ピグー税エントリのはてブコメントに対してのコメント


はてなブックマーク - I 慣性という名の惰性 I - 海の向こうでピグー税がえらく盛り上がっている件


これらのコメントは大きく分けて次の三つ(+1)くらいに集約できるかな、と。

  1. アメリカは公共交通機関が貧弱(都市も地方も)なので無理なんじゃね?
  2. 経済理論を知らない一般人が理論通りに動くの?
  3. 経済学って知っとくべき?
  4. 経済学の無知を嘆くのは思考停止じゃね?

以下、それぞれのコメントについてコメントを。

1.アメリカは公共交通機関が貧弱(都市も地方も)なので無理なんじゃね?


⇒「公共交通機関が貧弱だから」ではなく、「自家用車のコストが低すぎるから」と考えるのが経済学


経済学的に考えた場合、問題の捉え方は「公共交通機関が貧弱だから、ガソリン税はねえよ」とはならず、「自家用車をぶいぶい乗り回すコストが低すぎるから、公共交通機関やガソリン自動車以外の移動手段が発達していないのだ」となる。


屁理屈だ!という前に、これが世の中で広く観察できる事実だということを納得していただこう。「自家用車」と「公共交通機関」を次のように置き換えればごく当たり前の話に聞こえないだろうか。


「バカ高いコンピュータなんて導入するよりは、人手でやったほうが安い」⇒コンピュータの処理能力のコストが安くなったら何が起きた?

「海底油田なんてナンセンスだ。採掘するコストが全然あわないじゃないか」⇒原油価格が上がるにつれ海底油田のコスト競争力も出てきたよね?

「携帯電話なんていらないよ、公衆電話が街中にあるじゃん」⇒携帯電話の価格が下がったら一気に普及して公衆電話を駆逐したよね?


ようは「相対価格」の問題にすぎないわけ。ガソリンの値段が上がるということは、他の移動手段のコストが相対的に下がることを意味しているに過ぎない。そうすると「今までは自家用車に比べるとコスト競争力がなかった」移動手段にコスト競争力が出てくるはず。そしてその代替的な移動手段はなにも公共交通機関だけとは限らない。


例えば、近くに住んでる通勤先が近い人が集まって一台の車でまとめて通勤したらどうか。ほんとの田舎だったら馬で移動するのがもっともコストの安い移動手段になるかもしれない。電気自動車に買い換えることも選択肢の一つだ。引越しも当然の選択肢になる。「移動する」ことのコストが高くなったら、その消費を控えるのが合理的な選択だから。通勤という「移動」を控えるテレワーク(古いねえ)なんてもののコスト競争力が格段に跳ね上がるかもしれない。


ガソリン税を高くすること」の論理的帰結は「公共交通機関への移行」ではない。今まで不当に安く提供されていた自家用車による移動を適正コストにすれば、他の移動手段のコスト競争力が相対的に高まるよ、という話だと理解すべきだろう。


あと、先のエントリでは紹介してなかったが、Mankiwのエントリはガソリン税導入のタイムスパンも同時に示されている。


ガソリン税を上げるべきだ。時間をかけて着実に。議会にはガソリン1ガロンあたり1ドルの増税を求める。ただし、増税は年10セントずつ、向こう10年かけて行う。」


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ちゃんと代替手段が講じられるだけの時間的余裕はとっているわけだ。


あと10年後にはハイブリッド車の価格も下がっているだろうし、今から公共交通機関の建設に着手すれば間に合うかもしれない。そしてガソリンが値上がりすれば、公共交通機関の収益性も今よりは改善するかもしれない。今後の移動コストの上昇を考慮に入れてなるべく都心に家を買おうとする人が増えるかもしれない。郊外型の大規模ショッピングモールの出店計画をとりやめ、都心型・小規模のコンビニに投資計画を切り替えるかもしれない。


それでもなお自家用車でないと、という人は高いコストを払うだけの効用を得ているという話に過ぎない。

2.経済理論を知らない一般人が理論通りに動くの?


⇒経済学の知識の有無ではなく、市場の有無こそが大事


誰でも高くなったものは買わなくなる。安くなれば消費を増やす。この単純な事実は経済学の知識の有無とは関係が無い。ガソリンが高くなれば消費は減る(短期的には減らないかもしれないが長期的には減る)。


こういった需給関係の変動は市場が存在するために起きる。経済理論なんか知らなくたって、結果的に人は市場に従った動き(=経済学が予測する行動)をとっているものだ。


ガソリンの値段が税金で高くなったら何が起きるか?一時は他の消費を減らしてガソリンを同じ量消費するかもしれない。でも将来的に電気自動車が安くなり電気代がガソリンと比べても十分安い水準になれば、わざわざガソリン自動車にこだわる理由は全くない。今は単にガソリンが安いから、ガソリン自動車が使われているだけだ。


問題は『外部性』がある場合だ。この場合は市場はうまく機能しない。というわけで、この点については次のコメントへのコメントで考えることにする。

3.経済学って知っとくべき?


