やっぱりほしいタコ図書館!Chci to na Letný! ヤン・カプリツキーさん突然の死によせて
ついこないだ、ナーロドニー通りを歩いていたカプリツキーさんと偶然すれ違ったばかり。。。
散歩の途中のようなかんじで、おだやかに、でもしっかりとした足どりでKaroliny světlé通りへ曲がっていった後ろ姿が今も思い出されます。
1月14日水曜日20時55分、デイヴィツカーDejvická近くのこの場所、Československé armády20番地で倒れ、帰らぬ人となった建築家のヤン・カプリツキー(Jan Kaplický)さん。同じ日の14時に生まれた娘さんJohanka(ヨハンカ)ちゃんと対面し、7時間後のことでした。
お祝いのために集まることになっていたレストランへ向かう途中でした。倒れた後、犬の散歩の通りすがりの人に気持ちが悪いと訴えるも、“酔っ払ったおじいさん”が倒れていると通報される(→テレビに何度も出てたでしょうがっ!)→病院へ運ばれるまで放置されること15分。。。死因は家族の同意がないので明らかにされていませんが、救急車が来たときには既に呼吸が止まっていたとのこと。ミューラー邸で結婚式をあげた41歳年下の若い奥さんエリシュカ(Eliška)さんは同じ日に一番嬉しい瞬間と悲しい瞬間をその人生に刻むことになってしまいました。
翌日朝からラジオで速報され、15日の新聞でも1面に、16日の新聞では全4面にわたって関連記事が掲載されました。というのもこのブログでもしつこく書いてきましたが(2007年10月13日付記事または2008年2月18日記事参照)、カプリツキー氏は、手狭になったチェコの国立図書館(現在はカレル橋向かいのクレメンティヌム内にある)の移転先、フラチャンスカー(Hradčanská)近くのシュペイハルという場所に建設予定だった新図書館のコンペで優勝した建築家で、その斬新なデザインがチェコ国内中で議論を呼んでいたからです。
その形から、この新図書館のデザインはホボトニツェ(Chobotnice=たこ)の愛称で呼ばれるようになったのですが、プラハ城にも近いということで景観に合わないなどの理由で議論を巻き起こし、反対派の頂点に立っていたのがクラウス(Václav Klaus)大統領。「自分の体をもってしてもこの建設を阻止する」として、子分(?)のプラハ市長、パヴェル・ベーム(Pavel Bém)氏も仲間に引きずり込み、コンペで賛成してたはずのプラハ市は建設予定地を国立図書館へ売らない、というおかしな事態に。かくして正式な国際コンペで決定したデザインが実現されないまま、建設開始予定を過ぎて現在にいたっています。
去年の2月にはカプリツキーさんの友人らが中心になって、プラハのルツェルナで応援コンサートもありました。
カプリツキーさんを「一番の友達だった」と語る建築家兼歌手のパヴェル・ボベック(Pavel Bobek)さん。写真の左下に映っているのが若かりし頃のカプリツキーさん。
同じく友人のミュージシャン、チェコでは60年代から続いているベテラングループ、Olympicのヴォーカル、ペトル・ヤンダ(Petr Janda)さん。
そして長身でとてもかっこよかったカプリツキーさん!
カプリツキー氏は1937年プラハに生まれ、カプリツキーさんのお父さんは有名な画家&彫刻家&建築家。お父さんのヨゼフ・カプリツキーさんの作品は、プラハ10区にあるゴチャール(Gočár)作の教会内のステンドグラスに見ることができます。カプリツキー氏自身の作品はチェコ国内にひとつもない、というのは間違いで、若い頃手がけた民家がプラハ4区に今も残っています。
でも彼が納得して自信をもって故郷の街プラハに残したいと思った唯一の作品があのホボトニツェだったのだと思います。この反対騒ぎでかなり胸を痛めていたようでした。チェコ国内では2010年工事開始予定の、チェスキー・ブディェヨヴィツェČeské Budějoviceの文化センターRejnokがカプリツキー氏の代表作となることに。
ロンドンで(1968年に亡命)建築デザイン会社Future systemsを仲間と創立、一風変わった素材、何か生物を思わせるような丸みを帯びたデザイン、自然のエネルギーを取り入れたコンセプトなどで世界的に有名な建築家のひとりに名を連ねたカプリツキーさん。
プラハっ子にはすっかりおなじみの形となったホボトニツェをかたどった色紙に寄せ書きされた“Je to ostuda...”(It's a shame...)の文字。
まだ一縷の望みを私は持っています。。。
花の都で待ち合わせ♪ セルジュ・ゲンズブール展in Paris Vol.1
日本からプラハでなくともヨーロッパにやってきて、プラハに立ち寄ってくれたり、あるいは私が出向いたりして、懐かしい人たちと再会することが時々あります。1月初めにシャンソン仲間がパリに来るとあって、夏に帰国したときに会えなかったこともあるし、当地のラ・ヴィレットでゲンズブール展をやってるというのでプラハから行くことに。でも急だったので飛行機が取れない!
