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2013-12-29

病気で怒りを覚える人へ

13:10 | 病気で怒りを覚える人へを含むブックマーク

うつ病またはその薬で怒りやすくなるという記事を地方の新聞でみつけた。オンライン版もあったのでリンクを張る:

医療・健康の新着ニュース|【西日本新聞】

薬の影響は大きいと思う。しかし、それだけではない。

改善のためのキーワードは、前回同様、「無力感」である。


何が怒りを招くのか

僕はそもそも、怒りっぽかった。特に、ルールを守らない大人に対して怒りっぽかった。年下の人間は許せるが、立派な(笑)社会人のくせに、ルールも守れない奴には怒りを覚えていた。しかし、手を出すことはなかった。自制心があった。

ところが、精神系の薬を飲んでからは、ルールを守らない、団塊世代やバブル世代の大人(以下、老害)には、かなり怒鳴りつけていた。タガが外れていた。

一回、やくざの下っ端みたいなのにからんでしまってかなりやばかった。襲ってきたらまずは相手の指を食いちぎろうと思っていたが、襲ってはこなかった。あそこで喧嘩になっていたら今頃牢屋だろう。僕は怒り出したら、暴走したエヴァより酷い。

そして怒りを爆発させたら、家に帰って酷く疲弊して、引きこもりになることもあった。外を歩けば老害がいるから、一歩出るのすら嫌だった。結果的に自分が一番損をしていた。

しかし、最近は薬を減らし、体の痛みも軽くなったので余裕が出てきた。体の痛みが人から余裕を奪う話はこちら:

人は体が痛いもしくは疲れがひどいと余裕がなくなる - Random Work To

上のエントリを書いたときは、体の痛みが怒りを招くと思っていた。しかし、それは根本の原因ではなかった。

また、薬のせいだと主張する人もいる。それは大いに考えられるが、薬を飲まない自分がいたとしても、その人は怒っていただろう。最初のリンクの記事の人のように、事後の考えに影響は出るかもしれないが。

怒りの根本原因は「無力感」である。

体が痛くて満足に人の役に立てない。うつ病などの病気のせいで、会社を休職・退職しているので社会に貢献できない。

この、自分に対する不満が、怒りとなっているのだ。

そのエネルギーたるや、想像を絶する。少なくとも、忙しくて仕方がない医者やカウンセラーにはわからないだろう。

よって、「薬のせいで怒りを覚える」というのは少しずれている考えである。薬を飲まなければならない状況こそが、もっとも怒りを招くのである。


とはいっても薬の飲みすぎは良くない

直接原因ではないが、やはり薬の影響は大きい。僕はサインバルタという薬を飲んでいたときが最高にやばかった。老害を皆殺しにしたいと本気で考えていた。年金問題も解決するし、一挙両得と本気で考えていた。馬鹿である。

という思考に至るほど、自分に合わない薬は合わない。サインバルタは約3ヶ月試してみたが、やはりダメだと判断して医者に提案してやめてもらった。

しかしサインバルタを減薬・断薬しても、怒りの思考回路は消えることはなかった。一度怒り回路へリンクされるとなかなか収まらないものである。


怒りを収める方法

たくさん提案すると覚えきれないので2点だけ。

まずは「テレビを見ないこと」。もちろん消しているテレビは見ていい。

例外は、『世界ふれあい街歩き』などのんびりしたものである。刺激の少ない、しかも身近でないものは良いと思う。海外旅行が身近な人、嫌な思い出がある人は見ないほうがいいかもしれない。最近は『世界猫歩き』もあるので嬉しい限りである。猫かわいいよ猫。

ともかく何か見るとしても、CMのうるさい民放は見るべきではない。CMこそ、人の心を刺激する最たるものである。そのために作られているから当たり前である。(精神系の)病人は近づかないほうがいい。

