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Making of Ryukoku-cha

2016-09-27

陸前高田合宿レポート (4回生)

若林

【合宿1日目】

 ついに陸前高田「ゼミ合宿」も3回目...「ゼミとしては最後」となりました。

 気掛かりなことが2つありました。

 1つ目は、合宿2日目が月命日の11日であるため、私たちの気持ちや態度、

 2つ目は、仮設住宅から災害公営住宅への引っ越しの状況

です。

 このような不安の中、午前3時15分に起床し、車、空港バス、飛行機、電車、そして高速バスと、様々な乗り物を駆使し、16時48分、ようやく到着した陸前高田。

 前回も感じた「懐かしさ」。それとともに、最後となる合宿に「寂しさ」を感じながら、まず村上食品(魚屋大ちゃん)さんにご挨拶に行きました。

 鍋の具材を頼んでいましたが、「台風の影響で、直近まで魚の水揚げ状況がわからない」とのこと。翌朝にならないとはっきりとわかりらない状況でした。

 そして、お忙しい中、ご主人が、脇ノ沢まで車で送ってくださいました。初めて通る道が多かったのですが、この1年で災害公営住宅が完成し、道も少し整備されたようです。

 栃ヶ沢の災害公営住宅は、2棟のうち1棟はペットが飼えるそうで、「震災後、家族や友人を亡くし、ペットを生きがいにする人が増えた」とおっしゃっていました。


 気仙茶の会の菊池会長のご自宅へ。

 3.4回生合同で「伊達ゼミ歓迎会」を催していただきました。秋刀魚、鮎、帆立、ホルモン、お漬物、ぶどう、りんご、トマトなど多種多彩。

 どれも新鮮なものばかりで、本当に美味しかったです。

 ありがとうございました。

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【合宿2日目】

 9月11日。2011年3月11日、東日本大震災が起きてから、ちょうど5年半。

 高田一中仮設住宅に訪問し、集会所で「かき氷」をする予定でした。

 11日ということもあり、騒がしくせずに、集会所で静かに待つことにしました。

 災害公営住宅に移る人が増え、仮設住宅に住む人は、1年前よりもかなり減りました。

 お彼岸あけの9月末の引越しに向けて、毎日のように荷物を梱包し、公営住宅に運び出す作業をする人も多いです。

 お墓参りもあり、集会所に集まる人はかなり少なく、「静寂」を感じました。

 9時からのラジオ体操の参加者も4名のみでした。

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 ラジオ体操をしていると、合宿の度にお話して下さるしず子さんが来られました。

