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Making of Ryukoku-cha

2017-12-08

龍谷大学世界仏教文化研究センター応用研究部門 公開研究会のお知らせ

 (9月以降、経済学部のためにモーレツに働いていたので、ブログを更新できませんでした。が、おかげ様で伊達は元気です !)

 龍谷大学世界仏教文化研究センター応用研究部門 博士研究員・金澤豊さんの研究プロジェクトを、経済学部・伊達ゼミメンバーも応援することになりました。

 岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町の地元紙「東海新報」の鈴木英里記者を龍谷大学にお招きして、お話をいただきます。


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(クリックすると、大きくなります)



 伊達も担当する午後の部、参加ご希望の方は、お気軽にご連絡ください。( 伊達まで)

2017-09-19

陸前高田合宿レポート (4回生)

亀村

 「伊達ゼミナール」という形で陸前高田を訪れるのは今回で最後となってしまいました。

 初めて陸前高田に来た大学2回生の冬から3回目。

 多くの方々と出会い、交流をしてきて、自分の中にある「陸前高田に来る認識」が変わってきたなと感じました。

 不安だらけの初めての合宿は

「失礼がないように、上手くやらなきゃ」

と肩肘を張っていましたが、2回、3回と来るたびに、

「おばあちゃん達は元気かな、早く顔が見たいな」

と再会を待ち望むようになっていました。


 陸前高田に到着して、すぐに区長さんにご挨拶をしに、高田一中仮設にうかがいました。

 集会所をのぞいてみると、前回の合宿でもお世話になったおばあちゃん達が出迎えてくださいました。

 長居するつもりはなかったのですが、

「入って、入って!コーヒーでも飲んできなさい」

という優しい言葉につられて、おばあちゃん達との「お茶っこ」が始まりました。

 生まれたばかりのお孫さんを紹介してくれたり、陸前高田にできた新しいお店のお話をしてくれました。

 前回のゼミ合宿までお世話になっていたマイヤ竹駒店が閉店して、かさ上げ地に「アバッセたかた」が開店していたのですが、「アバッセ」は方言で「一緒にいこうよ!」という意味なのよ、と教えてくれました。

 最近では図書館もでき子供たちも遊びに多く集まるのだそうです。

 今まで子供たちの遊び場は限られていて、思いっきり遊ぶことは難しいことだったので、少しずつでも遊び場が増えるのはうれしいなと感じました。

 「また明日ね」と約束し、夕食に車屋酒場さんへ。

 飛行機と高速バスとで少し疲れていたゼミ生達でしたが、車屋さんの美味しい料理に夢中。

 女子達は「塩ホルモン鍋」をいただいた後も、ずっとそのスープを飲み続けていました。

 本当に美味しかったです!!



 合宿2日目は、集会所で芋煮会を開催。

 荷物の運搬のためタクシーを使って高田一中仮設へ向かいました。

 道中、タクシーの運転手さんが「どうすっぺかな〜、どこから行くべか」と悩んでいたので、理由を聞いてみると、かさ上げ工事の関係上、道路が毎日変わるのだそう。

 「俺たちはみんなの足なのに困っちゃうよね」と笑っておられましたが、周りを見渡すと、かさ上げ工事の山がたくさん。

 陸前高田に来るたびに毎回、「町が茶色い山につつまれている」と思い、いろいろなことを考えさせられます。

 次に私が訪れたときには、かさ上げ地や高台の上には家が建っているのだろうか

 陸前高田の人達が安心できる町になってきているのだろうか。

 タクシーからの景色を眺めながら、改めて考えていました。


 今回、4回生の仮設住宅班のゼミ生が少なかったため、一中仮設に到着するとすぐにおばあちゃん達が手伝いに来てくれました。

 「芋煮会は今年初めてだ」

 「芋の子もう売ってたのね」

と、おばあちゃん達に教えてもらいながら、下準備を始めました。

 おばあちゃんたちは、決断する時間や野菜を切るのが本当に早い・速い!

