svnseedsさんが人気な件

1stブクマカーたる僕が何か言ってもいいはずだ。
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20060908#p1


エントリの内容に対するネタだったら何を書いてもいいはずだ、と思ったので書いてみる。

日本語で上手な文章を書くための「べからず」を無視した書き方(≒日本語的にはオッケーなはずの文章)


日本語の響きは美しい。『美しい』という言葉自体を美しいと感じる人も多いのではないだろうか。そもそも日本語は音韻から発達した言語だと言われているが、仮に日本語が理論どおり音韻から発達したと考えれば、五七五といった音韻重視の抒情詩の体系が発達するのも当然であると思われる。


しかし、日本語は実は五七五といった形式美に沿う言語ではないのではないかと不安に思う日々を過ごしていた私がここにいる。その煩悶を抱えていた(はずであるところの)私に突然の吉報が舞い込んできた。といってもここでその詳細な状況を伝えてもせんのないことであろう。ただ、『過言ではない』と呼ぶべき状況が訪れたのである。簡略に言えば、私の煩悶の大部分は、最近の研究による当座の主張--つまり日本語は『美しく』あるべきかという根源的な問い、言い換えれば、日本語というのはそもそもどういう目的によって体系化されたのかという問い、に対する発見とよぶべき成果が上がりつつあるはずなのだ。これらの発見によって、徐々に『美しい』日本語という体系を分解・再構成すること、それ自体が意味を持ちつつあるといえる可能性が高いのではないかという報道を見た。


海外の人にとって俳句は理解しにくいとよくいわれる。そういえば昔の同級生が「フランスで通じる笑顔とロシアで通じる笑顔は違う」と苦笑交じりに言っていたことを思い出す。彼のその後ははっきりしないまでも、彼の伝えたかったことは胸に染み込んでいると感じる人が多いのではないだろうか。


そもそも日本語の文章とはいったいどういうものだろうか?


結論は簡単だ。しかし結論にたどり着くまでの道のりは遠い。我々のように日本語を自由に使う人々には分からないというあきらめのもとでこの問いは発せられるべきだ、という一文で全てが言い尽くされているはずであり、読みにくい、趣旨がよくわからない、結論が不明だ、などといった数多い批判が存在するという事象自身に対する疑いの眼差しを向けるべきであるというほどの政治的含意を捨象した上でのマイノリティであるはずなのだが、ある意味では少ないからこその自由がそこにあるという意見も完全に捨て去るべきではないだろう、という意見が最近勃興している理由ははたしてどこに起因するのであろうか?


しかしちょっと待って欲しい。そもそもの日本語はどのような状況で使用されてきたのか。この点を明らかにしない限り全ての分析は無効であり、無意味である、と定義したのが誰なのかはいうまでもないであろう。


使用人数・民族・政治体制といいった様々なものさしで考えてもマイノリティ(ここでいう「マイノリティ」とは政治的弱者を意味しない。どちらかといえば言語的強者であるが故の迫害を受けている可能性がある集団と理解して欲しい)な言語だと批判が多い。つまり、日本語で、日本人が書く文章の国際的評価は低いと言わざるをえないのではないか、という批判をよく耳にする。しかし、この手の批判を行う人物が果たして正しい日本語を使いこなしているのかというと、その店に鍵って言えば甚だ心もとないというひとを私は知っている。


では、なぜ私はこのような複雑であり結論の出ないはず(であり、あるいは可能性であり、しかもそれこそが発展性と言い換えてもいいような状況下でのこの質問をすべきであると思った私の経験、ここでいう経験とは他者とは一切の互換不能な固有の--ここでいう固有という言葉の意味を性格に把握できる者はそもそもこの文章を読んでいないであろう--過ぎ去り方をどこかで思い浮かべたはずであり、その追憶こそ、そこにこそ日本語というものの本質が隠れている、いや、隠されているはずであり、さらにいえば隠されているからこその日本語であると言われて久しい。


ただ立ち止まって考えるべきことは、この日本語の捉え方自体が既に他者を参考にせざるをえないということかもしれない。厳密な意味で「他者」を「参考」にするということが可能かという問いをめぐってずいぶん議論をした時期もないとはいえない。しかし、ここで重要なのは「考える」といいう行為--行為の定義は既に読者には明らかであろう--をどのように捕らえうるかという問題ではないのだろうか。


そもそもこの問いを発した者は誰だったか。彼の日本語に対する視座をどのように批判的に解体した者がいたか。このような根源的な問いに答えるには音韻的な『日本語』で対照するしかないというのが通説になっていたはずであり、さらにいえば、そもそもこの問いを発すること、その行為それ自体をどこかで糾弾すべきであったといえないだろうか。

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と、ここまで書いてきたけど疲れたので、寝る。つか散文的なもの以外書けなくなっている自分に愕然とした。