 「ちさちゃん!来てたのかい!昨日いなかったから、来てないんだと思ってたよ!!」

と手を強く握りしめながら、朝から温もりをいただきました。

 ラジオ体操が終わり、しず子さんに、

 「さだ子さんや、さき子さんはお元気ですか?」

と聞くと、

 「もうすぐ公営住宅に行ってしまうの」

と言われました。

 8月末にも多くの人が公営住宅に移られ、さだ子さんとさき子さんは9月25日あたりに移るそうで、今日も朝から荷物を梱包しているとのことでした。

 公営住宅に移る前にここに来れてよかった、と思いました。

 しかし、「毎日、作業だから、今日も明日も集会所に来られないかもしれない」とおっしゃいました。

 寂しい...。

 寂しがっていると、しず子さんは、さき子さんのお宅へ連れて行って下さりました。

 「知左ちゃんと紗季ちゃんが来てるよ!!」

 「はーい!!」

 久しぶりに会ったさき子さんは、少し元気がないようでした。

 毎日の荷物の梱包や、仮設住宅と公営住宅の往復。

 疲れが溜まり、目眩を起こしたため、少し休んでおられました

 「今日は行けないけど、明日は必ず行くね!最後だもん、あんたたちが来てるんだもん、行かなきゃ」

と言っていただき、さき子さん宅を後にしました。

 集会所に戻り、かき氷の準備を開始。

 黒蜜きな粉と抹茶の2種類を用意していきました。

 合宿も3回目となり、準備や片付けの要領も分かってきて、夕方の撤収の際にバタバタしないように、同時進行。


 14時46分。黙祷。

 「黙祷やめ」の合図とともに、皆さん、私たちに笑顔を見せて下さいました。

 11日に訪問してしまった私たちに気を遣わせてしまって申し訳ないという気持ちになりました。

 しかし、なんと声をかけていいのかもわからず、戸惑ってしまい、台所の方へ行った私。

 その後、仮設住宅団地を歩いてみましたが、去年のようにおばあちゃんたちがベンチに集っている姿はありません。

 一周しても、外におられたのは3人のみ。

 寂しい。

 ですが、1DKの小さな小さな仮設住宅に約5年。

 そこからやっとのことで公営住宅に移れるのはうれしいことなのかもしれません。

 「2〜3年前に、公営住宅が出来ていたら....」

 そう考えると複雑な気持ちでした。

 かき氷を終えて、前区長の中村さんの新居にお伺いし、ご挨拶。

 何度も「どうぞどうぞ中へ!」とおっしゃってくださいましたが、私たちは笑顔で固辞。

 「次に来るときは是非、中に入ってね」

と言って下さいました。


【合宿3日目】

 山本さんと西川くんと私は、鍋とかき氷の買い出しをしに、まずはマイヤへ。

 買い物を済ませ、タクシーに乗せ、村上食品さんにお魚を受け取りに伺いました。

 水揚げ状況が気掛かりでしたが、

 鮭よし !

 鱈よし !

 白子をサービスしていただきました!

 本当にありがとうございました。

 気仙タクシーの運転手さんがとても愉快な方で、笑いのツボが浅いのでしょうか、かなり爆笑されておられ、朝から元気をいただきました。

 集会所に到着すると、すぐに具材を切り、鍋の準備。

 4つのテーブルを作り、出汁も醤油味・塩味の2種類を用意。

 11時30分、鍋パーティがスタート。

 新鮮なお魚、野菜、栄養たっぷりの鍋は、今回も大好評でした。

 さだ子さん、さき子さんが、鍋パーティに間に合うようにと、引っ越しの合間をぬって来て下さいました。

 さき子さんは、

「震災後も、何度も危機一髪な経験をしたんだよ」

と話して下さいました。

 喉が痛かったけど、病院に行くのも足がなくて一苦労。なので放っておいたようで、時間が経ってから病院に行くと、

 「よくここまで普通に生きられましたね。2〜3日遅かったら、脳にまで菌がいってしまってダメだった」

と医者に言われたそうです。

 目も、偶然、診てもらったところ、失明の一歩手前で、すぐに入院して手術したそうです。

 「でも、震災のおかげで、こうやって気付かせてもらえたのかもしれないねぇ。」


 「絵を描くのが趣味になっちゃったの」

とも教えて下さいました。

 さき子さんは、自分で描いた絵を人にプレゼントして、喜ばれているそうです。

 引っ越しがひと段落したら、私にも送って下さるとのこと。

 とっても楽しみです!!

 鍋の後はかき氷。

 小豆と黒蜜が大人気!!

 皆さん、2杯は食べておられました。

 中には、3杯食べておられる方も..!

 (私でも食べられない!)

 さだ子さんは、

「こんなの食べたの何十年ぶりかな。昔、行ったお祭りを思い出しちゃった。」

と思い出話に花が咲きました。

 後片づけをして、集会所を出ると、外にはさだ子さんとさき子さんが。

 さき子さんの目には涙が浮かんでおり、それにつられて、私も涙...。

 最後は声が出ませんでした。

 「泣いちゃうから、早く行きなさい」と言われ、

 「元気でね!!」と握手をしました。

 大学の友達のように「また明日ね」と言えない寂しさ。


 この合宿で感じたことは、「復興はまだまだ続く」ということです。

 公営住宅に移る方がだんだん増え、そのことは復興の第一歩だとは思います。

 でも、公営住宅の扉は重い。

 仮設住宅のように、外のベンチに「はまって」お茶っこ飲んで...そんな気軽な付き合いはできるでしょうか。

 仮設住宅でできた輪が解けてしまうのではないでしょうか。

 (私たちのように)自転車があって、自転車に乗ることができれば、仮設住宅から公営住宅まで約1キロ。決して会えない距離ではありません。でも、足腰の弱い高齢者には、それは難しいです。

 また、そもそも、仮設住宅から出た人は、「仮設の集会場には来にくい」そうです。

 