 「芋の子汁だけじゃおなかが膨れないからおにぎりを握ろう」

と、すぐに準備を始めてくれたり、

 「野菜やお肉をもっと入れたほうがいいから、今からマイヤに一緒にいって買いに行こう」

と提案してくれたり、

 「何年主婦をやっていると思っているの!今日は嫁入り修行ね」

と茶目っ気たっぷりに、ゼミ生たちを先導してくれました。

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 毎回、企画をするたびに問題を起こしてしまう私。

 前回の芋煮会では、大事なごぼうを買い忘れてしまい、泣きそうになってしまったり、今回は、野菜の量がみるからに少ない。

 それでも、

「大丈夫だぁ〜、家から持ってくるから」

「上手にできてるから安心しなさい」

と優しく救いの手を差し伸べてくれるおばあちゃん達。

 いつも味付けから何から何まで頼りきりでごめんなさい。

 でも直に「高田の味」を感じることができて、温かい気持ちに毎回させてもらっています。


 公営住宅等への引っ越しにより仮設住宅に住んでいる人も少なくなっているせいか、年々、伊達ゼミ企画に参加してくれる人は少なくなってきています。

 来年の3月には仮設解体のため全世帯退去になるそうです。

 陸前高田が復興に向かっているのはうれしい出来事だと感じる反面、

 「仮設から出ると交流がなくなりそう」

 「お金がないから家が建てられるか」

 「この歳になって引っ越しはつらい」

 これからへの不安の声があちこちから聞こえてきます。

 毎回、黙ってうなずくことしかできない自分の不甲斐なさに落ち込みます。

 それでも、

 皆さんが抱えてる不安・苦しみを聞いてあげることで、少しでも「共感」することができたら、

 私が力になれることを見つけられたら、

とずっとずっと思い続けています。

 夕食はいつもの鶴亀鮨さんで、3回生・4回生一緒に海鮮丼を頂きました。

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 今回は伊達ゼミも用意していた「愛のナイアガラ」で、大将と久しぶりの再会を喜びました。


 2日目は3回生との合同企画だったため、いろんな方とお話する時間が沢山ありました。

 まずは久しぶりの子供たちとの再会!

 毎回追いかけっこをして遊ぶ女の子はすっかりお姉さんになっていて、年下の子供の手を引いて面倒を見ていました。

 「勉強を教えてほしい」とやってきましたが、私の乏しい知識じゃ満足できなかったのか、「萌ちゃんじゃ話にならない」と言われてしまいました。

 次までにしっかり勉強しておきます。

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 そして、とても嬉しかったのは、私の「陸前高田の母」である方が引っ越し先の一関市から2時間かけて会いに来てくれたことです!

「萌が帰る前に来なきゃと思って〜」

とわざわざ予定を変更してまで会いに来てくれました。

 2年前、初めて会ったときは、お互いに気を使いながら会話していましたが、会う回数が増える度に、亡くなった家族のお話をしてくださいました。

 私を「娘のように思ってくれているの」と打ち明けてくださり、今では、「次に会うときは何をしようか」と次の約束をするようにまでなりました。

 新しく始めた生活は、最初は戸惑いがあったみたいですが、いまでは少しずつ慣れてきているそうです。

 駅前のカラオケで歌を歌うのが最近の楽しみだそうで、「次に来たときは一緒にお酒を飲みながら歌おうね」とうれしいお言葉!

 すぐに会える距離ではないからこそ気が付くことができた「また会おうね」の大切さ。

 集会所を後にする時も、私たちが見えなくなるまで手を触れ続けてくれた高田一中の人達と優しさに、涙が止まりませんでした。


 この2年間、陸前高田を訪れて感じたことは、町の復興は目に見えて進んでいるように見えるけれども、心の復興は決して目に見えないということです。

 だからこそ「一人、ひとり」と大切な時間を過ごすことで、その人が抱える多くの思いに気づき・寄り添うことができるということに気が付きました。

 次に来るときには、もう「伊達ゼミ」と名乗ることはできませんが、一人の人間「亀村 萌」として、またすぐに皆さんに会いに陸前高田にきます。

 そして一緒に、まだまだ終わることのないお話の続きをしましょう。

 「それでは、また!」

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追記

 「私たちの出会いは奇跡に近いことだ。1億人分の35人だから」

 先日メールで、3日目のBBQでお世話になった菊池司さんからゼミ生に向け素敵なお言葉を頂きました。

 本当にその通りだと感じました。

 菊池さんをはじめ、陸前高田の人達との出会いは私達にとって「奇跡」です。

 皆さんと何気ないことで連絡を取り合ったり、再会を喜ぶことができて本当にうれしいです。

 私達が皆さんと触れ合うことで少しでも明るさを与えられていたらと思うばかりです。(伊達先生には「何をえらそうに」「自己満足」と怒られそうですが、今日は言わせてください)