…というワケで、お初のプラハ→パリ、陸路の旅なるものを敢行!片道15時間(笑)で日本からパリの飛行機のほうが早いという話ですが、これはこれで味がありました。なんてったって安いし(往復で1万円ちょっと)、隣がいなければ靴を脱いで足をあげることができて、エコノミー症候群からは解放されます。プラハのフロレンツ・バスターミナルからビールの街プルゼニュに寄り、ドイツをひたすら走り、早朝ストラスブールへ。窓が大きくて美しいトラムを発見。前の方の席に座ったので、運転手さんたちの会話を聞きながら、チェコ語→ドイツ語→フランス語と街の表示が変わるのを眺めながら、プラハとパリは陸続きなのを実感。
途中2回ほどバスを降りて休憩を挟むのですが、フランス国内にはいってのドライヴ・インのカフェテリアは運転手さんたちのお気に入りらしく、往路も復路も同じところに立ち寄りました。クスクスのサラダやコーヒーも美味しい!ミニ・カヌレがあったので思わず注文。
毎年1月1日の13時から、大統領の新年の挨拶をTVで放映するのですが、今年のクラウス大統領の話は、なんだか歯切れが悪くイマイチでした。去年はチェコの歴史上重大な出来事がなぜか起こる年、末尾が8年の話でまとめてわりと明るい印象でしたが、今年は経済危機の影もあり、EU懐疑派の彼が夏までのEU議長国としての抱負を語るのは歯切れが悪くなって当然かも。2009年はチェコのNATO加盟から10年、ビロード革命から20年の年ですが、この“新年の挨拶”が載っていた新聞記事を私の前の席で寝っころがって読んでいた休憩中の運転手さん(長距離なので運転手さんが二人いる)、相棒に向かって「今年は革命から20年だってさ。フン、マフィアが肥え太っただけなんじゃないのかね」とひとこと。
そうこうしてるうちにパリの一番東、Gallieniバス・ターミナルへ到着。メトロとバスを乗り継いで友達が泊まってるホテルへ。途中見かけたTGVたち。
20年ぶりの海外旅行だという友達は不安なので自由行動付きのツアーで来仏、この日のディナーはツアーについてるとのことで、私はホテルのすぐそばの中華屋さんで海産物補給夕食。ほたてと海老をたっぷりいただきました。
さて、翌日無事友達と再会し、まず訪れたのがベルシー地区にあるココ。
映画博物館です。この遊び心たっぷりの建築、フランク・O・ゲーリーさんの作品。そう、プラハのダンシング・ビルと同じ建築家です。建物目当てで行ったのですが、中も見ごたえたっぷり。映画発祥の地、フランスならではの映画の歴史をわくわくするようなカメラたち、衣装、豊富な資料で時系列に追えるようになっています。日曜の午前中はタダで入れる常設展のほか、今はデニス・ホッパー展もやってました。
そしてここから一路パリのかたつむりを北へ、バスで、今回の最大の目的地まで。
ラ・ヴィレットにある音楽博物館。ここでセルジュ・ゲンズブール生誕80年を記念して去年から引き続き(2009年3月1日まで)やっている展示会へ。
途中、日曜だったからかマルシェが出ていました。
プラハにない野菜も見かけました。
ハチミツのパッケージがかわゆい!
ブルーのエプロンがよく似合っていたお二人。
ここでちょこっと買い食いし(笑)、いざ展示会へ。
あまり大きくない、という前情報を聞いていた私達、はるばる海外から来て、すぐ見終わっちゃうものだったらどうしよう、などと言っていたのですが、いやいやどうして、素晴らしい内容でした。直筆の楽譜(意外にもキレイ)、たくさんの写真、映像、彼の黒い部屋にあるヘンテコなアートたち…
そして何よりもJ・バーキン&ゲンズブールおたくの友達のおかげで完璧なまでの解説付きで展示会を満喫しました。本当にありがとうっ!