 仮設住宅から出られたことは、「復興のごく一部」であって、「終わり」ではありません。

 今後は、伊達ゼミも、仮設住宅だけではなくて、災害公営住宅での新生活にも焦点を当てていくべきだと考えます。

 そして、私も、来年3月の卒業までに、公営住宅に訪問したいと思います。

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 最後の夜は、車屋酒場さんにお世話になりました。

 珍しいことに、先生からゼミ生へお褒めの言葉をいただきました。

 夢ではないですよね...。

 車屋酒場さん、お料理とても美味しかったです。

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 ありがとうございました。


 4日間、関わって下さった陸前高田のみなさん、伊達先生、ゼミ生、ありがとうございました。



PS.陸前高田「美味しいもの」篇

 今回、初めて、木村屋さんのイートイン・コーナーにて一服しました。

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 1日目は「夢の樹バウム(通販あり!)、翌日は「手作りプリン」をいただきました。

 どちらも、本当に、「手作りの温かさ」を感じました。

 ありがとうございました。

 そして先生、ごちそうさまでした。

(ちなみに、コーヒー・お茶は無料です。)

2016-09-26

陸前高田ゼミ合宿を終えて〜雨模様の陸前高田〜

【9月13日 陸前高田から一関に向かうバスの中から〜「奇跡の一本松」の周辺の風景】

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 震災から5年半。かさ上げ地の様子。広大な面積です。

 浸水地をかさ上げし、市街地を「ゼロから」作る復興計画。

 が、ここに、大ぜいの人が住むわけではありません。

 震災から5年半。今の陸前高田の人びとの現実を、そのわけを、言葉にして他所の人に説明するのがとても難しくなりました。

 「自然の猛威」とか「津波の脅威」という言葉だけでは、この現実を他所の人に説明するのがとても難しくなりました。

 「不正義」とか「人災」とか「『復興』災害」とか、使いたくはない言葉を使わなければ、この現実を他所の人に説明できなくなりました。

 その言葉は、私自身にとっては、何かしら意味のある言葉なのかもしれません。

 でも、そんな言葉を無神経に使うと、陸前高田の人びとを悲しい顔にさせてしまいます。

 「そうなのかもねえ」とため息をつかせてしまいます。

 かえって、「私は不運だったのかもしれないねえ」と言わせてしまいます。

 ここに何をしに来たのか、私もわからなくなってしまいます。

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 気仙大橋から。

 「奇跡の一本松」の後方に、高さ12.5メートルの防潮堤が建設されました。

 陸前高田に美しい海があることを他所の人に説明するのがとても難しくなりました。

 「奇跡の一本松は、被災者に希望を与えた」。

 まったくそのとおりなのでしょうが、"希望"という言葉では、今の陸前高田の人びとの現実を他所の人に説明するのがとても難しくなりました。

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 巨大ベルトコンベアは、昨年9月に、役割を終え、稼働を停止し解体されました。(1年前のこちらのブログ記事を参照)

 気仙町の山を切り崩し、膨大な量の土を巨大ベルトコンベアで高田町の市街地に運んだのですが、まだまだ宅地造成工事は続いています。

 「あと3年 待たなくてはならない」という方もいます。

 震災から5年半。

 「それでも前を向いて生きていく」などという"強い"言葉では、今の陸前高田の人びとの現実を説明するのが難しくなりました。


 「仮設住宅で死んでしまうかも」とおっしゃる方

 「災害公営住宅で死んでしまうかも」とおっしゃる方

 「そんな惨めな死に方はしたくない」とぼそっと小声でおっしゃる方

 学生達と11回目の陸前高田ゼミ合宿。

 そのような方々のことが、とても心配になり始めました。

 生きることそれ自体の苦しみ

 老いてしまう苦しみ

 病いに侵されてしまう苦しみ

 死んでしまう苦しみ

 それらをちゃんと言葉にしていかなければ。

 伝えていかなければ。

 「被災者」が、「被災地」が、とてもわかりにくくなった今だからこそ。

 そう考え始めました。


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 気仙川をまたぐように新しい水門が建設されています。

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 気仙中学校の遺構。

 「ぼくらは生きる ここで このふるさとで」

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 雨模様の陸前高田

(文責 伊達浩憲)