アニメや漫画も、鬱系のものは避けたほうがいい。僕はもうスポーツものか、日常ものしか見ていない。

次に、「夜は何もしない」ことである。夜というか、寝る前である。僕はたいてい部屋の明かりを落として、座禅か読書をしている。してるじゃん、って言われそうだが、目を覚ますようなことは何もしない、のである。特にモニターなど光刺激はできるだけ避けたほうがいい。座禅といっても音楽(アニメのBGM など歌詞のないもの)を聴いてたりするし、読書といっても4コマ漫画だったりする。

何もしない、というのは一番簡単なことであるが、現代社会を忙しく生きてきた我々には大変難しい。何かしていないと落ち着かない。夜寝る前に、タスクを一つ消化しようと考える。しかしそれでは疲れが蓄積する一方である。次の日の作業効率も落ちる。次の日も夜に仕事をすれば、また疲れがたまる。さらに次の日の作業効率が落ちていく。

我々はどうしても人間である。肉体という制限がある。ロボットでも幽霊でもない。頭脳も筋肉も疲弊する、人間である。それを忘れてはならない。

うつ病の人は、意外と夜に何かをしている。もちろん、仕事ではないと思うが(だとしたら改めたほうが良い)、ゲームなりチャットなりやっていることが多い。

不安で心細く焦燥感に駆られるのはわかるが、寝る前だけでも思い切って全て断ち切って、パソコンの電源は落として、スマホも机の引き出しに入れて、自分を止めてみることである。

「一日一止(いちにちいっし)」こういう言葉が仏教にはあるらしい。「善」ではなく「止」である。一日に一回、何もせず自分の活動を止めてみる。これは大変良い習慣である。何も座禅をしなくて良い。1分でも良い。ともかく、悩みや不安や、将来の目標でさえも、いったん忘れて、自分自身を「止めて」みるのである。やってみると頭がクリアになって、良い考えも浮かぶものである。時間がない現代人には、やはり寝る前がいいと思う。

夜にやろうと思っていた仕事は、次の日の早朝に一気にやってしまうのである。そう誓って、夜は何もせず、早く寝ることである。

「テレビを見ない」、「夜は何もしない(一日一止)」、この2点を守って、精神を安定してもらいたい。

自分に合わないな、と思った人はこちら:

『怒らない 禅の作法』

を読むと良い。このエントリのアドバイスもこれを元に、自分が実践しているものを書いた。興味がある人はどうぞ。


追記:実際に失礼な人に遭遇したら

これも先の本に紹介されていたことだが、大事だと思うので追記する。

世の中どうしても失礼な人はたくさんいる。ルールを守らない大人なんて腐るほどいる。絶滅させるのは不可能だ。よって、対策が必要である。

「蓮は泥より出でて泥に染まらず」

蓮は濁った泥の中でも、かならずきれいな花を立派に咲かせる。汚れた世の中でも(←ひどい)蓮の花のように、凛とたたずんで日々を送ろう、という教え。概略だけど。

男子は、家から一歩出れば7人の敵がいるといわれる。僕には確実にそれより多い気がするけど……、ともかくこの教えを玄関で唱えてから外出するようにしている。

この教えを覚えているときは、小さなことでは頭にくることはなくなった。まあ、大きなことが起こりそうな時間帯、場所は極力避けているのだが……。

柚 2013/12/30 20:37 すばらしい考え方だと思います!
『一日一止』良いですね!
私はテレビがあまり好きではないので、ニュースとアニメ位しか見てませんね(笑)

私も今はリセット中でプチ断食をして老廃物を排出中です!

いつもブログ楽しませて頂いてます!
来年もよろしくお願いいたしますm(__)m

ruisouruisou 2013/12/31 20:08 > 柚さん
いつもコメントありがとうございます。
病気で療養中といっても、厳しくするところは厳しくしていきたいですね。「一日一止」ぜひやってみてください。私は5回は止まってますがw
断食もいいですね。なんとなく清々しい気分になりますよね。しかし無理はなさらぬよう。

柚さんのコメント(他の人もですが)も楽しみにしてます。拙いブログですが、来年もよろしくお願いします。

2013-12-24

うつ病の 正体みたり 無力感

21:42 | うつ病の 正体みたり 無力感を含むブックマーク

おそらく、クソ真面目で大人しいくせに頑固者な人間は、今の日本ではうつ病になりやすい。実際、そういう人間がなりやすいと言われていた。最近は非定型うつ病が増えて、人格による分類がややこしくなったが、古いうつ病は少なくともそうだった。その古いうつ病の原因がおそらくわかった。