休日とはいえ始まってから数ヶ月たつのにチケット売場は行列ができてたほど。フランス人の若い人たちも多く訪れていたのが印象的でした。
館内は階段フェチにも嬉しいステキなインテリア。
展示会の内容ももちろんですが、ココの売店で動けなくなる私たち。Vol.2に続きます。
ゆく年くる年in Prague
みなさま、ご無沙汰しておりました。2009年も始まってはや半月ですが、いかがお過ごしでしょうか。
プラハ、めっちゃ寒いです。私がこの街に住み始めて経験した最高に寒かった気温が確かマイナス18度。
今年の冬は久々にマイナス10度を越える日を数えました。外に出たくなくなります。。。
でもま、1月1日の夜は恒例のレトナーから打ち上げる花火なのでシュテファニク橋で凍えそうになりながら鑑賞。
もうカメラを持つ手が寒すぎてブレまくり→途中で放棄(笑)。2009年にちなんで、全行程が999秒だったそうな。
じっとしてるのがツライほど寒くても、連続して開く大輪の夜の花にチェコの子供達は大歓声。ヴルタヴァ川の河畔でたっくさん人が見ているの、わかるでしょうか。
今年のクリスマスはずっと改築していた元アパートへの引越しやらでゆっくりできなかったのですが、年越しはよく行く音楽カフェ、バルビンカで過ごしました。ここでもやっぱり花火(し、室内なんですけど…)。
チェコ語のブルースを聴きながら、シルヴェストルの夜は更けていき…そしてお腹がすいた人は、カフェの奥の部屋に行くと、どっからもってきたのコレ?っていうような大鍋に用意されていたグヤーシュが振舞われるというしくみ。
パンをこんな風に入れて食べるのが労働者風。
入口にはいつも黒い帽子をかぶったイジーさんがいて、訪れた客がどこに座るべきかを案内しています。
彼はあのカプリツキー氏の例の図書館騒ぎを皮肉って、建設予定地だったシュペイハルに「クラウス大統領の本棚」というかなり笑える冗談本棚を置いて注目を集めた人。かつてこのカフェの名前を持つ政党を作ったこともある興味深いおじさまです。「あの本棚はどこに?」と尋ねてみたら大笑いされ、そばにいたお友達と思われる人がひとこと、「盗まれちゃったんだよ。」
うーむ。誰かがあれを使っているのか…気になるところ。
それはともかく、その建築家のヤン・カプリツキーさんの突然の訃報を聞いたのは昨日の早朝のこと。71歳だったカプリツキーさんですが、ちょうど娘さんが生まれた日の夜、亡くなってしまいました。Vítežné náměstíのそばで倒れ、通りすがりの人が救急車を呼んだとのことですが、もう手遅れだったそう。。。心から残念です。せめて彼のあのデザインの図書館がプラハに出来たらよかったのに(しつこいようですが…)。ご冥福をお祈りします。
遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
イジー・メンツェル監督『英国王 給仕人に乾杯!』ついに日本上陸!Vol.3
今年も後わずかを残すまでとなりました。プラハはクリスマスモード全開です。
旧市街広場には今月初めから恒例のチェコの山地クルコノシェから運ばれてきた22mのツリーが飾られ、連日観光客&チェコ人で賑わっています。
パリ通りも美しく変身。
そしていよいよ今週土曜日(12月20日〜)から、日比谷シャンテにてメンツェル監督のチェコ映画『英国王 給仕人に乾杯!』(「Obsluhoval jsem anglického krále」)が公開されます。もっか同劇場でメンツェル映画祭を開催中、オスカーを受賞した『厳重に監視された列車』に引き続き、お正月映画として登場予定。チェコ好きはもちろん、ヨーロッパ映画好きには必見!の映画です。
11月にはほぼ20年ぶりの来日も果たしたメンツェル監督(右端)。
チェスケー・ブディェヨヴィツェの劇場にて、シェイクスピア『から騒ぎ』のリハーサル風景。