2016-09-25

陸前高田合宿レポート(4回生)

平井

 今回は1年ぶり、3回目の陸前高田でした。

 初日は、かさ上げされた土地の景色など、1年前とあまり変わってない印象を受けましたが、4日間で見た景色としては、BRT陸前高田駅の奥に災害公営住宅が新しくできていたり、高田第一中学校付近には新築一戸建てが建てられ人も住み始めており、1年間で明らかに変化したところもありました。

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 初日の夜ご飯は、気仙茶の会の皆さんと2回目のバーベキュー大会でした。

 仮設住宅での企画のための買い出しに行っていたので、後からの合流でしたが、皆さん温かく迎え入れてくださいました。

 今回は、前回お話しした方が来られていなくて残念でしたが、菊地会長やえみちゃんさんとお話しすることができました。

 菊地会長の胸ポケットから花柄の袋が見えていたので、何が入っているのか尋ねてみると、えみこさんのサプライズパーティの時の写真だと教えてくださいました。

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 もともとは、菊池夫妻の結婚記念ということで参加したえみこさん。

 まさか祝ってもらえるとは思っていなかったので、とても嬉しかったと話しておられました。

 えみこさんは震災があった直後から、ずっとボランティアとして菊地会長達と関わりを深めてきたそうです。

 このエピソードを聴いて、えみこさんが皆さんから愛されていること、そしてお互いに大切な存在として交流を深めていることが分かりました。

 そんないいお話が終わると、菊池会長が自慢のお酒を家の中から持ち出して用意してくださいました。

 「甕雫」という壺に入った焼酎で、私も少しいただき、味わいました。

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 その後も、身のふっくらした秋刀魚や鮎、もぎたてリンゴなど、たくさんごちそうになりました。

 帰り際に、菊池会長から、

 「君らが前にくれた名前入りのポスター、部屋に飾ってるよ〜!」

と言ってもらったので、部屋の中を見てみると、前回合宿に参加した時にゼミ生全員が名前を書いたポスターを飾ってくださっていました。

 3回生が代表しゼミ生全員で感謝の言葉を伝え、皆で一本締めをしてその場を後にしました。

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 合宿2日目(活動1日目)

 この日は9月11日、東日本大震災から5年半の命日でした。

 朝、沼田屋を出るときに、玄関横にふと目を向けると、東海新報と岩手日報が置いてあり、見出しには、やはり住まい再建の現状や、震災・台風被害に遭った岩泉に住む方への取材など、震災・災害関連の記事が並んでいるのが目に入りました。

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 一中仮設の集会所に着き、少し準備を進め、時刻は9時。

 栄子さんや松子さんに誘っていただき、 佐々木自治会長が後ろで見守る中、恒例のラジオ体操を始めました。

 震災から5年半の日ということで、皆さん、朝からお寺に向かったそうで、今までで一番静かな朝でした。

 もう一つ、今までで一番静かだと感じた理由ですが、

 「みんな、徐々に、災害公営住宅への移動が決まってるのよ。」

という皆さんの言葉から読み取れました。

 陸前高田に住む多くの方 は、震災が起こるまでほとんど一軒家で、しかも引っ越しもしたことがない方も多いのだそうです。

 「引っ越しの準備とかあまりしたことがないし、慣れないわぁ。」

 「長いこと支え合ってここで生活してきたけど、また離れてしまう。」

などの言葉から、ようやく仮設からの移動が決まった反面、苦労や新たな問題も抱えていらっしゃることが伝わってきました。

 この日は少し肌寒かったのですが、集会所でのかき氷企画は予想以上の人気ぶり。

 皆さん 甘めがお好みなようで、抹茶のシロップや黒蜜を追加でかけたりして、その味を堪能くださり、夏の風物詩を楽しんでいただけたようでした。

 陸前高田自慢の米崎りんごや金野直売ラーメンの話もしてくださったり(リンゴは実際に持ってきてくださったので、美味しくいただきまし た)、お茶しながら過ごしました。

 外ではゼミ生と子どもたち(1人は毎回遊びに来てくれる常連の子です!)が元気に走り回っていました。

 14時46分。集会所で全員で黙祷を行いました。

 私もですが、時間が近づくにつれ、みんなで楽しく会話をしつつも、誰も口には出さないけれど、心の中では時間を気にしていたのだろうと思いました。

 夜は、鶴亀鮨さんにて、いつもいただいている海鮮丼を今回もいただきました。

 伊達先生が鶴亀鮨さんに30回通われたということで、阿部大将が、私たち全員に『感謝状』をプレゼントしてくださいました。

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 最後に、恒例の「愛のナイアガラ」とともに集合写真を撮って、鶴亀鮨を後にしました。

