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2016-03-16

死ぬほど勉強したけど就職先ないぞ日本しね(嘘)

16:45 | 死ぬほど勉強したけど就職先ないぞ日本しね(嘘)を含むブックマーク

※本気で死ねとは思っていないので安心して下さい。

政治の話は極力しないと以前宣言していたが、今回は例外である。大きく批判はしないが、この文章を見た人が少し冷静になってくれればと思う。

さて僕は世間的には高学歴であるが、現在、半年働いても友人の一ヶ月分に敵わないほどの給与しかない。別に金銭的な不満はないが、あえていうならば、稼いでいる友人が今も昔も特に(自己)努力していない件だ。謙遜もあるあろうが、とてもじゃないけど僕とは比べるべくもない。親は努力、もとい苦労されたようだが……。


将来は、親(保護者)がいくら投資をするかで決まる

子どもは、学生のうちは、努力なんぞ自分の力だと思っている。でも現実は、やはり親の協力があってこそである。

僕の家は協力的ではないが、非協力的でもない。つまり徹底した放任主義なのだが、なぜか僕は努力の塊になった。それで高学歴になってしまった。しかし僕が頑張れたのは、大学院までだった。社会に出たら、コミュ力・政治力がもっとも重要で、それが欠けている僕は使い物にならないと捨てられた。

個人的には、放任主義そのものは良いことだと思うのだが、それは成長が遅い。遅いのは今の日本では就職に不利である。社会に出るとき、徹底的に親の教育の結晶として育て上げられた若者がライバルになる。日本は新卒至上主義なので、放任主義でのんびりと育った人間は、当然その新卒時に不利となる。放任主義の家庭で育った人間は成長が遅い。しかし伸びしろがあるやつもいると思う。何せ、自分で何でもしなくてはならないのだから。僕も伸びしろはあったはずだが(たぶん)、自分に鞭を打ちすぎてギリギリまで我慢してしまい、精神を病んでしまった。今はそれが身体に響いているようである。

それはともかく、採用の場で個人の伸びしろを判別するのは非常に難しい。

そして採用のときに最も重要なコミュニケーション能力()が、変な風に育つ。現在の日本では、それを個性と判断するような風潮はない。局所的には存在すると思うが。

結局、親が、ある程度しっかりと手本を示すことができないと、コミュニケーション能力は育たないのだ。それが自分でできない親は、塾などに通わせて、学校の教師以外の大人を見せることが重要に思う。学校の、特に公立の先生は、世間知らずであることが多い。だから、塾でなくともいいが、学校以外の世界を見せる必要がある。それで、学校と親以外の大人としゃべる能力を身につけるのだ。しかし安全にそれをするのは金がかかる。それを投資と見るかどうかで、子どもの将来が大きく変わる。


高校生が驚くほど街で遊んでいる

僕は高校生の頃、街で遊ぶことはあまりなかった。日本全体がバブル崩壊からの不景気で、どうしていいかわからない公立の教師は、とにかく勉強しろの一点張りだった。スパルタ方式だった。遊ぶどころではなかった。せいぜい近くの本屋に行く程度だった。

しかし今、街をぶらついていると、驚くほど学生が遊んでいる。しかも男女で。解せぬ。バブル崩壊後ほどの不景気(の空気)はないにせよ、今も十分に不景気なのだ。不景気は別にしても、恐ろしい勢いで仕事そのものがなくなっているのは事実である。

もしかして世間は、僕の学生時代も外で遊んでいたのだろうか。そしてそんなやつらが、普通に就職して家を建てて*1、幸せな家庭を築いているのだろうか。

田舎は(偏差値の高い)高校卒で高学歴である。高専でも出ようものなら神である。そして地元の企業に就職するなら、高卒のほうが就職しやすい。

つまり、田舎の高校生とは、昨今の都会のチャラい大学生のようなものであり、遊んでもいいのだ。制服姿の学生が堂々と街を闊歩してしかるべきなのだ。男女でベタベタしていてもかまわないのだ。

