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2015-03-28

老人の不健康の正体を見た、ような気がする

19:20 | 老人の不健康の正体を見た、ような気がするを含むブックマーク

老人はなかなか健康にならない。それは、もちろん年齢を重ねることによる肉体機能の劣化によるところが大きいがそれだけではない。現代の老人は、我慢を知らないから不健康になっている可能性がある。僕自身も胃を小さくするにはずいぶんと苦労した。だけど、僕の倍以上生きている老人がそれをできていないのを見ると、情けなくて仕方が無くなる。*1


一斉におやつ

僕はよくバスや電車など公共交通機関に乗るのだが、乗客の9割は70は越えているであろう老人である。このあたりはあと20年もしたらどうなるのだろうと心配になるが、それを真剣に考えるのは僕の仕事では無い。そもそも仕事が無い。

長距離移動のバスにも乗るのだが、そこは7割程度が老人。そしてびっくりするのが、皆乗り込んで一息ついたら、一斉におやつを食べ出すのだ。しかも若者が好みそうなポテトチップス(においからコンソメ系と思われる)やチョコレート類をむしゃむしゃバリバリと食べる。しかも(音から推測するに)ものすごい勢いで口に放り込んでいる。そして案の定むせる。そして同乗者となにやらしゃべってパタンと寝る。

これが僕の座席の周り4席で起こっていた。

この人たちはある意味幸せなんだろうなと感じると同時に、彼らの健康状態(虫歯や内臓疾患)が気になった。

普段から気をつけている僕ですら、(抗うつ剤と運動不足の影響で内臓の数値が芳しくないため)おやつなどは極力控えているのに、老人は気にせずバリバリと食う。お腹は僕の2倍は膨れあがっているのに、食う。内臓の数値は見た目に反していいのかも知れないが、虫歯は避けられないだろう。

彼らはおやつの食べ過ぎによる悪影響を年のせいにしているのだろうか。あんなに食べたら若者ですら内臓を痛める。きっと我慢ができない世代なんだろうな、自己管理をしなくても生きることができた世代なんだろうな、と周りの少ない若者は感じていたに違いない。

まあ好意的に考えれば、年に一度か二度のおやつを食べる機会だったのかもしれない。それが偶然僕の座席の周辺で起こっただけなのかもしれない。


不確かな情報に惑わされる

僕たち若者(まだそう分類して欲しい)はインターネッツで釣られまくって、良くも悪くも情報のソースを確認する癖がついている。もっとも僕はそれ(検証作業)がいやで、最近は信用できないメディアからの情報は取得していないが。というかニュースそのものをほぼ見ていない。しばらくそうするつもりだ。

だけど老人は検証作業がない。テレビや雑誌で言うことは全て正しいと信じている。

それがよくわからない腕振り法則でウォーキングしている老人だろう。他人に迷惑にならなければ多少のことは目を瞑る日本社会だが、あのドリフのような、横に腕を振る歩き方はどうなのだろう。率直に言って迷惑である。

もちろん、二の腕あたりのぷにぷにが気になる人は、その部分の運動も同時にしたいのはわかる。だが、人とすれ違うときにも道の中央を、相手の迷惑も顧みず、一心不乱にやるのはどうかと思われる。

それに、腕を細くしたいなら、ウォーキングを終えてから腕の運動をやれば良い。おそらくそちらの方が効果は高い。ウォーキングのときはただウォーキングをやるべきだ。

しかもこういう老人は1ヶ月もしたら消える。テレビか何かで特集されたのを鵜呑みにして、その勢いだけでやって、1ヶ月もしたら、何かしら理由を付けてしなくなるのだろう。

もちろん、三日坊主は誰でも経験することだが、時代をご立派に切り拓いたご老人がそういうことでは、若者に示しがつかないのではないかと思われる。

情報を検証し、実践、記録、反省をする習慣を、自分一人でこなせる訓練をしてこなかったのだろうと、やはり情けなくなる。


隠れて何かずるをして、それを報告しない

おやつを大量に食う、運動をしようとしても三日坊主で終わる、これらは若いうちに自己管理の訓練をしていないと、我慢・継続をするのは難しいのかもしれない。

我慢が難しいのはわかる。僕も未だに本を読み続けて止まらないことがあるし、朝の布団から出ることができないこともある。毎日の運動も嫌になることがある。人間だから怠慢がでてくることもあるだろう。

だが、正直でないのはダメだ。特に(老人においては)怠慢を医者に報告しないのは、よろしくない。僕はもう6年の付き合いになる先生に、何でもかんでも正直に報告している。正直に報告することで次からの正確なアドバイスを貰えることを知っているからだ。