 「私たちの出会いは奇跡に近いことだ。1億人分の35人だから」

 この素敵な言葉を、ゼミ生をはじめ、今までお会いしたすべての方々に伝えたいと思い、最後に書かせていただきました。

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陸前高田合宿レポート(3回生)

山下

 ゼミ合宿で9月9日から12日までの4日間、岩手県の陸前高田市を訪れました。

 この地を訪れるのは2度目で、ちょうど7か月ぶりの訪問でした。(前回のレポートはこちらです)

 私たちが訪問する高田一中仮設は、2018年の3月末に解体されることが決まっていて、集会所での最後の活動になるかもしれません。

 ゼミとして今回は3班に分かれて活動しました。仮設班と漁業班は前回と同じですが、気仙茶の会の方々と一緒に茶園で活動する「気仙茶班」をつくりました。

 私は前回と同様、仮設住宅の集会所を訪問しました。

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 訪れてすぐに、前回と違うところがありました。

 いつもは、おばあちゃん、おじいちゃんが9時に集会所前に集まって、朝の体操・ダンスをしていたのですが、現在は、仮設住宅を出られた方が多くなってきたために、人が集まらず、「していない」とのことでした。

 実際に、仮設住宅は、前回来た時よりも「空室」という文字が目立っていました。

 朝の体操の代わりに、現在、おばあちゃんたちは、「BAPPAダンサーズ」を結成して、地域の色々な行事に参加していて、ダンスは別の形で続けているということをお話しされていました。

 仮設住宅を離れても行われるダンスの時間がまだあるということを聞いて、ホッとしました。



 今回も、お昼ご飯に、私たちが作った海鮮鍋を一緒に食べました。

 食事中、おばあちゃんたちと朝のダンスのお話になりました。

 Aさんが「今はこっち(仮設住宅)で暮らしてないから、朝のダンスの時間に間に合わないんだ」とおっしゃっていました。

 Aさんは、高田一中の裏に住んでいて、今年の春に引っ越しをしたようでした。

 その話に続いて、Bさんも、「私もようやく土地が見つかって、、、家も建設中なのよ。おかげさまで、12月には入居予定なの」とおっしゃっていました。

 Bさんは、気仙川を越えたところに引っ越しの予定で、「みんなと会えなくなるのは寂しい」と漏らしていました。

 Cさんは「私はまだ決まってなくて、この仮設がなくなったら、次は竹駒地区の仮設に移動するの」とおっしゃっていました。

 高田一中仮設は解体されることが決まっているので、Cさんは、別の仮設住宅に移動しなければならないのです。

 Cさんは続けて、「急に解体時期も決まったし、欲しい土地も家も順番待ちで、なかなか決まらなくて、、、新しい家を建てるのが今の夢かな」とおっしゃっていました。

 聞いていてとても辛くなるような内容でした。

 またCさんによれば、「引っ越し」が何よりも苦痛なのだそうです。

 荷物の片づけ・運搬・新しい近隣住民とのコミュニケーションと、とても困難が多いのです。

 Cさんには息子さんやお孫さんもいるので、「私は引っ越しはまだ大丈夫」、「でも、1人暮らしのおばあちゃんは心配」とお話しされていました。

 また、3人とも口をそろえて、「盛り土の地区や、津波の被害にあった地区にはあまり住みたくない」とおっしゃっていました。

 そして、Cさんは、笑顔で、こう付け加えました。

 「震災が起こった時は、もうだめだと思った。けど、そういいながら6年以上も生きてきた。この仮設にきたことで、お友達もできたし、みんなにも会えた。今は今で楽しいのかもしれない。何とかなるって考えは、時には必要なのかもね。」

 前回も感じたことですが、仮設住宅の方々は、総じて明るく、強いと、今回もつくづく感じました。


 翌日も、鶴亀鮨さんにご協力いただいた手巻き寿司を皆で食べながら、お話しさせていただきました。

 この日は9月11日の月命日でした。

 東日本大震災が起こって6年と半年が経ったという「節目」ということもあり、複数のテレビ局が取材に来ていました。

 あるテレビ局の方が、私へのインタビューの中で、「前回、仮設住宅に来てみた時と変わった点は何ですか?」と質問しました。

 その質問に対して、私は、入居世帯数の変化や、前日におばあちゃんたちと話した「引っ越しに追われていること」を強調して話しました。

 とても深刻なことだと思ったからです。

 今年の6月、仮設住宅の解体・集約化の大幅な前倒しが発表されたこともあり、仮設住宅に住む人たちが引っ越しの対応に追われていることが、大きく変化した点だと感じています。