僕は最近、いろいろと入り用で街に足を伸ばすことになって、その現実を改めて目の当たりにして、ちょっとショックを受けている。

結局、(皆から逸脱しないよう)ほどほどに勉強して、(皆から逸脱しないよう)ほどほどに仕事をしているやつが、一番生きやすいのだ。

一人で勉強を鬼のようにやっても、無能な僕に仕事などなかったのだ。日本死ねとは特に思っていない。ただ少し、悲しみを覚えるだけである。


保育園がどうのと騒いでいるが

あまり詳細は知らないが、新聞でチラリと見た。保育園に落ちて騒いでいる主婦がいるという。しかもあれ、増田*2っぽい。

はてなと言えば、恥を恥と思わない価値観逆転の集団だが(偏見)、以前は、それにも何か矜持のようなものがあった。しかし保育園の件は、もはや肥大した自我の爆発に思える。かなり小規模な爆発だが、これから連鎖反応的に大きな爆発が起こりそうな気がする。杞憂に終わればいいが。

保育園の件は、事情はわかるが、自己への固執が大きすぎて、よろしくない。率直に言って、子どもを育てる、という覚悟が足りない。または、子どもの将来を大切に考えすぎて、身動きがとれなくなってしまっている。

本来、親は、子育てのためならば、世間の評価などなげうって、キャリアなど当然捨て、将来設計など余計なことは考えずに、世の中を生きていくべきである。つまり、仕事など一時的にせよ放り投げて、子どもを育成しなければならない。一億総活躍社会を批判していたが、(自分の)子どもを育てるのは、最も重要な活躍の場ではないだろうか。賞賛などはないが、それは己で己を褒めれば良い。

騒いでいる人は、そういう思考を自分で管理できないまま結婚し、親になってしまったのだろう。政治が悪いのはわかるが、騒ぎ立てるのは危険である。夜道に気をつけなければ、という危険ではなく(それもあるかもしれないが……)、自我意識に飲まれてしまう危険である。

元増田はスマホはもちろんネットでも何でも解約して(ガラケーガス水道電気で十分だろう)、不要な持ち物を売り払い、己の食事を削って、それでも足りなければ生活保護を頂戴して、子育てをしてみてはどうだろうか。僕が親なら喜んでやる。誰か主夫にして下さい。


子どもの教育のために生きた偉人

エリートの道を捨てた人で、子どものために生きた人といえば、(僕の中では)良寛和尚である。以下、うろ覚え。

実は、彼は金持ちの家に生まれて、しかも勉強もできるエリートだった。しかし出家し、さらに旅修行の末、子どもたちのために生きることにしたという。結局、よぼよぼになるまで子どもたちと蹴鞠などをして遊んでいたという。そして普段の生活は、村はずれで極貧生活をしていて、死ぬまで清貧を貫いたという。

騒いでいる人と良寛和尚の違いは何だろうか。時代・立場のせいだけだろうか。共に、子どものためではあるが、生き方は全く異なる。しかも良寛和尚は、自分の子どもではないのだ。当然、お金も取らない。子どもの中にこそ仏性があると考え、遊んでいたと伝えられているが、実際のところはわからない。僕には、子どものことを優先して考え、己の立場など考えずに、遊んであげていた優しいおじいさんに思える。

僕たちは彼の生き方を改めて考え、子どもを育てるとはどういうことか、理解しなくてはならない。

ちなみに、良寛和尚は自分の事を「大愚」良寛と称していたらしい。「大愚」、いいではないか。日本人は今、賢さより、愚かさを学ぶべきなのかもしれない。


参考に:

ヘタな人生論より良寛の生きかた―不安や迷いを断ち切り、心穏やかに生きるヒント (河出文庫)

……未読だけど、今後ほぼ確実に読む。ちょうど生活が変わるであろうこの時期に読むのもいいかもしれない。

*1:うちの近所は、田畑をつぶして一軒家の建設ラッシュである。TPPを見越してだろうか。里山の風景が減ってしまい大変哀しい。

*2:はてなのサービスの「はてなあのに”ますだ”いありー」のこと。書いた人のことを元増田という。

duke77duke77 2016/03/16 21:41 同感ですね。
自分も、かなり勉強した方ですが、今思えばその必要あったのか疑わしく思います。
普通に勉強なんかより部活動に精を出して、青春を謳歌した方が、良かったんじゃないかと。
実際、今は学歴なんてものは死語に近くなってきていると感じてます。
会社員にとっては、机に向かって勉強する能力は必要ないと思いますし。

