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Making of Ryukoku-cha

2018-09-18

最近、 陸前高田関連の古本雑誌を集め始めました

〇『岩手の総合誌 地方公論』(青年社)9号、4月号、1973年

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 盛岡で発行された雑誌です。滝沢市の雀羅書房という古本屋さんからネット通販で購入しました。

〇『地域』1982年春第3号(NSK地方出版社)

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 気仙沼出身の西田耕三さんという方が発行人の雑誌です。

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 西田さんは、とても高い志を持った方だったということがよくわかります。

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 『地域』は、気仙沼のイーストリアスという古本屋さん(出版・編集業務も)からネット通販で購入。(店主さんのブログはこちらです。震災後、仮設店舗で営業されていたようです。)

 ひょっとしたら、震災前に陸前高田市内に所蔵されていたものはぜんぶ津波で流されてしまったのではないか、今はもう誰も集めていないのではないか....「地方の歴史・文化」が無くなってしまうのではないか...ちょっと心配になったので。(もちろん、陸前高田市立図書館は頑張っていますが)

 ゆくゆくは、陸前高田のどこかの図書館に寄贈しようと思います。受け取ってくだされば、の話ですが。私はコピーで十分ですので。

 

陸前高田ゼミ合宿 第2弾 (9/22〜23)

 速報もまだ書き終わっていませんが、

陸前高田ゼミ合宿 第2弾(9/22〜23)、学生3名+伊達で高田を訪問します!

 一泊二日で、宿泊は鈴木旅館です。


 予定は下記のとおりです。

 ・9/22(土):小友町の正徳寺を訪問

 ・9/23(日):「高田松原の会」の皆さんと一緒に、草刈り作業

  参考:「白砂青松」再生に難敵 松原で雑草繁茂が深刻に(東海新報2018年9月11日)

   23日(日)の夜に関西に戻ります。

 高田の皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

※2016年9月にゼミ合宿で「高田松原の会」の活動のお手伝いをさせていただいたことがあります。こちらのブログ記事を参照。

2018-09-11

陸前高田ゼミ合宿 《9月2日・3日》速報

漁業班は、福伏漁港と長部漁港で、エゾイシカゲ貝の仕掛けをつくる作業しました。

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2018-09-09

陸前高田ゼミ合宿 《9月2日》速報

【仮設住宅班】

 元・一中仮設の皆さんとの交流会を開催しました。

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 手巻き寿司を一緒に食べながら交流します。

 「いただきま〜す!!」

 こちらをクリックすると動画が再生されます(250MB)

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今回も、「つるかめ鮨」さんにご協力いただきました!(看板をひらがなにされました)

中心市街地での本設店舗の開店、誠におめでとうございます!

2018-09-05

陸前高田ゼミ合宿 《9月1日》速報

【気仙茶班】

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朝9時過ぎに米崎町の菊池会長宅に集合。会長のご挨拶の後、「北限の茶を守る 気仙茶の会」会員の車数台に分乗して、吉田茶園に向かいます。

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米崎町 吉田税さんの畦畔茶園で、会員の皆さんとともに、ツル払いや草取りをしました。

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お昼休憩の後は、小友町の三日市に移動。川原茶園で草取りをしました。

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どこに茶の樹があるのかわからないほど、背の高い草で覆われていました。

ハチに気をつけながら作業をします。

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手ごわいササとの闘いです。

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遠くに防潮堤が見えます。

小友町のこの三日市のあたりは、あの日、広田湾側と大野湾側の両方からものすごい津波が押し寄せ、甚大な被害を被った場所です。上の写真の大きな木の高さまで浸水したそうです。この茶園を世話していた川原さんも津波の犠牲となってしまいました。

 川原さんとはどのような方だったのでしょうか。生前の川原さんのお人柄をよく知る浄土真宗大谷派の寺院・正徳寺(小友町)の千葉住職に、ゼミ生たちがお話を伺ったことがあります。2015年のこちらのブログ記事を参照。


 国土地理院「浸水範囲概況図」より転載します。赤いところが津波浸水地域です。

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川原茶園は、2012年9月から、伊達ゼミの学生達と、気仙茶の会や国際ボランティアNGO・NICEの皆さんとが共同で草刈りをしてきた茶園です。下記のブログ記事をご参照ください。草刈りと交流の歴史です。

 ・2012年のレポート

 ・2013年のレポート(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)

 ・2014年のレポート(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)

 ・2015年のレポート(1)(2)(3)(4)

 ・2016年のレポート(1)(2)(3)

 ・2011年は、まだ「気仙茶の会」が結成されていなかったので、伊達ゼミは、前田千香子さんらのアドバイスをいただきながら、独自で、気仙町の紺野茶園の剪定作業をしておりました。こちらこちらです。(この時に、縁あって、栗村さんと初めて出会い、栗村さんのご尽力で、一中仮設住宅の皆さんとの交流が始まりました。あれから、ちょうど7年が経ちます。とても感慨深いです。)