監督の40歳年下の奥さん、オルガさんがつい先日の12月11日(木)に女の子を無事出産。Anna Karolínaちゃんと名づけられたのですが、今年夏からずっとオルガさんと別の監督との関係がBleskなどのゴシップ誌で取りざたされていて、赤ちゃんの父親は明らかでないという状態。映画とは直接関係ないので、この件はまた後日にまとめようかと思いますが、今チェコでメンツェル監督の話をしようものなら避けて通れない話題になってしまっています。メンツェル監督が持ち前の聡明さとユーモアとでこの試練を乗り切ってほしいと心から願います。
さて、映画に出てくる場所について以前にも書きましたが、今回のVol.3は、まず直接ロケ地じゃないけどここ。
旧市街にあるウ・ズラテーホ・ティグラ(U Zlatého tygra, Husova 17)こと、黄金の虎。ビールの美味しい有名なホスポダですが、この映画の原作者であるボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal)が愛したお店でもあるからです。
入口はいって正面には彼の名前と頭部の像が。
滑らかな泡を持つ極上の黄金色の液体を求めて、観光客のみならず地元チェコ人たちも通います。
通り沿いの壁には、フラバルが描かれた絵。
たいていのホスポダで注文できますが、監督のインタヴューのために来日した佐藤友紀さんの一番のお気に入りチェコ飯は、ここのウトペネツ(Utopenec、溺れた人、土左衛門の意)でした。
スーパーでも瓶やタッパーにおさまり売られています。
こうしてみると、いかにもずんぐりむっくりの溺れたヒトのイメージ。仮にも食べ物なのにこのネーミング、日本の常識からしたらありえませんが。。。でも味は酢が効いてサッパリしてて日本人好みかも。どこにでもあって高くないのでチェコにいらしたら是非一度お試しあれ。
で、映画に出てくる食べ物の話(少しだけネタバレも含みます)。主人公のヤンに多大な影響を与える重要な役どころのお金持ちユダヤ商人、ヴァルデン氏がルームサーヴィスで頼むサラミについて。
ウヘルスキー・サラーム、略してウヘラーク(uherák)と呼ばれるこのハンガリーのサラミ、ウチの旦那もそうだけどチェコ人のファン多し。高いんだけど、サラミのなかで一番♪なのだそう。あまり食べ慣れてない私からすると、違いがイマイチわからないのですが。。。
そのヴァルデンさん、ホスポダでメニューを見ながら、ココからココまでじゃんじゃん持ってきて!と成金的オーダーをするのですが、その時「これをのぞいて」と省かれたのがこれ。ウトペネツの隣のスープ。
ドゥルシュチコヴァー(dršt'ková)と呼ばれるモツ煮込みスープ。ニンニク味が強いけど、寒い日にはしっかり温まってチェコのパン、フレバとよく合います。もちろんビールとも抜群の相性。具は豚の胃袋が普通だけど、キノコを代用しても美味。庶民的なホスポダのスープ(Polevky)の欄に見つかることが多いこちら、写真は英語メニューを頑として置かないウ・ルドルフィナ【U Rudolfina, Křižovnická10, Praha1,トラム17or18番Staroměstská停留所前、11-23:00年中無休】でいただいたもの。
ってなんだか…お腹がすいてきちゃった。まだネタはつきないのですが、また次回。
今回お話をいただき、ここにはまだ登場してない映画にまつわる話のあれこれを劇場販売用パンフレットに書かせていただきました。映画のパンフレットって、ポスターはあるんだけどチェコでは見かけません。日本だけの習慣みたいですが、映画を見終わったあと、余韻に浸りながらパンフレットを読む時間が好きでした。この場を借りて大変お世話になった東宝ステラの山本さんに深くお礼申し上げます。
…というワケで美味しいものが次から次へと登場する『英国王 給仕人に乾杯!』、是非とも映画館へお出掛けください。心からオススメできる映画です。
小室さん、お誕生日おめでとうございます!