のび犬のび犬 2016/03/17 10:20 僕はフィジカル(顔、身長、運動神経)とコミュ力が足りないらしい分を勉強で挽回しようとして全て失ったパターンです。うちの親も「いい大学に行っていい会社に行け」程度の育児ビジョンしかなかったようで、それにそこそこ沿っていたので問題がはっきりした頃には詰んでました。
ちなみに良寛和尚と似たパターンで思い出すのは、宮沢賢治とトルストイですね。ふたりとも農民に憧れていた(が農民になれずに死んでいった)という印象です(ちなみにロシア文学に「余計者」という集団が出てきて、これが高学歴だめ人間で苦笑いできます)。

ruisouruisou 2016/03/18 00:27 > duke77 さん
コメントありがとうございます。
自分は部活もかなりやっていましたけど、結局ダメでした。。リア充に囲まれてぼっちで三年間雑用で、漫画のように才能が開花することもなかったです。。
学歴は確かに、ほとんど重視しない方向にきてますね。見直す動きもなくもないようですが……。まあ、もっと深刻な労働市場の縮小が起こったら、きっと自己勉学能力が役に立つと思いますよ。。

> のび犬さん
コメントありがとうございます。
子どもは、結局は大人の教育観の犠牲者なんですよね……。
宮沢賢治やトルストイも大好きです。僕の印象では、自然が大好きだった、という印象で、寒いところに住む人(厳しい自然の中で生きた人)は、自然の素晴らしさがわかってていいなあ、と感じていました。
宮沢賢治もトルストイも腰を据えてじっくり読みたいですねぇ。ていうか高学歴ダメ人間って昔からいたんですねw しかもロシアにw またしてもロシアに親近感が湧いてきましたw

duke77duke77 2016/03/19 02:35 すみません。
部活動経験者は、嫌でも組織順応力が身に着くと勝手に思ってました。
そうでもなかったとは、ひどい先入観でした。

ruisouruisou 2016/03/23 07:39 > duke77 さん
コメントありがとうございます。
運動部と言っても、いろいろありますからね。野球部とかは確かにそうかもしれません(先入観)。採用の現場でも重視されず、あまり社会的に役立ったことはないですね。まあ、この年になっても日々運動するのが苦でない程度です。

akisibuakisibu 2016/04/05 14:20 大賢は大愚に似たり、とかいう言葉がありましたね。
東大卒真面目系クズの末路のブログを思い出した。http://b.hatena.ne.jp/entry/avpd.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
儂もちょっとは勉強したけど、コミュ障で仕事の面ではつかえない人。

良い学校出て良い会社なり役人なりに入れというプレッシャーは明治の立身出世主義の名残だと思っていて、そういう大人たちによるプレッシャーに違和感を持ちつつ引き裂かれた思いをした学生がいて(きっと今もいるだろうけど)、彼らを「煩悶青年」という風に名付けて流行語だった時代もあるそうな。
明治の「煩悶青年」たちhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000331075
というのをざっと眺めたが、気になったワードとしては、藤村操の自殺、帝国大学を出ていたからといって必ずしも高給取りになれるとは限らないこと、余りもの(=余計者)としての高等遊民、ロシア文学と結びつく煩悶、社会では上にこびへつらう奴隷根性を求められる、『無用者の系譜』、ルージン…。

あ、この記事をきっかけに、思い切って良寛さんのいた新潟・出雲崎に行ってきちゃいました。
記念館で書を眺めてきたり。良寛さん、ぼっち充だった。

ruisouruisou 2016/04/09 11:59 > akisibu さん
コメントありがとうございます。
東大卒の人は、ちらっと読みましたが、能力をありあましてますね。実にもったいない。。コミュ障レッテルによる社会的損失はどのぐらいあるんでしょうか。。

明治は近代社会への混乱期ですからね。「煩悶青年」という人たちはさぞ苦しんだでしょう。。歴史的視点でおもしろがっていたら怒られそうです。ていうか他人事じゃないですね。(わからん単語・本いっぱい出てきたので、読んだらまた何か書くと思います)

良寛観光ですか!いいですねぇ!そういう旅行いいですね。このエントリで行ってくれたなんて光栄至極です。いずれ僕もふらりといってきます。ぼっち充、理想の生き方ですね。。それを目指して、日々精進していきたいと思います。

