ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

なぜ他人に服従してしまうのか

ロゴスの小径へようこそ。

人はなぜ他人に服従するんでしょうね?
身分の差、とかではなく
もっと根源的な意味で。

もちろん
仕事でお客さんや上司に、というのは
対価と引き換えなので一律に服従とは言えませんが



例えば同じクラスの仲間や同僚

本来同じ立場なはずなのに
ヒエラルキーが存在するのはなぜか。


そんな約束もないのに
一方が一方の言うことを聞いてしまうような関係って
ありますよね。

「人がいい」とか「やさしい」とか言われたりしつつも。


別に言うことを聞かないからといって暴力を受けるわけでもない。



それは人がそもそも
基本的に服従する生き物だからだそうです。


つまり
誰かに服従せざるを得ない弱い人間もまた
それより弱い人間の上に立とうとしますから


別に契約や法律がなくても
成り立ってしまうわけです。


人は他人の上に立ちたい。
その気持ちは誰も同じ。理解している。だからこそ
強いものには従順になってしまう。


そのルールを受け入れてしまっているからです。



では他人に服従しない強い人とはどういう人か。


人は誰かに服従する生き物であることは彼らにとっても同じです。




それは

自分自身に従順になれない人は
他人に服従してしまうのだそうです。



他人に服従したくないなら
自分に服従すればいいわけです。

つまり自分に従順になること。
強い人とはそういう人なんですね。


自分はこうしたいけど、皆がこうだから…というのは
他人に服従している状態ですが

自分に従順になれば、
自分の言うことを聞くわけです。

自分はこうしたい、だからこうする

と。


しかしほとんどの人は自分に従順になれないそうです。


だから誰かに従順になってしまう。

ちなみに
神様に従順になっている人もいますね。

自分でそれを選んだのではなく
教義だから、と考えもせず規律に従うのは
服従ですから。

(その代わり死後の幸福という 対価 が得られるとしているので
少し意味合いは違ってきますが)



なぜか他人の言うことを聞いてしまう
人のいい しかし 同時に HETARE でもある方は

急に他人に服従するなと言われても
なかなかできるものではありませんし

というかそれができるならとっくにそうしたくて

やりたくて服従していたわけではないに決まっているので


まず自分に従順であるように
意識してみることから
始めてはいかがでしょうか。


私は長年、家族には従順であったような気がしますが

それをやめました。

やめてみて気付くのですが
まわりはそれをなんとも思っていなかったりするんですよね実はw


従順に足るべく自分であること、も
ポイントかもしれません。

従順、とかいうと重いですが

単に自分のしたいことを自分で吟味して
選びとっていく、というだけの話なんですけどね。


仕事をどうしても休めない、と
会社に服従している人もいます。

しかし全く同じ職場で同じポジションで、自分に従順になり休んでしまう人もいます。

あの人休むなんて!!と休めない人は怒りますが
(その人の仕事を肩代わりするわけでもないのに)

休む人は正式に会社の許可は下りているので
別段気にもしませんし、
自分の能力をわかっているので、休んだ分は挽回できると
わかっていたり
もしくはコミュニケーション能力が高く、休んでも他の人が
フォローしてくれたりします。


そんな感じに考えてみると

自分に服従、という意味がほどけてくるかもしれません。




いかがでしたでしょうか。
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