南三陸にて
南三陸にて
神戸の喫茶店にて“神様”と出会った
東京のおじさん
いつも吉沢家の中心にいた「東京のおじさん」こと、伯父さんの初盆が終わった。
早いものでおじさんとおじさんの愛犬が亡くなってから1年が経つ。
2人の娘さんで、僕の従姉妹たちとその旦那さんたち。信州・伊那谷の家でワイワイと食事を囲みながら話した。
おじさんたちも変わらぬ賑わいに喜んで参加していたことだろう。
おじさんは、東京で自分で興した工務店が破産したり、最愛の奥さんを病気で亡くし、息子にも自死で先立たれ、自身も肺気腫を患ったりと悲運が重なったが、いつも明るく前向きで、みんなから好かれ尊敬され、そして世界中で一番格好いい男前だった。
僕は青年の頃、密かに「日本のポール・ニューマン」のようだと感じ、憧れていたものだ。
おじさんは長野の高校を出て、東京にやってきた当初は貧しく、弟である私の父から生活費をもらってやりくりしたこともあった。
なかなかありつけないスイカを持っていくと喜んで食べていたという。
いつも故郷を想っていた。昨年、桜の時期に東京の病院に見舞った時も、病室から見える散ったばかりの桜の木を遠くに眺めながら、「俺は次の春に田舎の桜を見られるかどうか分からないが」とさみしそうに話していた。
元大島の家は、かつてお盆や正月は笑顔が絶えなかった。
10円玉で勝敗をかけながら、トランプゲームをして夜更かししたものだ。
いまだ家の棚には、おじさんが手作りした梅干しやショウガ漬け、虫除け薬までが残っている。
僕が中国から帰るたびに、この棚の前でおじさんは「梅干しは百年物もあるほどだ」と熱心に話していたものだ。
初盆が終わると、吉沢家はこの田舎に集まる機会がほとんどなくなる。
主人がいない青々と茂る広い中庭がまぶしい。
いつまでもこんな集まりがあるものだと思っているが、それは幻想なのかもしれない。
打ち上げ花火のような夏の儚さを感じた。
猛暑になった伊那谷。夕暮れ時にシルエットに浮かび上がる中央アルプスを見上げた。
「どんなにつらいことがあっても明るく強く生き抜いて欲しい」それがおじさんが残したメッセージだったように、今になって思う。
倉本聰氏の富良野GROUP公演『走る』を観て
人はどこに向かって走っているのか。
そもそも走らなければならなかったのか。
そんな根本的な問いかけを突き付けられたような気がした。
脚本家の倉本聰氏が主宰する創作集団・富良野GROUPの舞台『走る』を3月初め、名古屋で観てきた。
東京で観るつもりでいたが、あっと言う間にチケットが売れ切れてしまい、わざわざ有給休暇を取って、妻と名古屋まで2泊3日の旅をした。
名古屋では中国時代にお世話になった妻の元同僚たちと再会を果たせたし、東山動物園では何気ない動物たちのしぐさに笑顔になる大人たちの姿を発見した。小さな旅は心を解放してくれるものだ。
演劇はまったくの素人で、学生時代に松本で観た「新宿梁山泊」以来だから、かれこれ25年ぶりだろう。
このブログも約4年ぶりの執筆となった。心に去来するものがないと、無暗に文章は書けないもの。
昨年秋まで日本を離れ、13年間を中国大陸で暮らした私は、中国人が経済成長の恵みを享受するのを身近にみてきた。仕事がなくても不動産投資の利益で億ションを軽々と買ってしまう友人もいた。
どこかでみた風景だと思いながらも、そんな彼らに感化され、東京で身の丈以上の5000万円もするマンションを購入したいと頭がいっぱいになっている時期だっただけに、倉本氏の作品をみて、もう一度生き方をもう問い直したなかったという自分の潜在的な欲求があったのだろう。
私は2年前、自分が難病に侵されているのを知った。ちょうど『走る』の演出をした中村龍史氏も罹っていると公表している腎臓の遺伝性の病気、多発性嚢胞腎である。すでに腎機能は普通の人の5割程度しかない。
人生のスタート地点から、自分が難病というハンデを負っていたことに40歳を過ぎて気づかされ、愕然とした。
4000人に一人という病気になぜ私がなるのか。ずっと健康で人並みの人間だと思って、仕事に没頭していた自分が、将来は普通の暮らしや仕事ができなくなるかもしれない。そんな絶望が頭をよぎり、逆らえない運命が悔しくて悔しくて「ちくちょう」と嗚咽した。
人生には病気とか、震災とか、これまでのがんばりや努力を超えた運命みたいな事柄が襲ってくる。自分とは無縁と思っていても。大切な人々、かげないのない日常を一瞬にして失った東日本大震災の被災者の方々の現状を映し出す番組などを観る度、自分の置かれた運命と重ね合わせて、世の刹那を感じずにはいられなかった。
舞台では40人の役者たちが走った。ひたすら走りに走ったといってもいい。
ドッドドドと、鼓動のようにリズミカルな足音が舞台に響く。役者にしてアスリートのような筋肉が、過酷な舞台稽古を物語る。そんなに走ったら死んでしまわないか。走りに走る滑稽で悲しい役者たちの背後に無数の人々の姿、自分の姿を重ねてしまったのだろう。
馬鹿野郎、そんなに走ってどこに行くんだ、そんなに走ったってしょうがないじゃないかまったく馬鹿野郎。
だが私たちは、何があろうとも走っていなければ自分の道を見失う。とにかく前を向いてがむしゃらに走れ!