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 3日目(活動2日目)

 この日の朝もラジオ体操に参加しました。

 前日よりも人数も増え、朝から元気に盛り上がりました。

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 ラジオ体操第一の他に、昨年踊りを教えていただいた東京音頭なども一緒に踊り、皆で手をつないだりハイタッチしながら踊りました。

 寒さもすっかり吹っ飛んで、体も心も温まりました。

 この日の集会所でのメインイベントは、前回大盛況だった鍋パーティー。

 昨年は準備に時間がかかってしまいましたが、今回は慣れてきたこともあり、前回よりスムーズに皆さんを迎える準備ができました。

 外に出てみると、仮設住宅周辺の様子は、やはり昨年より静かに感じました。

 どれだけの方に来ていただけるか少し不安もありましたが、12時前から徐々に 来てくださったり、「電話でみんな呼ぶわね〜!」と言って、人集めをしてくださり、すべてのテ ーブルで皆さんと鍋を囲むことができました。

 村上食品さん提供の新鮮な魚と、特に秋刀魚のつみれが大好評でした。

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 一緒のテーブルで食事をした男性が、足を悪くして家で待っている奥さんの分を取り分けて、持って帰られました。

 その方を玄関までお見送りした際に、

 「もうお腹いっぱいで、なぁんもはいらねぇ。でも満腹が一番の幸せだ。」

と笑顔で言ってくださいました。

 この言葉を聴いて胸が熱くなり、良かったと心から思えました。

 鍋から少し休憩をはさんで、再びかき氷をスタート。

 最後は私たちも一緒にいただきました。

 お花が好きなことや「私もこないだまで歯を矯正してたよ」と共通点で話していたえみ子さんと一緒にかき氷を食べました。

 まさこさんが、今年も、編み物をプレゼントしてくださいました。

 昨年いただいた時よりもバリエーションがさらに増えていて、立体的な動物や帽

子の形をした編み物を披露してくださいました。


 集会所と仮設を後にする時間が、例年よりも早くやってきました。

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 「あ〜来ない で、泣いちゃうから」

と涙ながらにわたしたちに手を振ってくださった方もいました。

 最後に、さよ子さんがリンゴをお土産にくださり、少し話していると、ちょうど学校帰りのAちゃんとBくんに会うことができました。

 Aちゃんと少し遊んで、Bくんと握手をして、今度こそ本当にその場を後にしました。

 最後の夜は、車屋酒場さんにお世話になりました。

 毎回、大人数でご迷惑をおかけしているにもかかわらず、温かく迎え入れてくださり、本当にありがとうございます。

 今回で「ゼミ合宿」という名称での訪問は最後でしたが、この2年間、これから何十年経っても忘れることのない、記憶に焼き付くような経験と、たくさんの方々との交流ができたことに誇りと感謝を持ち続けたいと思います。

 そして、社会人になっても、いろいろな角度から陸前高田の問題や課題を見つめ、ご縁を大切に、関わり続けていきたいです。

2016-09-23

陸前高田合宿レポート(3回生)

室井

 9月8日から11日までの4日間、ゼミ合宿で岩手県陸前高田市を訪れました。

 私たち3回生は、今年の2月以来の2回目の訪問になります。

 今回の合宿では、高田一中仮設住宅に訪問する仮設住宅班、漁業のお手伝いをさせていただく漁業班に加え、気仙茶の会の茶畑で作業をさせていただく気仙茶班の3つの班に分かれて、それぞれの活動を行いました。