うつ病の 正体見たり 無力感

わかりやすく、そして覚えやすいように五・七・五の俳句にしてみた。*1

うつ病は真面目な人がなる。もちろん、真面目な人が全てなるわけではない。うつ病になった人が全て真面目なわけでもない。しかし、真面目で学生時代を通してきた人間は社会人になったらうつ病になりやすい。

なぜなら、社会人になったら、真面目だけではやっていけないし(周りに真面目じゃない人間がいるから)、よほど良い上司に恵まれないとうまく仕事すらもらえない。公務員や教育に力を入れている大企業は別だと思うが、ほとんどの人間は中小(零細)企業で働くことになり、真面目だけが取り柄で生きてきた自分を全否定されるだろう。

人事は愚かである。真面目な人間ほど貴重な財産などないはずである。なぜなら下手にサボらないし、裏切ることもない。プライベートで犯罪に手を染める心配も無い。これがどれほど貴重か、人事の人間はわかっていない。

しかし、真面目な人間は否定される。基本的に面白くないし、何を考えているかわからないからである。イケメンは許されるかもしれない。クールでかっこいいということになるから。イケメンくたばれ。

否定されるのはつらい。心臓が裂けそうになる。なぜか。

それは自分がいてもいなくても同じと思ってしまうからである。

この思考は、想像以上に自分を追い込む。危険だ。

20余年、自分なりに努力してきた。でも会社の人はいらないという。やめろとまでいう。ついには世の中に必要ないという。

これは間違いである。少なくとも、言われた人は、こんなことを他人に投げつけたクソ野郎よりは存在価値はある。

しかし、追い込まれているとき、人は周りが見えない。会社の中しか見えない。クソ野郎の声が、言葉がたまらなく怖い。

そして、自分が会社に、世の中に要らない人間だと信じ込むようになる。いわゆる無力感である。

事実、私がそうだった。

そして気分が落ち込み、集中力、意欲、食欲などすべて減退していく。何も出来なくなっていく。上司の言葉が現実になっていく。気分が停滞したままになる。これがうつ病である。

もちろん、否定の感情はすべてが上司などのクソ野郎からもたらされるものではない。何がきっかけかはわからない。テレビ番組かもしれないし、電車の宙吊り広告かもしれない。ラジオかもしれないし、ネットの掲示板、あるいはSNS かもしれない。

それらは、ひとつひとつは大したことはないかもしれない。しかし、自分が普段からかけられている言葉が鮮明によみがえって、ダメな自分を肯定してしまうと、その悪い感情を捨て去るのは難しい。そして無力感でいっぱいになって、完全にうつ病になってしまうのである。

一言にまとめると(一言でなく一句だが)

うつ病の 正体見たり 無力感

である。

そういう人のための処方箋

無力感こそがうつ病の正体である。自分がいてもいなくても同じ。社会で、日本で、地球上で、宇宙で、いらない存在だと思ってしまう。しかし、そこまで考えると宇宙レベルで必要な人間など一人もいないのだが……、まあやはり考えが狭くなっている人間はそこまで思い至らない。

無力感こそがうつ病の正体であるならば、無力でない自分を実感できれば良い。しかし無力であると同時に、無職である。力を発揮する場所が無い。休職している人も、同様の職場・部署で無力さを払拭するのは敷居が高い。仕事場で力を発揮するのは最初はやめたほうがいい。

そこで、私は人通りの少ない道路に落ちているゴミを拾った。最初は自分の散歩コースが汚れているのが気に食わなかったので、誰にも見られないように拾ったのだが、その日は腰が痛くなかった。

ゴミ拾いをしていつもより運動量は増えたはずなのに、腰に痛みはなかった。言い忘れたが、私のうつ病は腰にくる。負の感情が腰を痛くする。椅子に座るのも困難なときがあるくらいだ。その痛みが、ゴミ拾いでなくなっていった。

