キャラバンとしてのサポーターライフ


「どうしてそんなに全国いろんなところまで試合を観に行くの?」サッカーファンとして、直面することが多いながらも、どうにも答えづらい質問。義務?習慣?チームへの忠誠の証?サポーターってのはそういうもんだから?その日その時しか味わえない興奮があるから?自分の観ていないところで面白いことが起こるのがシャクだから?ひとつひとつふさわしそうな答えを探してはいくものの、どれもしっくりくるようでいて、説明しきれていないような理由ばかりだった。そんなある日、なんとなく、ひさしぶりに昔聴いたCDを聴き直そうと、The Boomの"極東サンバ"というアルバムを棚から出してみたら、インナースリーブには驚きの言葉が書いてあった。
『至福の瞬間を一度でも多く味わうために、僕らはキャラバンに乗ることにした』
至福の瞬間を一度でも多く味わうため、というのはもちろんその通り。それと、何年か前から、好きなチームを追いかけて、全国津々浦々へ観戦旅行を繰り返すサッカーファンの行動は、もしかしてキャラバンみたいなものなんじゃないか、と思っていたことにマッチすることに驚かされた。スタジアムに通うごとに年々顔見知りになっていく、互いに東京で働き、暮らしているはずの人々。そのある者は新幹線や飛行機を駆使して、再短時間でスタジアムへ辿り着き、またある者は深夜バスや青春18切符を使い、いかに安く目的地へ着くか熟慮する。そんな人々がはっきりとした約束もないままに日本各地で再会し、どこにいても変わらない会話を繰り広げる週末。一緒に出かけるはずの人々とも、出発する前日までは、「遠い」だとか「行くのめんどくさい」なんて発言を繰り返しながら、いざ当日になると早起きして目的地へと旅立つだけじゃなく、同行者の誰かが必ず、その土地の観光スポットだとか、知る人ぞ知る郷土料理の店なんかを完全にリサーチ済みの状態になっている。そして、いい試合の後には、満面の笑みで試合を振り返りつつ、その土地の名物に舌鼓をうちながら酒を酌み交わし、酷い試合の後には、試合のことなんか一切触れてたまるかとでも言わんばかりにくだらない話の応酬をしながら、その土地の名物に舌鼓をうちながら酒を酌み交わす。こういう日々の繰り返しが、もしかしたら一番求めているものなのかもしれないな、とあらためてきづかされた。(国が変われば、デッドヘッズだとか、フィッシュファンズと呼ばれている人々も、きっと同じような暮らしなんだろう)

そして、3月から今年も新しいキャラバンがスタートして早や2ヶ月。昨年躍進を収めた我がチームの船出は苦く、いくつかのいい気分になったゲームがあるだけで、あとの大半は、どうにもやりきれない思いばかりが残る試合ばかり。ただ、12月のシーズンの終わりまで(もしかしたら1月1日かもしれないけど)、まだまだ先は長い。そんな感情の起伏を越えて、今年はいったいどんな思いができるんだろう、という期待はまだまだ果てない。願わくば、笑ってシーズンの終わりを迎えられますように。

清志郎よ、安らかに


ホンッッッッットに、勝手に死んでんじゃねえよ、クソジジイ! 音楽の歌詞ってここまですげえ表現ができんだ、と驚かされたり唸らされたり悔しい思いをさせられたりした"トランジスタ・ラジオ"は一生聴き続けてやるからな。どうかゆっくり休んでくれ。R.I.P.清志郎

WONDER WHEEL、ゆっくりでいいよ、回ってくれ


「年を取ると涙もろくなる」なんてことを年上の人々から言われ続け、ほんとかなあ?なんて思っているうちにいつしか僕の年も30を越えていた。結果どうなったかと言うと、先達の教えはやはり偉大で、ふとした拍子に涙腺が緩むなんて、それまでなかったことが身に起こり始めた。なかでも最近一番驚いたのは、上のYouTubeのリンク、サイプレス上野とロベルト吉野の"WONDER WHEEL"を聴いたときだった。トラックがラテン・クオーター産のメランコリックなものだとはいえ、なぜ泣けてしまったのか、自分でもどうしてかわからない。冷静にリリックを聴き取ってみると、音楽への愛、スケートボードへの愛、地元への愛、そんなものが今にもこぼれそうなほど詰まってるからかなあ、と思ってみても真相は謎。自分のことなのにどうしたことやら。


しかし、涙が出てくる理由がわからなくても、このアルバム自体が掛け値なしに素晴らしい出来だということは否定できない。このアルバムが最高な理由は説明できる。いつもチェックしているブログ、『フリーダムヒルズ青赤春白書』さんで、"さんぴん組とLB組、あの日七夕の日を境に袂を分けられたその両者のDNAをどっちも受け継いだ稀有な存在"なんて完璧な論評がされているけど、つまりはそういうこと。どちらか一方も格好いいけど物足りない。その両方が欲しかったんだ僕は。
WONDER WHEEL : フリーダムヒルズ青赤春白書


