最後の日

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今までの人生で、たくさんの最後の日があった。


今思えば、あの日が彼女との最後の日だったんだな。その日は、ほんといつもどおりの一日だった。


彼女は大学の薬学部に通うために遠くの街に下宿していて、僕はというと、大学には行かずに、バイト先と彼女の下宿先を片道2時間かけて行き来していた。
夜遅くに彼女の部屋に着いて、あれやこれやとくだらない事を言い合って、お互いの事を理解しようと必死だった。束縛とか拘束とかしか、表現方法を知らなくて、時々手を上げてしまったりしていた。


涙もあったけど、それ以上に笑顔もあったし、本気でぶつかり合っていた。いつもどおりに朝が来て、好きな音楽が古いステレオコンポから流れて、シャワーからの水音を聴きながら、ぼんやりと擦りガラスごしの彼女を見ていた。
彼女は綺麗な髪を乾かし、仕度をして、ヒールのかかとをカツカツと鳴らして、2、3の言葉を交わして、ドアをバタンと閉めた。


いつもどおりに、僕はベランダに周り手を振った。「いってらっしゃい」二人とも笑顔だった。なにもかもが普段通りで、傷つけ合いながらでも、少しずつでも分かり合えてきている二人がいた。僕はベッドの布団を整え、ベンジャミンに霧吹きで水をやり、昼からのバイトのために、自分の家に帰ったのだった。
今日みたいな日が、これからずっと続くと思ってた。その時は。


でも、それが最後だった、今思えば。それから、君は電話にも出なかったし、メールは宛先不明で返ってきた。君は引っ越したようで、電気はずっと暗いままだった。
それが最後だと、僕は気付きもしなかった。君もそういうつもりはなかったかも知れない。突然、最後の日が来ただけだった。それに気が付く術はなかった。
最後の日は、その時は理解できず、後から実感することになるものだ。二、三日、数ヵ月後、あるいはもっともっと後になって、実感として突然やって来るものだ。涙のちからは、到底及ばない。


もうひとつ、最後の日の話をしようか。


就職で、遠くの街に来た当時、地元の一番仲の良い友達と連絡を取り合っていた。ずっと友達だよねと心ではお互いに思っていた。と思う。おそらくだけど。
でも、ここ三年程、声を聞いていない。ついこの間、連絡をしたのだけれども、声を聞くことはできなかった。


最後の日……、そういえば、最後に連絡したのはあいつの方からだったな。夜の十二時くらいまで残業していたときに、携帯がブルブルと震えた。あまりにも遅い時間で開き直っていた僕は、元気よく電話に出た。
あいつの元気のない声が聞こえてきた。
波に乗り始めていた僕は、ただ『がんばれ、がんばれ』と繰り返した。
君は、ただ『そうだね』と言って、電話を切った。
何もかも、理解できていると思っていた。でも、理解できていなかった。あいつは、電話切った後、自分の手首も切ったらしい。躊躇い傷もなく、一本の深くて真っすぐな傷だったらしい。そう、別の友達に告げられた。電話の後に、というのは、時期的に僕がそう思っているだけだけど。


最後の日は、突然やって来るのだけれども、時間が経って、はじめて実感できるものだ。今日のこの日も、突然の最後の日なんだろうなと僕は思う。
それに気がつくのは、数ヵ月後か、何年後か、一生かかるか分からないけど、今日は僕にとって何らかの最後の日なんだろう。


それを悲しんだり、脅えたりするのではなく、必然と思えれば、今日会った人、あったこと、見たもの、感じたこと、全てを全力で愛でることができる。全力で思い、ぶつかり合い、来た道を振り返れば、最後と言う名の笑顔が咲いているだろう。それを見て、僕も悲しい顔するではなく、微笑むことができたらいい。
今日のこと、全てに感謝して、明日も頑張っていこうかなと、僕は思う。