プラハともチェコとも関係ないんだけど、rybicka@Fanksということで自分の覚書として書かせていただきます、どうしても。
11月4日の早朝、まず旦那から例のニュースを聞かされ、日本の家族や友人からも連絡をもらいました。
Youtubeの動画ニュースやネット上にある新聞記事、その後日本から送ってもらった雑誌記事などに目を通しましたが、ヒトの不幸を喜ぶかのような煽りがいっぱい。。。まぁネタはたくさん知られていたから、それは仕方ないんだろうけど、トンチンカンな音楽批評とかが多すぎて辟易。「彼の楽曲の特徴は、唐突な転調につぐ転調で…」とかね。批評するなら清水ミチコさんぐらいのレベルにしてほしい。それに問題の核心部分が全然わからないので、やっぱり表に書けない事情だからなのね、ということだけはわかりました。
90年代の売れに売れたTKブームの頃だけじゃなくて、ずっと前から小室さんの音楽や言動を長く見聞きしている人たちにとっては、疑問に思うことがありすぎるから。
いくら哲ちゃんファンだからって、詐欺の被害者のほうが詐欺師みたいとはもちろん言わないし、法的にも小室さんが悪いってことにちゃんとなってるんでしょう。きちんと法にのっとって償いをしてほしいと思います。
女癖が悪いのなんて今に始まったことでもないでしょうし、世間にバレてるかバレてないかであって、今回の容疑とは直接関係ないのに騒ぎすぎだし、100億円預金があって印税もこの先ずっと入るとあらば、ファーストクラス借り切ろうが高級外車いっぱい買おうが、借金なんて増えるはずなかった。莫大な借金を作った香港での失敗とやらを納得できるように説明している記事はこちらにしか見つけられませんでした。
小室さんが大阪で、洗いざらい全部話してくれたことを願います。
☆TM NETWORKファンが作った素晴らしいまとめサイト→http://tamanet.at.webry.info/200811/article_1.html
☆一緒にステージに立っていた音楽仲間【F.O.D.の西村麻聡(Vo,Bass)さん】の勇気あるコメント→http://blog.livedoor.jp/digiglam58/archives/51290970.html
全部日本からCDをまだ運びきれていないので、Youtubeとかラジオの小室さん関係の楽曲自粛もつらかった。。。
ナイナイの岡村さんもコメントしていましたが、この曲はホントにすごい、と初めて聴いたとき(このTVじゃなかった気がするけど、ラジオだったかな)に作曲者の名前をメモり、貸しレコード屋(懐かしい…笑)に走ったのを覚えています。
それが小室さんを知った最初で、もちろんすぐTM NETWORKのファンになりました。だから私の小室哲哉のイメージは、プロデューサーTKではなくて、シンセの櫓に囲まれてるキーボーディストの小室さんです。あとスコアの一段一段を目で追っても楽しめる、稀有なアレンジャーとして。
全部追いきれないほど、たくさんのアイドルたちに楽曲を提供している小室さんですが、聖子ちゃんの『キモノビート』や明菜の『愛撫』、キョン×2の『Good MorningーCall』もいいけど、これが一番好きかな。
数ある音楽番組の中でもとても面白かったT.K. Music Clampのエンディングでこの曲を歌ってるのは浜崎あゆみさんですが、元々はミポリン(中山美穂さん)に作ったBe Bop High Schoolのテーマ曲『Jingi愛してもらいます』。このアレンジのレコードがほしいな〜。先生はギター弾いてます。
TM NETWORKの中で好きな曲はそれこそたくさんあるけど、特別な1曲はこの『Self Control』
Perfumeの中田ヤスタカさんに先駆けて、いやDaft Punkにも先駆けてボコーダーを取り入れていた疾走感のある名曲。20年以上前のTM NETWORKのアルバムを今聴いても、なんら色褪せなし。古今東西数多のグループの中でも確固たるTMサウンドともいうべきオリジナリティがあって、ライヴの面々はB'zの松本孝弘(G) さんはじめ葛城哲哉(G)さんやべーあんこと阿部薫さん、FENCE OF DEFENSEのメンバーetcという豪華ミュージシャン。シーケンサー部分以上に生音が素敵な、いいバンドだなと改めて思います。
↑このとき武道館にいたし、クリスマスのときイヤがる彼氏をつき合わせて横アリ(小室さんのソロコンサート)にも行ったなぁ。。。
モーツァルトにシンクラヴィアはタイムマシンがないと難しいけど、心配事なくピアノに向かえる時間が早く小室さんに訪れることを祈ります。私にとっては、モーツァルトもドビュッシーも小室さんも、尊敬する作曲家です。