⇒知っとくべきでしょ。特に何らかの政策を批判的に検討するつもりがある人であれば


経済学の一番面白く、かつ一番理解しにくい部分は、「何かが変われば、ほかの何かもそれに関係して変わる」という考え方にあると思う。


例えば、「医療費を今よりも安くすればみんなハッピーじゃね?」と思ったとする。これは供給側だけしか見ていない。経済学的に考えると、「医療費を安くすることによって医療サービスの『浪費』が起きるだろう」と需要側もあわせて考える。それまでは病院に行くまでもない症状の人が、医療費が安くなったせいで病院に行き始めるかもしれない。ちょっとどっかをすりむいたとか、なんか熱っぽいんだよねとか。そうするとどうなるか。本当に治療が必要な人が押し出されてしまうかもしれない。少なくとも病院のロビーは混みまくるだろう(老人医療の自己負担がなかった時期の病院のロビーを思い出して欲しい)。無定見に供給を増やして値段を下げることだけが正しいわけじゃない。需要と供給の両面を常に考える必要があるわけだ。


また、経済学は常に市場が万能だとも思ってない。『市場の失敗』という経済学の中でも重要な概念がある。『市場の失敗』とは、思いっきり抽象的に言えば「本来コストを負担しなければいけない人がそのコストを負担しないために起こってしまう歪み」のことだ。


公害なんてのが典型だ。公害を垂れ流す工場があったとする。この工場の周りの周辺住民はすごく困る。でもその工場の製品を買っている全世界に散らばっている大多数の人たちは困らない。これを解消するにはどうするか。それにはその製品を買っている人たちから、公害を取り除くためのコストを徴収することだ。コストを払うべき人にきちんとコストを払わせることが出来ないケースは多々ある。これが『市場の失敗』だ。公衆便所がほっとけば汚くなることもそうだし、地球温暖化もその一つかもしれない。


地球温暖化が何が原因で起こっているのかについて、僕はまだ明確に二酸化炭素犯人説を信じきっているわけではない。ただ、仮に二酸化炭素が犯人だとしたら、地球温暖化が引き起こす悪影響のコストを負担すべき人は誰かというと、二酸化炭素を出した人たちだという話になる。


地球温暖化によって(起きるかどうかしらないけど)北極の氷が溶けて海面が上昇してバングラデシュの国土の半分が水没しちゃったとする。このコストを負担すべき人は誰か?バングラデシュの国民?そうじゃないだろ、というのがピグー税を唱えている経済学者のメッセージだ。


二酸化炭素地球温暖化の犯人だとしたら(僕の中ではあくまで仮定の話だけど)、その影響のコストを負担するのは二酸化炭素を排出した人たちであるべきで、そのコスト負担をガソリン税という形で負わせることがもっとも公平に思える。そして、このガソリン税は全ての国に適用されるべきだ。リッターあたり50円なら50円。先進国だろうが発展途上国だろうが、とにかくガソリンが環境に与えるダメージは一緒なんだから、それを使ったのが誰であろうときちんとコストを負担させるべきだ。


で、この『市場の失敗』というのは、不利益が特定の人に集中したり、逆に不利益があまりに多くの関係ない人たちに広く薄く押し付けられていたりするので気付かれにくいという側面がある(例えば補助金とかは後者に該当することがある)。こういった『市場の失敗』をきちんと探し出して是正するのも経済学の重要な活動の一つだ。


その意味で、何らかの政策を批判的に検討したい人は経済学の考え方をきちんと抑えておくべきだと思う(というか政策決定者はすべからく経済学的思考を身に付けとけよと思うが)。

4.経済学の無知を嘆くのは思考停止じゃね?


⇒押忍!おっしゃるとおりです!甘ったれてました!


というわけで、これからこのブログは経済学ネタを広くあまねく紹介して、皆様の経済学への理解を深めていただく一助として活動してまいりたいと、そういう思を新たにしたわけであります。


具体的なビジョンとしては、『経済学ネタ版 GIGAZINEを目指す*1ということで。違うか。


ま、こんなところで。

*1:だって最近海外有名ブログの翻訳・紹介しかやってないんですもの