高遠るいの日記

2011-11-13

バンダイキャラヒートインナーのCMの「温めてくれるー♪」で腰をふるところは毎週見ててもまだイラッとするな。


大黒摩季の『ガンバルシカナイジャナイ!?』という歌に、

“出会いが私を助けてくれた”

雑誌の中で語る成功者

素晴らしい人に会えない私達は

どうすればいいのでしょう

という歌詞があるのだが、仮面ライダーフォーゼを見ているといつもこれを思い出す。仮面ライダー部に出会えない奴らはどうすればいいのでしょう。

スクールカーストに挑み、ダメな奴を救う義賊のようなツラをしていながら、ここまで本当に追いつめられた奴は誰ひとり救ってないじゃないか、この話。物語上、怪人化した生徒に説教以上のフォローがあったのって、生活指導の先生の不良息子の話ぐらいだけじゃない?

今日の、魔女軍団の中で偶然自分に近しい奴だけを「月に連れて行って」味方に引き込むやり方、あまりに薄汚いというか、象徴的だ。「素晴らしい俺たちに会えたお前だけはもう大丈夫だよ」って。それをまた薄っぺらい言葉で飾ってフィクション内だけで「イイ話」っぽいルックスに整えているところとか、かなり気持ち悪い。実質的にやってることは、作中で悪として描かれている「選別」の再生産でしかないのに。

仮にこれが漫画かアニメだと、違和感やヤダ味がギリギリ許容範囲に収まったんじゃないか、とも思うのである。ファンタジー作品において学園モノって、学園という閉じた世界観ゆえに学生レベルの悩みが自然に超常的な物語のカギになれる特殊装置で、これはまあ便利っちゃ便利なんだけど、なんかやっぱり漫画とかアニメのためのものって気がするんだよなあ。「絵」ゆえの画面情報の少なさというハンデありきで、それにマッチしたシンプルな(≒コドモ的な)論理展開を、実際以上にシリアスなものとして見せるためのパッケージ、という。それの極端な完成形として少女革命ウテナというものがあるのだが、まあそれはいい。

自分の話になるが、俺は以前、この構造の偽悪的なパロディをやったことがあって、挫折したサッカー部キャプテンが宇宙人にそそのかされてサッカーボールの怪獣になってしまう、という話である。彼女は、「学園=閉じた世界=漫画的舞台装置」から飛び出し、「市街地=外の世界=特撮的社会空間」を破壊してしまう。閉じた世界で生じたコドモの悩み、それを源泉とする復讐劇は、鳥かごの中でこそ悲劇的であり、絵になるのにだ。鳥かごの外に持ち出されたそれはもはや滑稽であり、ヒロインに「だからって怪獣と化して街を襲っていいことにはならないわ!」とミもフタもない説教を受けるのである。

話を元に戻す。

問題は、画面の情報密度が十分に高い実写作品、もっと言ってしまえば仮面ライダーという特撮ドラマシリーズは、学園モノという閉じた世界の導入をそもそも必要としていないんじゃないかってことなのだ。だって10年前にはもう、コドモの象徴たるカードバトルに、大の大人たちがコドモみたいな純真な動機で命賭けちゃう物語をやって、大成功させてるんだぜ。あれの登場人物、フリーライターとか弁護士とか詐欺師とか刑事とかだぜ。そんなとんでもない世界観を支える画面作りのために、平成ライダーシリーズは毎年、演出や技術面で、日本ドラマ史上、奇形的とも言えるほどの進化を重ねてきた。

仮面ライダーの作劇面での魅力において、一定以上の社会性(カタカナのシャカイ性でもいい)というものは大きいと思う。これはもう、「反社会的な怪人集団の脅威に晒される一般社会」という構図を長年採用してきたがゆえの宿命のようなものだ。ダムに毒が入れられ、優れた科学者は家族を人質に協力を迫られるのだ。その構図の描写に現代ドラマ相応のリアリティを導入したクウガアギト、そのリアリティを土台に当時サブカルチャー的な一大潮流だったセカイ系のナイーブさを融合させた龍騎・555。あの4年間で仮面ライダーは、「特撮ドラマにできること」の範囲を爆発的に拡大した。ここでなされた成果がどういうことだったのか、というのを今になって振り返ってみると、先にも言ったように「実写作品で、大の大人がコドモみたいに振る舞うさま、そこから生じる極端なドラマを、如何にシリアスに見せることができるか」という点に尽きる。これは、漫画やアニメに現在も複数残存する龍騎の後追い型バトロワコンテンツが、どれもティーンの少年少女を中心に据えていることと、やはり対照的に映る。仮面ライダーは、学園&少年少女という道具を使わなくても、十分コドモっぽい物語をハードに見せられます、ということだ。

そこにあえて、わざわざあらためて学園という枷を嵌めたフォーゼ。おなじみの例えを使うと「ステーキにハチミツ行為」だ。何をどう見せてくれるのか、思いもよらない新境地が見られるんじゃないか、と期待していたし、まだ少ししている。だが、今のところ期待は予想通りの方向に裏切られている。ライダーを含むメカニックデザインやアクション演出は近年で出色の出来なだけに、ドラマをあまり楽しめないことが、心から悔しい。

よく言う「好きの反対は無関心」というヤツで、ちょっと好みじゃないだけでこんなに「嫌い嫌い大っ嫌い」と言いたくなるほど、俺は本当に仮面ライダーが好きなのである。結果として俺は今、今年の仮面ライダーに対して「こんなの仮面ライダーじゃない」という、これまでも何度も言われてきた老害的なことを言っている。軽蔑してよい。


この文章、途中から論旨がすりかわっている。後で書き直してもいいが、面倒なのでしないだろう。


追記。文中で称賛した「クウガ〜555が築いたもの」はカブトまでで良くも悪くも臨界点を迎え、電王を機に仮面ライダーの作風というのはある程度明確に舵を切っている。「電王以降」と学園モノの相性、というのは別の機会にもう少し丁寧に考えるべきであるかもしれない。

神山富嶽神山富嶽 2011/11/13 22:08  高遠先生の評論はいつも面白くて尊敬しちゃいます(>w<)。
 フォーゼについて「子供向けだけどいい話だにゃあ」と思ってたので、先生の意見は目からウロコでした。
 マンガもブログも応援してますのでがんばってください。

西条市西条市 2011/11/13 23:35 高遠先生、こんばんは。
当方はJK(ジェイク)の話で色々諦めました。
上っ面だけ見る方向に切り替えたら楽しめるようになったので、
劇中の「…あれ?」は総スルーでいきます。

ruitakatoruitakato 2011/11/14 08:53 私もJKの話でそっちに切り替えました。
色違いステイツは赤も金もイマイチ発展性が感じられないので、販促期間が終わったらベース+モジュール換装をもっと見せてほしいなーと思います。