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夜は、気仙茶の会の皆さんが、ゼミ生のために「海の幸BBQ交流会」を催してくださいました。

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お忙しい中、私たちのために日程を調整してくださいまして、誠にありがとうございました。感謝申し上げます。


【補足1】

 下の図は、震災後、「研究者のハシクレとして、陸前高田のために何かしなければ」との思いで、各種文献を読み漁りノートを作り(こちらこちら)、『明治7年 府県物産表』、『明治9年・10年・11年・12年 全国農産表』、『岩手県治一斑』、『岩手県統計書』、『作物統計』を元に作成した「岩手県における茶栽培面積と製茶生産量(1878年〜2012年)」のグラフです。

 「岩手県」と記してありますが、1890年代以降は、ほぼ「気仙郡」のデータだと言ってよいです。「園圃」は、ほ場型の茶園面積、「見積」は、畦畔型の茶園面積を示しています(左軸)。黒い線は製茶生産量(右軸)です。栽培面積、製茶生産量ともに、販売用も自家消費用も含まれています。

 グラフを見ると、19世紀末から20世紀初頭にかけて、茶の栽培・製茶が盛んになったこと、その「ブーム」が終わっても、とりわけ気仙郡では栽培・製茶がしぶとく続けられてきたことがわかります。

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(上の図の赤線は、単年度ごとのバラツキをならしてみるための処理で、5年移動平均値です)

 クリックすると大きくなります。

(注) 明治中期・後期の岩手県の茶の生産に影響を与えた要因の一つは、鉄道・海運など交通網の発達です(東北農業試験場・農林技官、大越篤『日本茶の生産と流通』明文書房、1974年を参照)。

 1890年(明治23年)、東北本線が盛岡まで開通し、他県産の茶が移入されるようになり、岩手県内陸部での茶の生産は減少したと考えられます。

 また、岩手県沿岸部でも、1897年(明治30年)に「東京湾汽船」が東京―三陸航路を開設し(気仙郡では大船渡と長部に寄港)、さらに、高田の商人らの呼びかけで1908年(明治41年)に設立された「三陸汽船」が航路を開設(脇ノ沢にも寄港)するようになると、沿岸部でも、他県産の茶が移入されるようになりました(大日本帝国港湾統計)。(もちろん、移入額に比べれば少ないですが、三陸汽船を利用して脇ノ沢から仙台方面に移出された気仙茶が存在したことも忘れてはなりません)。

 1900年(明治33年)の気仙銀行の設立に続く1908年(明治41年)の三陸汽船の設立は、陸前高田の商人たちの「心意気」を示す重要な歴史です。今日的視点から見ても「スゴイ」と感じます。

 三陸汽船の後身である三陸運輸(株)のHPや、より専門的には、

佐藤文吉(東北大学大学院)「地場資本の機能と限界―明治期の三陸汽船会社を事例に」(『農業経済研究報告』2009年)、

同 上「明治後期三陸汽船株式会社にみる『荷主組合』 の地域性」(『農村経済研究』2011年)

などを参照。

 なお、龍谷大学図書館には、東京湾汽船や三陸汽船の営業報告書を所収する『企業史料統合データベース』があります。学外者の方で閲覧されたい方は伊達にご連絡ください。(三陸汽船の営業報告書に記載されている株主名簿を見ると「勇気」がわいてきます!)

 

 気仙茶の歴史について、龍谷大学里山学研究センターの2012度 年次報告書にまとめたことがあります。2012年時点の、不十分な歴史認識のもとで書かれたものですが、よろしければ、ご参照ください。

 「岩手県気仙地域における茶栽培と製茶の歴史的展開─人びとの生業としての気仙茶─

 不十分ではあるのですが、その時に書き記した下記の認識は、今でも基本的には変わっておりません。当時の私(伊達)は、「どうして、陸前高田の人びとは、こんな悲惨な目に遭っても、『今年もまたお茶を摘みたい』と思うのだろうか」「津波で《根こぎされないもの》《流されないもの》が何かあるのでないか」と、その答えを懸命に探し回っていたように思います。その答えの一つが、歴史家フェルナン・ブローデルの力強い言葉「資本主義・市場経済の基底としての物質生活」=「日常活動」でした。

 「震災後、陸前高田に通ううちに、この地域の暮らしにおいて、自家用茶や山菜採りなどの生業の持つ大きな意義に気づかされた。このような生業を「日常生活を維持するための様々な生産活動」の意味で「日常活動」と呼ぼう。

経済社会の歴史的展開における「日常活動」の役割を強調したのは、フェルナン・ブローデルである。ブローデルは、『物質文明・経済・資本主義』において、長期にわたる人びとの経済的な営みを「物質生活」「市場」「資本主義」の三層構造として概念化した。この三層構造の基底にあるのが「物質生活」、我々の言葉では「日常活動」である。