 とても難しいことですが、政府の考える「復興」と、被災された方々の「復興」とは、あまりにも大きな「差」があるのではないかと感じました。

 ゼミの授業の中でもこの話は扱われていましたが、実際に仮設住宅に訪問してみて、より強くこの仮設住宅の集約化・解体の問題の大きさを痛感しました。


 私は、この合宿を含めて2回、高田一中の仮設住宅を訪問しましたが、何度も言うように、この訪問が、もしかしたら最後の仮設訪問の機会になるかもしれません。

 皆さんと集まれることも、もしかしたら最後かもしれないし、皆バラバラに引っ越してしまうと、集まることも困難になると思います。

 あるおばあちゃんは私たちが帰る前に、

 「ここ(集会所)がなくなったら、みんなの引越し先の近くの公民館を借りて集まれたらいいね。」

と言ってくださいました。

 「私たちの引越しの手伝いに来なよ」

と笑いながらおっしゃってくださる方もいました。

 前回の合宿から私のことをとても気にかけてくださっている方は、

 「またすぐに遊びにおいで。いつでも待ってるからね。集会所がなくなる前に4年生と遊びにおいで」。

 そのような声を皆さんにかけていただけるのは、今回が2回目の合宿となり、多くの方々と再会でき、皆さんとの距離が近くなったからだと思います。

 震災から6年と半年。

 長く感じるようですが、陸前高田の町を見ると、短いようにも感じます。

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 上の写真は今回撮影したものです。

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 上の写真は、前回2月11日に撮影。


 東日本大震災は、絶対に私たちが忘れてはいけない出来事です。

 これからも、私たちは、皆さんとの交流活動を続けて行きたいと考えています。

 そして、皆さんに会うために陸前高田に訪れます。

 今はまだ秋ですが、少しずつ気温も下がっていき、あっという間に冬も本格化してくるでしょう。

 体調には十分お気をつけください。

 また会える日を楽しみにしています。

2017-09-11

陸前高田ゼミ合宿 3回生 【速報】

 NHK盛岡で放映されたようです。

NHK NEWS WEB

仮設住民と学生 交流振り返る

9月11日 20時16分

東日本大震災のあと、被災地で最初に完成した仮設住宅、陸前高田市の「高田一中仮設団地」では、住民たちが、交流を続けている京都の大学生とともに、この6年半を振り返りました。

この「高田一中仮設団地」は、被災地で最初に完成し、発生のおよそ1か月後に入居が始まった仮設住宅で、京都の龍谷大学の学生がゼミ活動の一環で被災者とコーヒーやお菓子を楽しむ交流会などを続けています。

震災からちょうど6年半の11日の交流会では、当時を振り返る話が多く交わされ、「まだ行方不明の家族が2人いて納骨もできない」と学生につらい胸の内を明かす住民もいました。

住宅の再建や災害公営住宅の建設が進んできたため、市は、今後も、仮設住宅を集約する計画で、この団地の住民も今年度中での退去が決まっています。

住民の1人、菅原眞佐子さん(75)は「家族も多く亡くなって、まだ気持ちの上では復興した気持ちにはなれない。仮設から出てくれと言われても、80歳を超えた人も多いので、引っ越すのは大変で困惑してます」と話していました。


「住宅の再建・・・が進んできたため、仮設住宅を集約する」という言葉には違和感を覚えます。

《復興工事が延びに延びて、住宅再建が進んでおらず、仮設住宅に住み続けている住人》や、《来年3月になってもまだ住宅が完成しないのに、突然、仮設から出てくれ、と市から言われて困惑している住人》がいるからです。

 市は、仮設集約計画の変更について、もっと丁寧に住民に説明すべきだったのでは、と感じています。昨年2月に市は、住民説明会の場で、高田一中仮設住宅については「平成31年度まで空き住宅を整理するといった『段階的な集約をめざす』」と明言していたのですから(東海新報2016年2月17日付)。

(文責 伊達浩憲)

2017-09-08

陸前高田ゼミ合宿 4回生【速報】

 早朝、関空または伊丹空港を出発し、無事に陸前高田に到着 !

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 いきなりの車屋酒場...。

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 塩ホルモン鍋で夕食。

 くれぐれも粗相のないように。民宿 吉田でも。