次に実家の手伝いをした。家族がなかなかしない場所を掃除した。もっと痛みが引いた。お菓子などのパッケージをハサミで細かく切ってゴミ袋に入る量を増やした。大したことではないのだが、家族はそれなりに喜んだ。痛みはどんどん減っていった。痛み止めを飲まなくてよくなった。

これらは、家族や環境に役立てたから、無力感を多少減らすことができたからではないだろうかと考えている。まだ詳しいことはわからない。しかし、みるみるうちに力が戻ってきている。

人の役に立つ、周りに人がいないなら自然の役に立つ、これを意識して何かやってみれば、回復の糸口になるかもしれない。

もっとも、私は子供のころから自然が好きで、自然に対して何かできないかよく考える子供だった。大人になって、個人でできる最強の自然保護活動はゴミ拾いだと思った。プラスチックやペットボトルなどの分解は森の微生物は苦手だ。人間が拾ってゴミとして捨てるのが一番良い。だから、プラスチックなどのゴミを拾うと、とても地球にいいことをした気分になる。個人の拾う量など、たかが知れている。しかし私の散歩コースからはゴミがなくなった。

それでいいのだ。まずは隗より始めよ、である。ちょっと違うか。またつまらぬものを拾ってしまった、のほうが良いか……(本当につまらないのだが)。

回復のためのキーワードは、人の、地球の役に立つである。別の言い方では、貢献、である。これで無力感が減らせるはずである。

うつ病の 正体見たり 無力感 力を戻すは 貢献せしとき

和歌のことはよくわからんけど、下の句つけて短歌にしてみた。とっさに作ったのでクオリティは低いが、覚えやすいはずである。日本語は五七五のリズムが一番覚えやすい気がする。

もちろん、まだ起き上がるのもしんどいって人は無理して動かないほうがいい。毎日の洗顔と歯磨きくらいを目標に頑張ってほしい。次第に、動けるようになるはずだから、そのとき、上の短歌を思い出して欲しい。

また、私はタイミングがよかったのもある。体と頭、あるいは心が回復の準備ができていた感じがする。そのとき、ちょうど貢献ができた。腰の痛みが引き、無力感が薄らいだ。そのタイミングというのは、医者にも、家族にも、本人にもわからない。やってもいいかな、と思ったときにやってみることである。そのときに回復しなくても、一歩前進したことになる。

*1:元ネタは「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」である。ことわざの一つで、必要以上に怖がっていると、その辺のものでも怖がってしまうという意味。夜の散歩をしているときに、これを唱えて怖がらないようにしているのは秘密。

霞 2013/12/25 12:22 はじめまして。夏頃から拝読してます。
前回エントリーが10月末?くらいだったのでそこのコメントにもありましたが
もしやお亡くなりに!?とか思ったりしておりました。
しかし調子は上向いてきているようで良かったですね。

柚 2013/12/26 21:38 お久しぶりです!
体調悪いのかな?っと心配しちゃってました!
大分良い方へ向かわれて居るようで良かったです(^^)
私の友人もかなり良くなっている様で、社会福祉士の勉強を頑張っているみたいです。
やはり必要とされているって大切な事ですね!
これからもムリせずにゆっくりと…ですねo(^o^)o

ruisouruisou 2013/12/29 10:30 > 霞さん
コメントありがとうございます。
調子は良くなってきていると思います。やはり波がありますが、ずいぶんコントロールできるようになってきたと思います。
ご心配ありがとうございます。

ruisouruisou 2013/12/29 10:53 > 柚さん
いつもコメントありがとうございます。
内心おだやかでないときもありましたが、ずいぶん落ち着いてきました。ブログも何も言わずに停止してすみません。しかし停止を宣言できない事情がありましたので……。
ともかく、柚さんの友人みたく勉強ができるくらいに回復しているので嬉しい限りです。もっとも、私の勉強は就職のための勉強ではありませんが……。しかし、勉強ができるとは幸福であるということを知りました。ありがたや。