こんな音楽に出会えたことでつい楽しくなっちゃって、長らく休眠状態にあったこのはてなダイアリも営業再開。どうせ音楽とサッカーの話しか書かないんだろうし、頻度も、質も、楽しさも、何も保証はできないけど、ご覧いただける方々、よろしくお付き合いくださいませ。ところで、上のリンクのPVを眺めていたら、どうにもガマンができなくなったので、スケボーを始めることにしようと思います。31歳の挑戦。たぶんオーリーもグラインドも叶わぬ夢。プッシュだけしかできるようにはならない気はするが、せっかくだからやってみよう。

WONDER WHEEL

WONDER WHEEL

「バレー不在」ワールドカップ最終予選:日本vsオーストラリア


本当にひさしぶりに、A代表の試合を生で観戦した。おそらくオシムが倒れて以降初の代表戦。オシムが監督をしていた頃は、今度はどんなことをしてくれるんだろう、とわくわくした気持ちでスタジアムに向かっていたけど、岡田武史が就任してからというもの、"どうせ勝ちはしてもつまんないサッカーなんでしょ"なんて邪推から足が遠ざかっていた。ところが現在の代表を生で観てみると、意外や意外、ダイレクトパスと細かい動き直し、フリーランを重視する、モダンなサッカーをしていたのがうれしい誤算だった。やはりサッカーは生で観ないとわからない。引き分けでオッケーだった相手のプランにはまり、充分に攻められないまま試合を終える、というブーイングものの結果ではあったけど、あの岡田マリノスの印象を持ったままだった僕に、新鮮な印象を与えてくれるだなんて。

ただ、それも後になって考えてみたら当然のことだった。代表コーチに名を連ねる大木武の名前。かつて甲府を指揮していた際に、こんなやり方もありなのか、と僕を驚かせた監督。
甲府では「クローズ」と呼ばれる、ひたすら狭いエリアに人を密集させ、短いパスの繰り返しで突破していくそのスタイルが印象的だった。もちろんその戦いぶりは、実に危うい。狭いエリアに人を密集させる、ということは、広大なエリアを手つかずのまま放置しておく、ということだから。実際、ボールを奪われた後、誰もいないエリアを攻め立てられ失点、というシーンを何度も観た。ただそれでも、自分たちの活路はこれしかないんだ、とでも言わんばかりに、同じ戦いぶりを続ける甲府に、何度か胸を揺さぶられることさえあった(僕にとってはまったく関係ないチームなのにね)。
その大木武が指導にあたっている、ことが要因なのかもしれない。この日の代表は、オーストラリアが引き気味であったことを差し引いても、この先の可能性を感じさせる試合を見せてくれた。ただ、最大の問題点がひとつ。この代表には、バレーがいなかった。横の席の友達と何度も、「なんか、これ、甲府じゃね?」「うん、しかもバレーが抜けた後の」という会話を交わした。協力なフィニッシャーがおらず、美しいサッカーはする、だが勝てない、なんてところまで姿を重ねてどうするんだ。それとも、極限までチャンスを増やすことでカバーするしかないんだろうか。実に悩ましい。


ところで、この日スタジアムに向かう途中に、ものすごく大切なことを思い出した。僕が今のようにFC東京にどっぷりと浸かるきっかけになった試合のこと。それは2001年のコンフェデレーションズカップ、同じ横浜国際総合競技場で、同じオーストラリアを相手にした代表戦だった。豪雨のなか、中田のフリーキックがゴールを割った瞬間の興奮と、試合の後のすがすがしさが忘れられなくて、家から遠くない東京スタジアムを訪れてみたのがすべての始まりなんだった。たしか2001年からスタジアムに通うようになったはず、ということは覚えていたんだけど、そのきっかけはすっかり忘れてしまっていた。帰り道の足取りは、8年前とまったく違ったけど、今日この会場にいた誰かが、某かの楽しい思いをして、やがて味スタに通いつめるようになるのかもな、と考えると、頬が緩むのは抑えきれなかった。

Space Lab Yellowの閉店に寄せて


6月21日で、西麻布のSpace Lab Yellowが閉店した。これは、たまたま気が向いたときに出かけて行っては、踊ったり、叫んだり、酒を浴びるように飲んだり、座ったまま流れる音楽に耳を傾けたり、友人やたまたま隣り合った人々とのくだらない話に興じていたりしただけの僕としても寂しいニュースだった。