だから、老人にかぎらず人は、下手に見栄を張ったりせずに、正直に報告するのが良い。これはうちの親にたまに言うのだが、僕のほうがまだ体が弱いから説得力が無い。*2


正直に、自然体で、穏やかに

これから日本は超高齢化社会を迎える。そこで重要になる視点の一つは老人の倫理の高さだと思っている。

もちろん、高い人はすでにもう十分高い。しかし、低い人は信じられないほど低い。弥生時代の人間でももう少し倫理観があったのではないかと思うほどだ。

「老人 マナー違反」などでネット検索するといくらでも出てくる。実際に現場を見たわけでは無いので、鵜呑みにはできないが、似たような状況はよく見かける。

他人に明らかに迷惑をかけても自分だけが得をして、不正や人を騙してでも利益を確保し、若者のちょっとした不愉快な言動に目くじらを立てている老人が多い。

超高齢化社会の問題点は、経済的な云々よりも、僕はこういう老人が跋扈するのが一番の問題だと思う。都会はそうでもないかもしれないが、田舎は本当に酷い。

これでは地域全体が精神的に参ってしまい、若者は都会や海外に出て行き、残った老人たちは精神を病むことになりかねない。

僕は社会学などの専門家ではないので、詳しく論じることはできないが、ともかく老人には、正直に(医者に報告し)、自然体で(散歩などを楽しみ)、穏やかに(若者の言動にいちいち目くじらを立てず)過ごしてもらえれば、社会は安定に向かうと思う。ひいては、老人自身の健康にも宜しいかと思われる。

*1:僕はよく、老人の悪口を言うが、全員をむやみやたらに嫌っているわけでは無い。嫌いなのは、礼儀をわきまえない、道義ない、チンピラのような老人である。残念ながら我が田舎にはそれらがたくさんいる。もちろん、そうでない人もいるので捨てたものでは無いとは感じることもある。

*2:僕の自律神経失調症の一番やっかいな症状は、未だにまったく治っていない。ブログでは具体的な症状は伏せているが、そのせいでかなりの活動が制限されている。

omaruomaru 2015/04/07 20:46 こんにちは。そして、お久しぶりです。私事ですが、昨年うつ病をかかえたまま焦って再就職し、毎日16時間労働(個人的には激務だった)の末うつ病が再発し、またニートになりました。焦りはよくなかったとボロボロになった今、痛感してます。
それはそうと、現在私自身体感していますが体が不健康になってしまうと考え方や思考まで貧相になりますね。記事を読んでご年配の方も例外ではないと思いました。自分のためにも周りのためにも健康が一番ですね。

ruisouruisou 2015/04/10 00:13 > omaru さん
コメントありがとうございます。そしてお久しぶりです。
仕事大変だったようで、ゆっくり休んでください。僕なんてずっとニートですのでそれと比べたらずいぶん頑張っていらっしゃると思います。僕も当分はまだ就業などできそうにないので、お互い焦らずいきましょう。
肉体の痛みは思考力をネガティブに持っていきやすいですね。痛みがあるときはそういう思考の偏りがあると自分に言い聞かせれば、ある程度は制御できますが、まだまだ僕もできてません。痛みの無い健康な状態が一番ですねぇ。

2015-03-10

病人が自己リハビリをするときの心得:一動二休

| 16:10 | 病人が自己リハビリをするときの心得:一動二休を含むブックマーク

僕もずいぶんと普通の病人のようになってきた。春が徐々に近づいて気温が上昇しているからかもしれない(寒暖差には参っているが)。体の調子が良い時期が多くなった気がする。とはいっても、普通の人と比べたら弱々しいものだが。

ちなみにここでの”病人”とは、精神的な問題により身体的な問題が発生して、日常生活に支障を来している人をさすことにする。特に自律神経失調症の人を意識している。もちろん、普通のリハビリの人も参考にはできると思う。ヒントがあれば取り入れてもらいたい。


一動二休

一動二休。一つ動いたら、その二倍は休めという意味である。これは造語である。僕が今作った。

例としては、10秒筋トレをしたら、20秒は脱力する、1時間走ったら、2時間休む、などがあげられる。

体が弱っているときは、せっかくリハビリしても、リハビリ自体が体を痛める原因になることが多い。特に僕のような軽度発達障害の者は、一つに取り組むと周りが見えなくなるほど熱中することがあるので、リハビリがいつの間にかハードトレーニング(あくまで本人基準で)になってしまっていることが、多々ある。