大学生大学生 2016/06/03 22:25 はじめまして。たまたまこの記事を読みましたが、あまりに驚いたのでコメントいたします。
貴方はご自分が社会的弱者だと自覚し、受け入れに理解のない日本社会に意見を述べるスタンスでブログをしているとお見受けします。
しかし、今回貴方は保育園受け入れ問題の当事者に対し、論点を捉えず主観的で投げやりな提案をしていらっしゃいます。
この主題の論点は女性の仕事子育てと両立を掲げながら制度を整えられていない社会に問題があることです。女性自身のキャリア形成の尊重もありますが、より重要なことは勤続できるか否かで待遇、収入とその後の生活環境が全く違ってしまうことです。「M字カーブ」を耳にしたことがあると思います。従来の日本型雇用では家族給という形で一人の収入で家計をまかなうことが可能でしたが、それが崩れた今共働きできるか否かは家計に致命的な問題なのです。
しかし、貴方は上記を踏まえず母親は子の育成に勤めろとおっしゃる。確かに子の育成に環境は重要ですが、例の件は家計を守るという形で子の育成環境を整えようとしているのです。はっきり言ってしまえば、貴方は自分の所属する発達障害者の周囲の問題だけ優遇しろと主張しているように見え、それは社会で生きる他の人のことはどうでもいいという自分本位な考えだと感じます。また、「母親」と性を限定しているところにも貴方の主観を感じます。
発達障害者の社会的地位に問題提起をする貴方の行い自体は非常に尊重されるべきです。しかし、ご自分の発言が「発達障害者たちの主張」として捉えられる意味を考えて行って頂きたいです。特に、ご自分の学歴に沿うような視野を持って頂きたい。
貴方のブログが励みになっている多くの方のことを考えるほどに、この記事は本当に残念だと感じました。

ruisouruisou 2016/06/08 08:22 > 大学生さん
コメントありがとうございます。
確かにこれはずっと僕のブログを読んでいる人しか真意がわからない書き方になっていますね。すみません。
社会問題として語っているのではなく、もっと生臭坊主が説法を語っている感じで読んでいただけるとありがたいです。

大学生ということですが、実際に社会に出られたことはないと思います。その前提でしゃべります。社会に出ると、人間誰しも社会の枠にとらわれて視野狭窄になります。ならない人がビッグになっていくのです。特に大学生の段階だと、資料の数字やらあやしい文献にすぐに心がとらわれてしまいます。日本は、とくに今の若者は、がんじがらめになってしまっています。

まだ若いなら(就職していないのなら)今のうちに視野と心を広くしてください。初めて見たブログにそんなに攻撃的に書くと、インターネットとはいえ、匿名とはいえ、現実に響きます。もちろん、悪いように響きます。食堂などで気に食わない議論をしている人に、初対面にもかかわらず、攻撃的に論議を投げかけて、言いたいことだけ言って去っていくような人になってしまいます。

よかったら、社会問題とか小さいことからいったん離れて、良寛和尚の本でも手にとって、ゆったりしてみてください。

なっつんなっつん 2017/01/09 20:15 初めまして、現在大学生の者です
自分も公立高校の頃はよく勉強をして、将来を見据えて文理選択では理系に行き、途中鬱病を発症しながらもなんとか知識を積み重ねてきましたが、いざ理系大学に行って数週間で僕のような要領が悪いコミュ力のない人間はここでは必要としていないという空気を感じました。
勉強だけの人間にはなってはいけないと考えて、部活にも体育祭にも積極的に参加しましたが、要領が悪い自分は部活まで手を回すのが手一杯で体育祭の練習では笑い者にされるのがオチでした。才能が無さすぎるとリア充に言われたこともありました。
最近になってからは他人は他人で自分は自分だと考えて、難しいことだけど、なるべく客観的に自分を見て、置かれてる状況のなかで何が自分の出来る最善の行為なのかを吟味して、自分が出来ることを出来る範囲で一つ一つの課題を着々とこなしていくのが得策なのかな、と自分で経験したりこのブログを読んだりしていく中で思いました。

ruisouruisou 2017/01/12 22:33 > なっつんさん
コメントありがとうございます。
若い人に読んで貰えて何よりです。こちらもまだ人生持ち直したとは言いがたいので、偉そうにアドバイスするわけにはいきませんが、拙ブログから何かヒントを考えるきっかけになったのなら幸いです。
おつらいでしょうが頑張ってみてください。応援しています。

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