S君、貴重なDVDをありがとうっ。本日受け取りました。M先輩、誕生日が先生と同じなので忘れたことはありません(笑)、お誕生日おめでとう! そしてSさん、相変わらずあまりに達筆なお手紙に感動、ありがとう!(でもね、“I Want TV”、Youtube探してもやっぱりないの…)
プラハのこと読みに訪れてくださった方、ワケわからないポストでごめんなさい。今日は小室オタのつぶやきのみです。
バーガーキングあるいはプラハ的ファースト・フード První Burger King v ČR aneb Pražské rychlé občerstvení
本日チェコ第一号店となるハンバーガーチェーン、バーガーキングがプラハのズリチーン(Zličín、プラハ西部、地下鉄B線の終点駅)にオープンしました。
スタバに比べるとそうでもないけど、新聞やTVでも大きく取り上げられ、センターから離れた地下鉄最終駅のショッピングセンター(地下鉄B線の終点Zlicin駅前、Metropoleショッピングセンター2F)という地味〜な立地にもかかわらず、この通り長蛇の列。
あまりに長い列にくじけて2軒隣の、バーガーキング最大のライバルであるところのココでつい妥協しちゃった人たち多数。。。
でもミーハー☆リビチカは、チェコお初の、そして自身食べるのもお初のバーガーキング目指してやってきたので、列の後ろに並び、じっと我慢。そして…
およそ30分後、ついにゲット!(ファーストフードだってのにありえない…)
感想は…ただただデカイ。ごく普通のホッパー・メニュー(Whopper menu、フライドポテトとコーラが付いて109コルナ=約600円也)なるものを注文したのですが、お腹すいてたからよかったものの、かなりのボリュームでした。同時に頼んだサラダは凍ったまま出てきてギョッ。ハンバーガーは、トッピングして自分仕様にできるということで、チーズ&ベーコン入りを+20コルナでオーダー。バーガーのお肉は、今までのファーストフードにない焼き具合で美味しかったです。
ハンバーガー相手に写真撮ってるのは私ぐらいかと思いきや、けっこうあちこちでカメラを手に取る人たちを目撃。“První Burger King v Praze!”(=プラハで初めてのバーガーキング!)とハシャいで撮り合いっこしてるティーンエイジャーらしき女の子や、5,6人で来てハンバーガーと一緒に記念写真に興じる仲良しグループの少年たち、などなど。
日本では1993年に上陸し、マクドナルドの安売り攻撃などに負け、2001年にいったん撤退。去年再上陸し、現在は10店舗になるそう(Wikipediaより)。もうこっちに来て3年なので、全然知らなかった〜。しかし再上陸後の、ごく最近できたという神奈川初の店舗が本厚木ミロード店て。。。どんだけ地味やねんて感じなんだけど(あ、決して本厚木に悪気はないです)、プラハもZličínのショッピングセンターMetropoleという、地味さ加減では負けていない立地から、これがバーガーキングの戦略なのでしょうね。
Zličínの後は、Chodov(プラハ4区)のショッピングセンター内、Pankrác(同4区)、共和国広場のショッピングセンターPalladiumなどに随時出店予定。
チェコでバーガーキングを運営するのは、既にKFC、スタバ、ピザハットなどを中東欧市場で展開しているAmRest Holdingsという会社。オランダに登録するポーランドの会社で、やはり一度は撤退したポーランド市場でもバーガーキングを復活させ、現在ワルシャワやワロツラフなど5都市に8店舗ほどをかかえています。
チェコ市場では、マクドナルドに16年、KFCに14年の遅れをとって初進出となったわけですが、関係者によれば「機が熟した最適のタイミングで」参入を考えていたとのこと。というのも、マクドナルドよりハンバーガーがかなり大きいこともあって、同じような基本的セットメニューがマクドナルドのそれに比べると10コルナ(約50円)ほど割高になってしまうので、価値の違いが受け入れられるようにファースト・フード市場が熟すのを待つ必要があった、とのこと。
鳴り物入りで上陸したスターバックスも、あれ以来次々と支店を増やし、プラハで私が知るだけでも、最初のマラー・ストラナ広場店をはじめ、プラハのルズィニェ空港、Palladium内、Zličín店(下記写真)、旧市街広場の天文時計の前、Na Pořící通りのJosef Gočárの旧レギオン銀行(現在はČSOB)の並び、そしてもうすぐオープンするであろうヴァーツラフ広場店と増殖中。
ヴァーツラフ広場といえば、チェコの昔っからのファーストフードが健在。
私が来た頃は、まだソーセージ30コルナぐらいだった記憶があるけど、今やほぼ倍の50〜60コルナします。