新宿のリキッドルームが閉店するときにも同じようなことを思ったんだけど、いったいあの場所で自分は何度夜を明かしたんだろう?あの西麻布の地下に初めて足を踏み入れてから10年が越えた。地下2階(たまに地下1階)にいるうちに迎えた夜明けは少なくても10や20じゃなさそうなことは容易に想像がつくものの、実際のところはわからない。好きなDJの久しぶりの来日に指折り数えて待ち続けた日、終わらない宴席の成れの果てに辿り着いた日、友人に呼ばれて何のパーティかも知らないままに立ち寄った日、気になるDJが出演していることを当日の夜中に知って、そのまま自転車で向かった日も何度かあった。そのすべてが最高の夜だったとは言えないにしても、幾度もの最高の夜と、数多くの楽しい夜を過ごさせてもらったことは間違いない。

カール・クレイグのプレイは緻密で、果てがないように感じられた。ボビートが縦フェーダーを落として、スティービー・ワンダーの"Sir Duke"のサビの部分を熱唱する姿に胸が熱くなった(「you can feel it all over!」と歌われるたびに、「うん、感じてるよ!」と返事をしたかった)。ティミー・レジスフォードがフロアを満足げに見渡すあの目で、この人は本当に信頼していいDJなんだ、と暖かい気持ちになった。プレイを初めてしばらくの間は、「なんか、たいしたことないじゃん」と思っていたダニー・クリヴィットは、ガラージ的な曲をかけると、凄まじいまでのEQ使いを見せる。ディミトリ・フロム・パリは生半可な伊達男ではなく、ロマンと享楽(と、そこに辿り着くまでの気の遠くなるような忍耐)を掌る恐ろしいDJだということに気づかされた。ロラン・ガルニエがブースに立っていると、なぜか足は疲れているのに休憩のタイミングを失い、朝方まで踊り続ける羽目になる。ルイ・ヴェガのDJも、いつだって体力の果てるまで踊らされて、もう身体がもたない、と後ろ髪を引かれながらも帰るはめになる悔しいものばかりだった。セオ・パリッシュの繰り出すブラックミュージックなんでも絵巻にはいつだって翻弄されっぱなしだった。NORIが一枚ずつ、大切そうにターンテーブルに置いていくレコードからは、儚くも力強い音楽が流れ出す。デリック・メイのプレイは何度体感しても、セックスの快楽を想起させる、とんでもない代物(フロアが上がりきる前にうまくテンションを落として、上げて落としてと、絶頂は遥か彼方に据え置かれる。踊っていると、次第に絶頂を待ち望んで、"たが"が外れてくる)。フランソワ・ケヴォーキアンはあの柔らかい笑顔が嘘だったかのように思える獰猛な音で僕の頭を揺らした。スピナのDJはいつだって大胆で品がない(それが素晴らしいんだ)。そしてジョー・クラウゼル、もう彼のことはなんと呼べば良いのか・・・まさか、本当に"Last night, a DJ saved my life"だなんてことを実感することがあるだなんて想像していなかった。そんな言葉なんて、よくできたファンタジーに違いないと思っていたのに。
そして、このすべては同じ場所での出来事。記憶を呼び起こしやすいものをざっと並べただけでこの有様ということは、イエローで過ごした夜のひとつひとつを繋げていったら、いったいどんな千夜一夜物語ができることやら。僕一人の記憶だけでそんなことになるんだから、あそこに集っていた人々のものを連ねたら、その話を日々聞いているだけで満ち足りた人生が送れそうな気さえする。DJだけではなく、あの場所と空間を作ってくれた人々、一緒に過ごした人々、すれ違っただけの人々にありったけの感謝を込めて、おつかれさま!またどこかで会いましょう!

