小俣龍の「龍の言い分」

2019-01-07 『紅白歌合戦』の今後を考える!  [ 2019年1月7日 ]

平成最後となった『第69回NHK紅白歌合戦』は、白組の優勝で終わった、らしい。

“らしい”、などと書いたのは、実は、筆者はこの番組を観ていないのだ。例年なら裏番組のCMの時間などを使って、時々覗いていたが、今回はそれすらしなかった。

いつの頃からかは覚えていないが、筆者はこの番組への関心を全く失ってしまった。「『紅白歌合戦』は、こんな番組ではないはずだ!」、という思いが強い。

一方、インターネットなどで調べてみると、今年の『紅白』はかなりの盛り上がりをみせたようだ。関東地区のテレビ視聴率は2017年を上回る41.5%だったという。2年ぶりに40%台の回復であり、まずはご同慶の至りである。

今回の盛り上がりは、多彩な顔触れの出演者と彼らによるパーフォマンスのお蔭のようだ。サザンオールスターズが35年ぶりに紅白に登場して、“大トリ”をつとめ会場を沸かせた。ユーチューブでこの場面を観てみると、観客が一体になっての大変な熱狂である。

さらに、松任谷由実(ユーミン)がサザンの歌に乱入して、一緒に歌って盛り上げる。最後に、彼女は桑田佳祐に抱きつき、熱烈なキスをしている。場内の興奮は最高潮に達する。サザンの時間の瞬間最高視聴率は45.3%を越え、歌手の中では最も高かった。

また、人気のキャラクターである、5歳の女の子、“チコちゃん”が随所に登場して場内を沸かせたという(写真)。司会の櫻井翔君に、「なぜ紅白歌合戦は『紅白』なの?」と尋ねたらしい。

櫻井君が、「紅白でめでたく新年を迎えるってことですかね」と答えると、チコちゃんは、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」という例の決めセリフを発した。ここでも大いに盛り上がったという。




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“チコちゃん”も登場した紅白歌合戦( “ついっぷるトレンド”より )




一方、筆者にはこのような番組の盛り上がり方には、些か違和感を覚える。「歌合戦」の主役である肝心の歌手とその曲が盛り上がりに全く貢献していないようなのだ。サザンの登場は「番外編」であり、合戦のために出演したわけではない。

今回は『紅白』の歴史を振り返りながら、今後のあり方を考えてみることにしたい。

NHKも真剣に番組のあり方を考えないと、“チコちゃん”に「ボーッとするな!」と叱られる筈だ。




史上最高の視聴率を出した“お化け”番組




NHKの『紅白歌合戦』は、“お化け番組”と呼ばれている。

“お化け”の理由は、69回も続いているという長寿番組ということもあるが、もっと凄いのが視聴率の高さだ。1963年(昭和38年)の第14回では81.4%というとてつもない視聴率を出している。写真がその時の舞台の様子であるが、見てのとおり白黒テレビの時代である。




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第14回紅白歌合戦( 音楽工房「CASSATA」より )




この時の視聴率は、テレビ番組史上で堂々の1位である。2位は1964年(昭和39年)、東京オリンピックにおける女子バレーボール決勝戦(日本対ソ連)の66.8%である。

興味深いことに、1位と2位の間にたくさんの『紅白』が入っている。例えば、『紅白』の2位は1972年(昭和47年)の80.6%であり、3位は1962年(昭和37年)の80.4%などである。

ここで、史上最高の視聴率をたたき出した1963年の『紅白』の内容を概観してみよう。

『紅白』が国民的番組となって、ものすごい視聴率をたたき出し続けていた原点が見えてくる。

まず、当時は夜の9時〜11時45分の番組であり、紅白が各25人(または組)の対決であった。紅組の司会は歌手の江利チエミ、白組はNHKアナウンサーの宮田輝である。紅組のトリは美空ひばりであり、「哀愁酒場」を歌った。白組は三波春夫で、「佐渡の恋歌」だ。

『紅白』では、誰がトリを務めるのかということ以上に、どんな新人歌手が選考されるのかということに興味が集中していた。毎年数多くのヒット曲が生まれ、魅力的な新人歌手が続々誕生する中で、だれが『紅白』に初めて登場するのかということは、国民共通の関心事であった。

この年の白組の初出場は、北島三郎(「ギター仁義」)や舟木一夫(「高校三年生」)、などの6名だ。

紅組は、賠償千恵子(「下町の太陽」)、梓みちよ(「こんにちは赤ちゃん」)や中尾ミエを初めとする3人娘(中尾ミエの「バイ・バイ・バーディ」など3曲)、などの8名である。

そのほか、話題を呼んだ歌手と曲をあげてみよう。紅組では、吉永小百合(2回目、「伊豆の踊子」)や西田佐知子(3回目、「エリカの花散る時」)などが、筆者の記憶に鮮明に残っている。

一方、白組では、坂本九(3回目、「見上げてごらん夜の星を」)や植木等(2回目、「ホンダラ行進曲」)などが大いに場内を沸かせていた。

歌手名と曲名を聞いただけで、その1年のことが鮮明に蘇る。これが最盛期の『紅白』なのだ。




『紅白歌合戦』の誕生




老若男女を問わず誰もが口ずさむ曲があり、それを歌う歌手が大勢いた時代である。家族や一族郎党が揃って画面に見入り、その1年を振り返っていたのが『紅白』だったのである。合戦という色彩も強い。勝負の行方を家族で予想しあい、固唾をのんで結果を待っていた。