好きな種類のソーセージを指差して、パン(チェコの、ちょっと酸味のある黒パンchleba)とマスタード、それにオプションでピクルス(okurka=オクルカ)も付ければ尚可。そばにあるテーブルで立ち食いが基本、夜中もやってます。
立ち食いといえばプラハのあちこちにあるお肉屋さんの中にあるイート・イン・コーナーは、朝からスープなどを食べる地元の人たちや、ランチ時は特に、つなぎの作業着姿の労働者のおじさんたちで混み合うディープかつ伝統的ファースト・フード。
パンにハムだけでもいいし、グヤーシュなどのスープ、煮込み系、チキンやカルバナーテク(にんにく味のパンチの効いた硬めのハンバーグみたいなの)、ジーゼック(豚カツ=下記写真、ポテトサラダと一緒にいただく)など、お店によってはその辺のレストランより美味しかったりします。
この手のお店は段々と減っていますが、絶対になくならないでほしいもののひとつ。チェコ語で注文が基本なのが外国人には敷居が高い?ところですが、慣れるとチェコ人気分をたっぷり味わえて楽しい。
クネドリーキも1枚から頼めるから、食べられる分だけ注文できて無駄知らず。一皿50コルナしないで食べられるところも。
さて、旦那の野暮用につきあってコトヴァ百貨店の裏を歩いていたら、季節柄、申し訳程度の小さなクリスマス屋台がいくつか出ていました。
ここのJehněčí klobása(イェフニェチー・クロバーサ、仔羊肉のソーセージ、55コルナ)がめっちゃ美味!
パンはフレバじゃなくてフランスパンをカッリカリにトーストしてあって、マスタードもちゃんとしたDijon味がするリビチカ一押しソーセージ。お近くを通ったら是非♪
隣のベルギー・ワッフルもおいしそうだったな。。。
寒くて長い冬が始まってしまったプラハですが、あったかい美味しいもの食べて乗り切りましょう♪
伝説のお菓子屋さん、Myšák再オープン
プラハはこの週末、雪が降りました。手袋と帽子がないとつらい厳しい寒さ。
休みだし寒いしで、家でぬくぬくしていたい時に限って吹雪の朝のなかプラハ城へ行く約束アリ。。。
T.G.Masaryk像の前で待ち合わせ、レンズ越しにまるで古い絵のようなプラハ城正門前の様子。
とあるグループに混ぜてもらって詳しいガイドさんと観光客気分でお城を見学。といっても今回は旧王宮内のヴラジスラフ・ホール(現在一部工事中)と黄金の小路のみ。
流れるように、でも機能的に丸い天井を錯綜する梁がいつ見ても見飽きない後期ゴシック建築会心の作。窓は一部ルネサンス様式になっています。
1493年から1503年にかけてベネディクト・リートによって作られたこのホール、縦62m、横16m、高さ13mの中央ヨーロッパでは教会以外最も広いホール。当時の人々は、この広さなのに柱がないことに驚愕したそう。馬上試合や宴会などに使われ、1934年からは大統領選挙の布告が行われています(ここ最近は例外でプラハ城内のスペインホールにて布告)。
ほんのり屋根に積もった雪が、黄金の小路(Zlatá ulička)の可愛らしい家々をお菓子の家のように魅せます。
絵本のなかのような色あいは、イジー・トゥルンカ(Jiří Trnka、チェコのパペットアニメーションの有名な監督さん)監修のもの。
みんなが写真を撮ってるNo.22の青い家は、フランツ・カフカ(Franz Kafka)が一番仲良くしていたという一番下の妹、オットラが借りていた家で、騒音アレルギーだったカフカが「一番静かに落ち着いて執筆できる場所」として何年か通ったところ。
聖ヴィート教会以外のプラハ城内で、いくら時間がなくてもここだけは外さんといて、という場所が以上2箇所。
さて本題。時はゴシックからトリップして20世紀前半、キュビズムの時代へ。
ヴァーツラフ広場から程近い、ヴォディチコヴァ(Vodičkova)通りに満を持して復活を遂げた伝説のツクラールナ(cukrárna)こと、チェコスロヴァキア第一共和国時代の人気甘味処“ミシャーク(Myšák)”が再オープンとあって、連日長い列ができました。一般オープンの土曜日のお店前は混んでるトラムの中状態。
ヴォディチコヴァ通りのキュビズム?でピンと来た方は、かなりの建築オタクかリビチカ日記オタク!(いらっしゃればですけど…)
以前の日記のココで書いていますが、途中、崩壊の危機を乗り越えて改築を終え、新聞やテレビでも鳴り物入りで再オープンの日を迎えました。
通りに面した1Fにはアイスクリームとコーヒーのみ注文できる小さなカフェ・スペースがあります。
そして階上の広いカフェスペースへ上がる階段のところ、当時のスタッコ画を忠実に再現した天井をお見逃しなく。
そして店内にはキュビズム・デザインの鏡がついてるドアがあちこちに(嬉)!
