ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を乗り越える満足感

ロゴスの小径へようこそ。

先日、大学のレポートの提出日だったのですが
(社会人大学生してます)

もう本当に難しくて
無理だなーとあきらめちゃって

提出日前々日になっても、
まったく手を付けずにいました。
友達たちにも、もうあきらめた
と告知してw


社会人ですから
提出できなくても、誰に怒られるわけでもありません。

単位がとれなくても

卒業だって、もしできなくても
自分のお金で通っているのですから
誰にもなにも言われません。


あきらめたはずの前日の朝、
やはり書くことに決めました。

おかげさまで無事提出できたのですが


こういうギリギリのときに
自分がどう行動できるか、というのは
けっこうポイントだと思いました。

仕事であれば
当然ギリギリでもやりますよね。
やらざるを得ませんし

でも、

やらなくても問題ない事項の場合
自分を奮い立たせる何かが必要ですね。ツボみたいなのが。



私の場合は
学友たちのがんばりも大きいです。が

学友のほとんどが、前日でもがんばって書いている中

私、あきらめた〜と言った時の

何とも言えない敗北感。


誰も、あきらめた私を笑ったりはしません。
そんな暇ないですしw


でも、私の方は
あきらめた、と宣言した夜に

もう眠れないわけですよw

そんな自分が嫌で嫌で。


それでやることにしたんですが

考えてみると
負けず嫌い?ともちょっと違います。


そうではなくて

きっと私の中で

自分が軽蔑する行動がそれなんでしょうね。


やる、とか言っておいてやらない。

じゃ言わなきゃいいのにwみたいな。


そしてその軽蔑の対象に自分が入ってしまったのが
たまらなく屈辱だったんだと思います。


考えてみたら
これは自分の切り札というか

ギリギリのところで自分を助けてきたような
考え方だったと思います。


英語話せない、情けない、で学ぶ
泳げない、情けない、でスクール通う


誰かに負けて悔しい、とか
恥ずかしい、とか

そういうのもあるのでしょうけど


やはりいつも自分を動かすのは
自分に軽蔑されたくない、という
一心だったように思います。


自分を高めるためにすべきこと。

最後にどうしてもやる、と決断させる切り札みたいなものは
ひとそれぞれかもしれません。


それにしても無事提出したときの
この満足感、充実感!!

これはちょっとなかなか得られないですね。

ラソンを何キロか決めてゴールした、とかの
充実感みたいな感じかもしれません。

おいしいものを食べたとか
旅行にいったとか


そういう充実感や満足感なんか
くらべものにならないですね。

それは

自分を乗り越えた、という満足感です。


これを味わったことがない人は
ぜひ味わってみてほしいと思います。


もちろんなんでもいいんですよ。
100m泳げた!なんかでも。



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