熱中することは何も悪いことではないのだが、それで体を却って痛めていては元も子もない。そして体の痛みが慢性的になると、心が病みやすくなる。それでまた引きこもることになりかねない。

そこで、動かすときに心がけて欲しいのが、一動二休である。意味は先述の通りだが、重要なのは二休の方である。一動は肩慣らしで、二休の方が本番と考えてもらいたい。

これは本にも良く脱力せよと書かれているが、だいたいは僕の経験による。実際、僕は「動」ばかりを気にしていたら、筋肉が硬直してかえって悪くなっていたように思える。脱力を丁寧にするよう心がけたら、だんだん良くなってきた。

休は、風呂を推奨する。シャワーでもいいが、これだけ風呂文化の発達した日本なのだから、風呂が最も安上がりで効率的だと思う。光熱費は当然かかるが、医療リハビリ(理学療法士など)にかけるお金と比べたら安いものだ。


できるだけ自分でやる:自助

今は医療技術の発達で云々と言われ、やたらと医療サービスが充実している。痛いと頼りたくなる気持ちはわかる。僕も最初はそうだった。*1だが、それは間違いだった。自分のことは自分で助けなければならない。

あまり自分の体のことを他人に任せきりにしない方が良い。所詮医者など、体の外に現れる明確な異常を発見できなければ(最新の機械を使っても)、滅多に正確な診断はできない。「とりあえずこう(応急処置など)して、薬を処方しますので、様子を見ましょう」と言われたことはないだろうか。こうやって見てみると全く自信の無いセリフである。医者だって万能ではないのだ。だいたいこの症状にはこうすれば治ることが多いから、こういう処方をしよう、とやっているだけなのである。

自分の体の一番の理解者は自分自身でなければならない。たとえ病気を診察するプロフェッショナルの医者でも、一番の理解者にはなりえない。医者は回復のための手助けをしてくれる(可能性がある)だけである。

医療をはじめとする社会保障についての問題は、渡辺京二先生が良いことを書いてくれていたので、それを参考にしてもらいたい(最後にリンクあり)。また別の機会に本の感想を込めて書くかもしれない。


どんな休憩をするか

自己リハビリの心得は、一動二休と、自助ということを主張したが、やはり最も重要なのは「休」である。ここで、どんな「休」が良いか、もうちょっと書こう。あくまで現時点での僕の感想だから全てを真に受けないように。

  • 風呂:湯船に入るときは、自分がお麩になった気持ちで、存分にふやけている。良く考え込んでしまう人がいるが(昔の自分)、湯に浸かっているときは、言葉を忘れる気持ちではいると良い。お麩は言葉など持たないのだから。
  • 座禅:何も考えずに、ただ座れば良い。座る以外の力を抜く。静かなところ・静かな時間をみつけてやるべし。
  • 読書:古いものがよい。平和で、楽観的なものがよい。間違っても戦闘もの推理ものなどはらはらするものを読んではいけない。たまには良いが、口直しの平和な物語を用意しておくこと。
  • 音楽:できれば日本語でない(言葉を理解できない)ゆったりとした音楽がよい。クラシックがわかる人はクラシックがよいらしい。僕はわからないから、『世界ふれあい街歩き』などのBGMなどを聞いている。
  • アニメ・漫画:日常系で下ネタが(あまり)ないものがよい。ARIA最高。

だいたいこの5つである。とにかくそのとき脱力を心がける。そして、余計なことを同時ににしない。スマホなど論外である。

座禅も「休」に分類されるのかわからないが、これは「動」か「休」かどちらかと言われれば、「休」だろう。「無」にしておきたいところだが……。

なお、ストレッチは「動」のほうに分類する。

ともかく、自己リハビリ者は、忘れがちな「休」の部分を重視して、日々を過ごしてもらいたい。


蛇足:休憩も仕事のうちというが

人生誰しも耳にしたことがあると思うが、「休憩も仕事のうち」という言葉がある。これは精神は賛成だが、言葉としては賛成しかねる。なんせ僕はニートなのだから。

仕事が嫌でニートをしている部分もあるのに、休憩したら仕事になってしまう。これは避けなければならぬ。

だから僕はこう言い換えたい:

「休憩も修行のうち」

人生、これすなわち修行なり。

仕事は嫌でも修行は好きである。修行と思えば、たいていのことはできる、ような気がする。休憩も存分にできる。


無名の人生 (文春新書)

*1:もっとも僕は、整形外科の医者に「あなたの場合は精神科の先生に聞けばいいでしょ(笑)」と追い払われたのだが。しかしその診察に3000円も支払ったのは未だに解せない。