2年前の記事のなかで、このミシャークの入っている建物のファサードを「ロンドキュビズム」と書いていますが、私が通っている建築講座の先生、建築歴史家のZdeněk Lukešさんによると間違いだそう。キュビズムというよりはアール・デコのくくりに入るとのこと。このファサードをデザインした建築家ははっきりとした記述がないのですが、関係者の日記などから、あのヨゼフ・ゴチャール(Josef Gočár)ではないかと推測されています。同時期の彼の有名な作品、Na Poříčí通りにあるレギオン銀行も、よってアール・デコ様式にカテゴライズされます。
ちなみにこのLukešさんもカフェ好きで、20世紀の建築の専門家なので一般公開に先駆けた関係者オープンの日に訪れたそう。そこでインテリアについて記者から「あなたなら他にどのようなデザインのものがここに合うと思われますか?」と尋ねられ、「キュビズムデザインのお菓子」と真面目に答えたそうな(本人談)。既にキュビズム博物館内のカフェ、Grand Cafe Orientにキュビズム・ドーナツというのがあるんですが、私的にはダメ出しさせてもらいたい、ぬるいデザイン(笑)。Myšákには是非ともちゃんとしたキュビズム・スイートを考案してもらいたいところです。
店内の家具はイタリアから取り寄せたものだそうですが、いまいち色が白すぎて明るすぎる感じ。オリジナルの写真から受けるような、暗い感じにしてほしかったな〜。でも入口やドア、1Fの床のモザイク、大理石の階段など地上階のインテリアのほとんどは当時のオリジナルを生かしているのだそう。スタッフが博物館へ当時の写真を検証に通って細部まで再現しようとしたため、改築に3年もの時間が費やされたのだとか。古いものをできる限り後世に残そうという姿勢は、尊敬できるところ。
階上のカフェ・スペースでいただけるスイーツはたくさんあります。価格帯は40〜130コルナぐらい。当時から評判というココのキャラメルがたっぷりかかったTiny Myšák(“小さなネズミちゃん”)という名前の、創業者František Myšákのレシピをもとに再現した一品(70コルナ)を試してみました。オーソドックスな味だけどキャラメルは確かに美味しい。
初来店だから定番を、ということで“Coffee à la Myšák”75コルナを注文。コーヒーは香りよくなかなかの味でした。
生クリームの上にも自慢のキャラメルがかかっています。
1904年に創立されたこのツクラールナ、1911年に現在のVodičkova通り31番地に移ります。通った有名人は多数。チェコスロヴァキア初代大統領のT.G.Masaryk(ここのケーキで80歳を祝ったのだとか)をはじめ、Beneš大統領、1949年以降国営化されたあとも、Gottwald大統領らが通っています。政治家のほか、Oldřich Nový(俳優)、Ema Destinová(オペラ歌手)、テニスプレーヤーのKoželuhなどなど。
店内にはリアルタイムで通っていたと思われるお年を召した方々が目立ちました。
まだオープンしたばかりで入店するのに並ぶかもしれませんが、カフェ・スペースは140席のキャパシティなので順番はわりとすぐ来ます。第一共和国時代のチェコスロヴァキアの雰囲気を感じに、またすいた頃を見計らって訪れてみたいと思います。
◇Cukrárna Myšák◇
・Vodičkova通り31番地(トラムのヴァーツラフ広場駅からヴォディチコヴァ駅の間にある)
・営業時間:年中無休、午前8時〜22時(ただし閉店時間は調整中のよう)