一方、『紅白』そのものが誕生した時の番組編成は全盛期のそれとはかなり違っていたようである。

『紅白』の原形となった番組の誕生は、1945年(昭和20年)の大晦日に遡る。番組名は『紅白音楽試合』であり、「合戦」という言葉は使われていない。GHQ(連合国軍最高司令部)が「合戦(battle=戦闘)という言葉の使用を認めなかったのだ。

ちなみに、「紅白」に分かれての対抗試合というネーミングは、番組のディレクターが剣道部の出身であり、“剣道の紅白試合”になぞらえたという。“チコちゃん”はこのことを知っていたのだ。紅組の司会は水の江滝子、白組は古川ロッパである。懐かしい名前である。

当時は、「音楽」試合であって「歌」合戦ではない。音楽の色々なジャンル別に試合が行われている。

例えば、バンド演奏による「長崎物語」とマンドリンによる「サンタルチア」の対戦などが組まれた。また、和楽器の対戦もあって、同じ「六段」を紅組が箏(こと)、白組が尺八によって奏でた。

面白いことに「童謡」の対決もあって、人気の童謡歌手であった川田正子(写真)が「汽車ポッポ」を歌っている。そもそも、この曲は戦時童謡であったのだが一部歌詞を変えて歌われた。

例えば、「兵隊さんを乗せて」のところは、「僕らを乗せて」に変わっている。




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“汽車ポッポ”を歌う川田正子( 「懐かしのポップス全集」HPより )




この番組は、「新時代に相応しい音楽番組を作ろう」という発想から生まれたという。“スピード重視、男女別、スポーツ性(試合形式)”という娯楽の3要素を取り入れた番組であった。

この番組は大きな反響を呼んだようであるが、番組はこの年だけで終了する。当時は同じ番組を毎年続けるという発想はなく、そんなことをするのは“能なし”だと思われていた。

『紅白』が今に近い形になって、正式に誕生するのが1951年(昭和26年)の1月3日でありお正月の番組であった。まだ、ラジオ放送の時代である。また、番組名は、『紅白歌合戦』であり、「第一回」とは謳われていない。この時も一回だけの番組として構想されたのだ。

大晦日に番組が移り、現在の形に近くなったのは1953年(昭和28年)の第4回からである。この年からテレビ放送が始まったため、『紅白』もテレビでも放映されるようになった。




幻となった『紅白歌合戦』の廃止




長い『紅白』の歴史の中で、真剣に廃止が検討されたのが1989年(昭和64年、平成元年)のことであった。この年の1月7日に昭和天皇が崩御され、時代は平成へと遷った。この年の4月にNHK会長に就任した島桂次(通称、シマゲジ)が、『紅白』の廃止の検討を命じたのだ。

1980年代に入ると、『紅白』の人気は急激な陰りを見せ始め、視聴率も50%台に急落していた。その年の9月、島会長は、「紅白歌合戦は今年で最後にしたいんだよ」と語ったという。

その1週間後、放送総局長の遠藤利男が、「今年は例年通り行いますが、紅白を上回る企画があれば来年からでも紅白をやめたい」と発言した。この言い回しは、明らかに“逃げ”である。これでは、「試聴率が50%を超えるよい企画が出ない限り紅白を続ける」、と言っているのと同じだ。

そういう中で迎えたのが第40回大会であった。開始時間が19時20分へと大幅に前倒しとなった。

19:20〜20:55の前半を「昭和の紅白」、21:00以降の後半を「平成の紅白」という2部構成にしたのだ。「前半」は、正に昭和を代表する名だたる歌手の勢揃いである。前半のトリは、紅組が都はるみ(「アンコ椿は恋の花」)であり、白組は藤山一郎(「青い山脈」)である。また、懐かしい「君の名は」(織井茂子)や「お富さん」(春日八郎(写真))が会場を盛り上げていた。




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「お富さん」を歌う春日八郎( ”チュウさんの今昔ばなし“より )




第40回以降はどうなったのか?案の定、『紅白』は廃止どころか、時間枠を拡大したままで69回の今日まで継続されることになる。これでは、まるで“焼け太り”である。

筆者の考えでは、この第40回で『紅白』の幕を一旦は閉じるのが正解だったと思う。

『紅白』は昭和の中で誕生し、昭和の中で“お化け”に成長した番組である。

振り返ってみると、昭和という時代は「家族」が中核に位置し、歌謡曲が全盛の時代であった。一方、平成に入ると、核家族化が進行し、独り者が人口の多くを占めるようになっていく。歌謡曲は衰退の一途をたどり、無国籍的な多様な曲が若者をとらえていく。誰もが口ずさむことが出来るようなメガヒット曲など生まれる筈のない時代になっている。

実際、昨年の第69回の『紅白』に出場する歌手の名前は半分近くが英文やカタカナである。よく知っている歌手が出ていても、歌うのは、“昔ヒットした”曲ばかりである。

家族でその年に流行った曲に耳を傾け、その年を振り返った時代は昭和で終わったのである。

『紅白』以上の企画が出るのを待つのではなく、平成最後の年をもって廃止の英断が求められる。“チコちゃん”に叱られないためにも、また、“能なし”と言われないためにもそれしかない。




《 結論 》


さすがに69回も続いた“お化け番組”である。

色々調べると、筆者の知らない興味深い事実や情報を知ることが出来た。

『紅白』に変わる番組案も考えてみたが、視聴率が40%を超える案など簡単には思いつかない。

かといって、その役目を果たし終えている『紅白』を続ける意味などない。

あの不世出の名横綱・双葉山ですら69連勝で終えている。

「69」で打ち止めにするのが賢明であろう。