教入門の本を一通り読んでいたが、仏教ではこの世を苦しみに満ち溢れたものとし、「四苦」というものを定義し、そのうちの一つが病苦である。苦しみから解放されるには原因を取り除くものだが、仏教ではそのために欲を捨てよ、と教えている。入門書なので詳しく書かれていなかったが、健康欲を捨てろというのだろうか。確かに行き過ぎた健康欲はわかるが、俺の場合も行き過ぎているのだろうか。


諦めの心

結局、健康欲は諦めることにした。毎日苦しいけど、食事は取れるし、睡眠も出来る。散歩に行かなくとも、生きていける。リハビリするなど、貪欲だ。

もちろん我慢して散歩を続行することも出来たが、このように苦しいとき頑張りすぎてオーバーヒートして会社を休職したのだ。休職したときの状況とよく似ていたので、健康欲は諦めることにした。

俺は家庭教師のとき以外は引きこもることにした。

世の中は一歩出れば悪意だらけである。敵だらけである。無防備なうつ病患者が歩いていい環境じゃない。

他人は信用しないことにした。利用されて利用されて最後にはポイ捨てされるのに、他人と付き合うメリットなどあるのだろうか?俺に関しては、ない。

全ての言葉には裏があると思え。言葉も極力耳に入れるな。相手がしゃべろうとしたら逃げろ。言葉は毒だ。同じ土俵に上がるな。

つらい、つらいけど世の中つらいのがデフォなのだ。誰かに助けてもらおうと願うなんておかしいし、そもそも他の人より幸せになりたいとか思うことすら罪である。


蛇足

家庭教師はきっとうまくいくだろうし、親戚の子は志望校に合格するだろう。それだけの方法論を十分に教えた。モチベーションも高めてやった。アクシデントが起こらない限りいけるはずである。

そしてその子は自分より確実に豊かな高校生活を送り*2、実りある大学生活を送り、持ち前の明るさで良い企業にも就職できるだろう。俺なんぞ比べるのもアホらしいくらいに、幸せになるだろう。

しかし、耐えるのだ。

比べてはダメだ。たとえ自分が助けた相手が、自分よりはるかに幸せになっても妬んではいけない。

その相手が恩を仇で返しても、怒ってはいけない。それが現実では一般的なことだ。都合が悪ければ恩人をも切り捨てる。それが人間だ。

心を静めるのだ。

キリストだって裏切られているのだ。いわんや俺なんかをや、である。

*1:古典文法はテキトー。最後の「春暖むゆ」の使い方が怪しい。

*2:言い忘れたがその子は高身長小顔きれいな顔立ちお調子者という人気者の特徴を十分に持っている。実際学校でも人気者だと思う。