私の理解する物質生活とは、長い歴史を背負った人類が、まさに内臓の中に吸収するように、彼自身の生に深く合体されているものであり、そこではあれこれの過去の経験なり興奮なりが、日常生活の必要性、凡庸性となっているのだ。そうであるが故に、誰もそれに注意をはらおうとはしない』。

資本主義や市場経済といった経済活動の層の下には、共同体の内部で毎年毎年繰り返される 「日常活動」の分厚い層があり、地域の人びとの中で受け継がれてきた「日常活動」の記憶が自家用茶の栽培・製茶・消費を支えてきたのではないだろうか。

経済活動の土台をなす「日常活動」においては、資本主義や市場経済の原理すなわち等価交換や価値増殖の原理とは異なる、贈与や互酬の原理が貫き、自然からの贈与を利用した物質生活のルーチンが隠されている。」

 

 当時の私は、陸前高田において震災前から連綿と続けられてきた「資本主義・市場経済の基底としての、(彼自身の生に深く合体されている)物質生活」=「日常活動」こそが陸前高田の復興の「礎」になるはずだ、この分厚い「日常活動」が「礎」となってこそ陸前高田の経済・社会の再生が描けるのだ、と考えました。

【補足2】2018年9月11日に追記

 震災後、(a)小友町出身の漁師さんと巡り合ったこと、(b)小友浦の夕日があまりにきれいだったこと、(c)長年、農協にお勤めになられた菊池司会長から「ここは、戦後、食糧増産のための干拓地だった」とお聞きしたこと、(d)復興計画の中で小友浦の干潟再生計画がうたわれていたこと等々がキッカケで、小友町の歴史を調べたことがあります。こちらの2014年のブログ記事をご参照ください。

 「津波や国策、時代状況に翻弄された三陸沿岸の地域経済の歩みを凝縮したような場所、それが小友町・三日市」。

 2014年当時は、うかつにも「翻弄された」とネガティブに表現してしまいましたが、今では、違った見方(「翻弄されなかった歴史」)もできるようになりました。

 なぜなら、1970年代に、陸前高田市が構想した臨海工業団地造成計画(鉄鋼圧延・機械金属・化学工業・造船・食品コンビナート)や、岩手県が構想した開発計画(火力発電・石油精製・中小造船)を、陸前高田の市民・漁業者の運動ではね返すことができた、という誇るべき歴史を陸前高田は持っているからです。

 広田湾開発計画とそれ反対した市民・漁業者の運動については、「森は海の恋人運動」で有名な畠山重篤さんの著書、『日本<汽水>紀行』(文芸春秋、2003年)の「三陸リアス・広田湾秘史」の中に詳しく描かれています。

 「昭和四十七年十二月七日、対岸にあたる我が唐桑漁協も行動を起こした。二百五十隻の漁船を連ねて、広田湾奥までの海上デモを行ったのである。私も参加した。」(同上書、64-65頁)

 また、下記の読売新聞の記事でも、当時の運動の一端を知ることができます。

 「老舗7代目 湾守った」(読売オンライン、2015年1月6日)

 八木澤商店のHP

 環境社会学の立場から広田湾開発計画と住民運動について論じた学術論文として、

 友澤 悠季「『美しい郷土』をめぐって―岩手県陸前高田市沿岸部における開発と復興にかかわる断片―」『地域社会学会年報第28集』2016年5月

 同上「ここはここのやり方しかない―陸前高田市『広田湾問題』をめぐる人びとの記憶」中田英樹・高村竜平[編]『復興に抗する―地域開発の経験と東日本大震災後の日本』有志社、2018年に所収、

があります(伊達ゼミの活動をいつも温かい目で見守ってくださっている龍谷大学農学部・末原達郎学部長からご教示をいただきました)。

 「『被災地』とされる地域のことが、震災のみによって語られてはならない」(同上書)

 ぜひ、上記の参考文献をご一読ください。「陸前高田=被災地」とは異なる視座を学ぶことができると思います。

 震災後、たくさんの悲しみ・苦しみに直面して、また大ぜいの方々が仮暮らしを余儀なくされ時間的余裕もなかったため、復興計画の策定過程においてほとんど顧みられることのなかった陸前高田市民の歴史。

 震災の悲しみや苦しみは決してなくなることはないけれども、仮暮らしの段階をようやく終えようとしている今だからこそ、ほんの少しだけ、落ち着いて振り返ることができるのではないか。

 陸前高田合宿から戻って、そう感じています。

 2018年9月11日 震災から7年半 月命日の日に

(文責 伊達浩憲)

2018-09-04

陸前高田ゼミ合宿 無事に終了

9月3日の夜、仙台後泊組2名以外は全員、関西に戻りました。

後泊組2名は、本日の猛烈な台風のせいでピーチ欠航に直面しましたが、夜行バスに切り替え、明日の朝、京都に戻れる見込みです。

《追記》

9月5日、後泊組2名も無事に京都に帰還しました。