楽しい歌謡ショー - スティービー・ワンダー来日公演

そういえばこの間、スティービー・ワンダーのライブに行ってきたんだった。そりゃあもうとんでもなく見事なショーだった。ステージの冒頭、"Too High"、"Visions"と、マスターピース中のマスターピース、『Innervisons』のオープニングを飾る2曲がそのままの流れで披露されたのに度肝を抜かれたのに始まり、畳み掛けられる名曲の数々。以前にもスティービーのライブは観たことがあって免疫はあったはずなのに、それでもただただ圧倒されるばかり。力量が違いすぎる(なんてったって"I just called to say I love you"だとか、"Overjoyed"のような、ちょっと退屈だよな、と思わされる曲すら新鮮に聴こえるんだもの)。その力量でもって、"Don't you worry 'bout a thing"だとか"Another Star"、"As"や"Superstition"のような、非の打ちようのない曲ばかりを立て続けに聴かされるんだからそれも当然と言えば当然か。僕の席から通路を挟んで右側にいた、Bボーイ風の男の子が、「信じらんねえ」だとか「夢みてえだ」といった感じの惚けた顔で、ひたすら身体を揺らしていたのが印象的だった。うん、僕も前回はそういう顔してたよ、きっと。いや、今回もかな。
ところで、そんな圧倒的なライブだったのに、帰り道ではどうにも狐に化かされたような気分になったのも重要なポイント。それもこれも、前半の圧倒的なライブからいつの間にか、後半は「スティービー先生の楽しい歌謡ショー」に演目が切り替わっていたから。「じゃあコーラスの練習をしよう。ララララー」と、観客全員がボイストレーニングのようなコーラスの練習をさせられ、そのまま歌っているといつの間にか"My Cherie Amour"のイントロに繋がっていたり、「リズムに合わせて声を出してみよう、こんな感じで」とスティービーに言われるがままに声を出していると、それが"Part Time Lover"のあのリフレインに変化していたりと、参加型のお楽しみ企画が目白押し。そんなことをやらないで、ただただ曲を聴かせてくれるだけでも誰もが満足するほどのライブができるのに、いったいなんであんなことになってるんだろう。楽しすぎてうっかり、前回観に行ったときには歌ってくれた、"Sir Duke"やら"Golden Lady"が聴けなかったことの不満が吹き飛んじゃったじゃないか。次の来日の機会があったら、もう1日限りの参加はやめにしよう。なんなら全編歌謡ショーだっていいんだ。

ドゥ・イット・ユアセルフ

最近、何年かぶりにひどい風邪を引いた。朝はなんとか仕事に出かけるものの、夕方頃になると体力が尽きて、家に帰るなり倒れ込んだように眠り、翌朝まで身動きが取れないということが何日か続いた。集中して休めばもっと早く回復したんだろうけど、ちょうどタイミング的にうまく休めず、体調不良を長引かせてしまった。そんな塩梅で寝込んでいたら、珍しいことに昔の夢を見た。友人達がとあるクラブでレギュラーのパーティを開いていて、僕もほんのちょっとだけ手伝っていた頃の話。
そのクラブは都内の小箱の中でもそこそこの老舗で、当時は週末ともなると人気DJのプレイを求めて、広いとは言い難い店内に人がごった返す状態になることがごく当たり前だった(数年立ち寄っていないので、今の状態は知らない)。しかし友人達のパーティは残念ながら平日開催。パーティがレギュラー化した当初はさすがに集客に苦労し、スタッフ以外に店内にいるのは両手で数えられるほど、ということもざらにあった。音楽の質を評価されたが為に集客にノルマが課されていなかったとは言っても、そんな有様では開催している自分たちが楽しくない。何か手を打たないと。そう考えた友人達は、思いつく中でもっとも単純な手を打った。
結果どうなったかというと、何年かそのクラブで続けたパーティの後期には、相変わらずの平日開催ながらも客の入りは週末並となることがしばしば、それどころか、週末に行われる人気DJのパーティよりも売り上げが上がっているのではないか、という話すらあった。友人達がはじめに実行したことなんて、ほんの些細なことだけだったのに。それは来た人全員をしっかりと楽しませてから帰す、と心がけただけ。店内の隅々に目を配り、楽しくなさそうな表情をしている人が一人でもいたら、誰かがすかさず声をかけ、話に引き入れ、振る舞い酒を出す。そうして楽しい気分になってもらえたら、次もまた来てもらえるチャンスがある。また来てもらえれば、前回朝方までかけて作り上げた、親密なムードからパーティを開始できる。さらには、以前はDJだとかその身近な人々だけが実行していた、周囲の人々を楽しませながら自分も楽しむ、ということがパーティの基調として根付き、来場者の誰もが言わずとも、互いを楽しませようと気を使い出す。傍観者やただの受益者から参加者へ。それを繰り返すことによって集客は増え、パーティはより暖かい雰囲気を持って開催できる。与えよ、さらば与えられん。考えてみれば単純なことではあるけど、失敗しているパーティの多くはこのことに気付けていないことがほとんどだし、手作りで小規模から作り上げて成功したパーティには、必ずと言っていいほどこのムードが残っている。
こんなことを思い出したのも、最近、良いパーティとはなんだろう?と頻繁に考えていたからだろうか。何も考えず、ただただ楽しめばいいんだとも思うけど、DJは良くてもどうしても楽しめないパーティに巡り会うこともうんざりするほどあったし、欲しいものが与えられなかったとぶつぶつ不平を言う、快楽をかすめ取りたいだけの人々に辟易させられることもいくらでもあったから、どうしてもそのへんは自覚的にならざるを得ない。そうやって考えてみると、また友人達を誘って、自分達のパーティを開催してみるのも悪くないかな、という気分になる。うん、やってみよう。