そんな相反する感情が沸き起こり、まさに人類という存在の愚直さに目頭が熱くなった。
ハンデを負った私は、彼らのようには走れない。
だからこそ自分なりの道を走り、自分だけの物語を紡ぎ出していくしかない。
億ションを買って我が世を謳歌する人には気づけない道もある。人生がある。
誰かに勝ちたいと思って走っていたわけではない。
もっと人生に大切なものがある、それをみつめていきたいと思っていた。
そんな生き方が私には合っていると思う。そこにゴールもなければ、勝者も敗者もあるはずはない。
「生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。」
臨床心理学者の故・河合隼雄氏と作家の小川洋子氏の対談集「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮社)での言葉を思い出した。
世の中には、名もなき無数の英雄たちが生きている。
ドラマ『北の国から』の初放送から36年。市井の人々の人生を描いてきた倉本氏の最後の舞台となった『走る』。昨夜はその発祥の地、富良野でラストを迎えたようだ。あの舞台を走り続けてくれた役者の方々に感謝。
私は奄美大島、沖縄など南の島が専門で、富良野どころか、北海道すら行ったことはないが、富良野塾と富良野GROUPの走りが私のような転機にある人の心に響いて届き、これからも生き続けていくだろうと信じている。
さあ、私もきょうから前を向いて走っていこう。
でも時には立ち止まって後ろを振り返ったっていい。非効率で、非科学的で愚かだっていい。それだって立派な人生の一部なんだから。
暴走する大国
中国が自滅に向かって大きな一歩を踏み出してしまいました。
周辺国に何の協議もなく、一方的に東シナ海に「防空識別圏」を設定した問題の影響は、非常に重大です。日本と戦争になる危険性を大きく高め、臨戦態勢になっているといっていいでしょう。
単なる威嚇ではありません。
中国は、過剰な自信の中で領土的な野心をむき出しにしています。
習近平共産党指導部が十分に人民解放軍を統制できておらず、一部が暴走している可能性があるのではないでしょうか。
領土問題では一切譲歩せず、戦火を切る覚悟を決めているとみられます。
大国として世界をリードするどころか、世界から孤立感を深めていることすら気づいていない。中国は、世界の秩序を平和的に保とうとする本当の意味で大国になる資格がないことを自ら示してしまいました。
中国が“大国”というのはその人口や経済規模という量だけです。
北京の街を歩けば、誰でもすぐにそのことに気づきます。
信号は誰も守らず渋滞が発生し、地下鉄の自動切符売り場は故障して人があふれ、あちこちの交通機能が麻痺しているのは日々のこと。視界も悪くなるほどの大気汚染で、外出時はマスクが欠かせません。
人民それぞれが自分自身のことにしか関心のない身勝手な自己中心主義、公共性という概念すらない不効率な社会。混乱したこの大国は、日本や米国だけでなく、中国との紛争問題を抱えるフィリピン、ベトナム、インド、台湾など世界を敵に回した戦争に勝てるでしょうか。
もし勝ったとしても、世界は大きな犠牲を支払うことになるでしょう。
もしこれ以上周辺国との関係が悪化すれば、経済的な窮地に陥るのは中国自身です。
戦争となれば軍需産業だけは潤うかもしれませんが、海外との貿易や海外企業の投資に頼っている多くの地域、そこの工場で働く無数の庶民たちは困窮します。
それだけでなく、すでにいくつかの民族的な対立を抱えており、内部から崩壊する可能性がもっと高くなっていきます。
軍部の暴走で無謀な太平洋戦争に突入したかつての日本をみているようで、痛々しいのです。
1年前に主席となった習近平は、「中国の夢」を政権のスローガンに掲げました。
いま思えば、中国の夢とは、欧米に代わり中国を中心とした世界観を世界に押しつけることなのでしょう。
力だけで世界を征服する時代ではありません。
時代錯誤のパワーゲームを繰り広げようとする中国は、残念ながら苦境に立たされるでしょう。信用されていない大国だからです。
中国の夢は、夢のまま終わることになるような気がします。
そしてその犠牲になるのは、またしても国民たちでしょう。
領土が残ったとしても、いまある生活はなくなり、家もなくなり、温かい家族のだんらんも、十分な食料も、子供たちの未来もなくなります。
何のための戦争なのでしょうか。
中国に住み始めてもうすぐ10年。
中国人の妻をもらった私が感じる中国と日本の姿です。
<参考文献>
強大化する中国への対抗策を(フォーリン・アフェアーズ・リポート)
ジャイアンと日本人
いじめっ子だったジャイアン、
昔のことを謝っても誰にも信じてもらえない。
さんざんにじめられたのびたは
大人になった今でも、
「ジャイアンの謝罪は本当なのか?」
「本当に誠実な態度なのか?」
と疑う。いつまでも、いつまでも。
多感な時期のことだから、ジャイアンの存在は人格までに影響を及ぼしている。
日本はジャイアン、
中国はのびたなんだろう。
中国の庶民はいつまでも
「日本国民には反省の態度がない」
「心から謝罪していない」
「国全体が右翼化している」と疑い、
果ては憲法改正議論と聞けば、
「中国と戦争をするつもりなのか?」
「帝国主義の復活か」と怯える。
「いっそのこと中国は日本を焼け野原にしてやる、
そんなのは簡単だ」と吐き捨てる。知り合いの中国人に言われた。
尖閣の問題の本質は、中国の内政問題なのかもしれない。
もともとは領土に野心を持つ中国の人民解放軍が仕掛けてきたものだろう。
だが、何も知らない、知らされない中国の庶民たちは僕ら日本人に怒りを向けてくる。
これは小さい頃にいじめっ子だったジャイアンの運命として、
日本人は受け入れるしかないだろう。
70年近く過去に日本側に過ちがあったことは、否めないからだ。
南京大虐殺は、中国が言う犠牲者の数が多すぎるとか反論しても意味がない。
戦後処理は終わったはずだと反論してもまったく通じない。
数や程度は問題ではない。
いじめられたほうはいまでも痛みを感じているし、
いつまでも被害者意識を持つもの。
足を踏まれた、土足で自分の土地を荒らされたという事実が
中国人の心の中にいつまでもある。
中国の教育の問題だと指摘しても仕方がない。
何しろ、昔日本人はいじめっ子だったんだから。
のびたをさんざ殴ったのは事実だ。
ひたすら、僕は昔の日本がしたことを中国人1人ひとりに謝罪していくしかないと考えている。
そんな恥べきことはするなと日本人は言うが。
だが、中国人はあまりに純粋で、馬鹿で、単純なのだ。
日本人の僕が譲歩した姿勢をみせると、中国人は驚くほど大人しくなる。
「日本は嫌いだが、人間が大きいおまえは好きだ」と認める。
これは個人同士の関係だけのことではない。
国同士の外交でも同じだろう。
永遠に日本人は謝っていかなければならない。
苦しく屈辱的だろうが、それが過去に過ちを犯した日本に生まれた日本人の宿命だ。
戦争の傷はそれだけ深い。
戦争の代償は大きいということだ。
戦争は昔のことではない。すぐそこにある危機だと、
中国にいると感じる。
私たちが謝る、譲歩することで
罪のない子孫まで怨念を仕向けられることが避けられるなら、それでいい。
ジャイアンは今、大人になる時だ。
ザザムシ 2013/11/29 22:52 B52戦略爆撃機が不当に敷いた防空識別圏に侵入してきた場合、
即座に反応し、爆撃機させない防御行動に出ないと間に合いません。
今回中国は特に目立った軍事行動にはでてないと思われます。
つまり、
一連の出来事は、予定調和の中の出来事だと思います。
ある方向に仕向けようとする風潮には冷静に、賢く判断する努力をしなくてはと思います。
二大大国は敵対しているのでしょうか
ruruchan 2013/11/29 23:59 次の覇権を狙う中国と米国による軍事的なパワーゲームが背景にあると思います。
北京の郊外で一発の銃声がきっかけとなった日中戦争。意図はなくても偶発的に疑心暗鬼が拡大していとも簡単に戦争は始まってしまう。そうした危険性は大きく高まったと考えています。