 その中で、私は仮設住宅班として、訪問させていただきました。

 「よく来たねー」

と、訪問1日目、約半年ぶりに訪れた私たちを温かく迎えてくださいました。

 「2月に来てくれた子たちだよね」

と私たちを覚えてくださっていたおばあちゃんも多く、うれしかったです。

 そして早速、毎朝の習慣であるラジオ体操が始まりました。

 「暑くて外ではやってらんないよね」

と、この日は集会所の中で行いました。

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(9月9日、朝のラジオ体操 集会所にて)

 ここの集会所に来るまでの、BRT陸前高田駅から徒歩10分くらいの道のりで、息が上がってしまっていた私ですが、

「若い子たちと体動かせるのはうれしい〜」

と、皆さんはとても軽そうに体を動かし、体操のほかにも高田音頭やサンバの曲を大きな掛け声で踊ります。

 2月の時と変わらぬ笑顔と元気な皆さんを見たら、うれしい気持ちになりました。

 あるおばあちゃんは、「毎日4000歩歩いてるよ。今日も朝から2000歩歩いてきた」とおっしゃっており、歩きすぎで足を痛めてしまうほど。

 お医者さんからは「歩数を減らすように」と言われたそうです。

 東日本大震災後、家族・友人・知人が亡くなったことによる精神的苦痛や、地域での付き合いがなくなったり、何もすることがないなどで、生活が不活発になる「生活不活発病」という深刻な病気が、とくにお年寄りの間で問題になっています。

 そんな中で、歩きすぎてしまうほど元気な方を見るのは、とてもうれしかったです。

 この日、仮設住宅の近くにある「陸前高田市コミュニティホール」で健康セミナーが開かれており、仮設住宅の方々も参加するというので、私たちも一緒に参加させていただきました。

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(BRT陸前高田駅の前にある「陸前高田市コミュニティホール」)

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(脳卒中についての講義を受けています)

 主に、脳卒中の症状や対策法などについての講義を受けました。

 他にも、血液年齢を測ることのできるブースが設けられており、皆さんも測定していましたが、実年齢よりも相当若い血液年齢だったそうで、保健所の方たちも驚いていました。

 それくらい、健康で元気な方々なのだなと改めて思いました。

 しかし、そんな元気な姿でも、心の内では“さみしさ”や“不安”があるのを感じることも多くありました。

 2日目に行う企画のチラシを配りに、仮設住宅を1軒1軒回った時、私が玄関のドアをノックしようとしていると、お隣の方が出て来て、

「このあいだ出て行っちゃったから、もういないよ」

とおっしゃりました。

 何回かそのようなことがあったのですが、寂しそうにおっしゃる方がいて、その方の表情がとても印象に残りました。

 仮設訪問中に、まさに引っ越しの最中の方もいらっしゃいましたし、多くの方が、災害公営住宅に引っ越しされています。

 そうした中で、やはり、今も仮設に残る方々は、さみしいと感じていることが分かりました。

 それと同時に、自分が新居や公営住宅に引っ越すことができるのはいつになるのだろうかという不安を抱いている方も多くいらっしゃいました。

 今月末には引っ越しをする方もいれば、引っ越す時期はまだはっきりとは決まっていないという方もいました。

 私たちは、この仮設住宅から皆さんが引っ越しできるまで寄り添い続けるべきだと思っていますし、それ以降も、皆さんと関わりを持っていけたらいいと思います。

 このような時期、寄り添い続けていくために、自分たちが何をすればいいかを考えていかなければならないと思いました。


 訪問2日目は、集会所で、皆さんと流しそうめんとかき氷をしました。

 流しそうめんは、竹で作った本格的なものではなく、流しそうめん機というものでやったのですが、

「うちにも一台ほしい!」

「これがあったら孫と一緒に楽しめるね〜」

と楽しんでいただけました。

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(流しそうめん機を囲んでパチリ!)

 かき氷は、イチゴ、マンゴー、抹茶シロップや、リンゴジュース、マンゴージュースを凍らせて作ったりと、様々な味を楽しめるようにしました。

 中でも、宇治金時風の抹茶味が人気でした。

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(好評だった小豆と白玉入り抹茶かき氷)

 「どの味もおいしい」と言ってくださいましたし、皆さん今年初めてかき氷を食べたそうで、喜んでいただきました。


 流しそうめんやかき氷を一緒に楽しんでいるとき、ある方とお話をしました。

 その方は、「台風大丈夫だった?」と私の心配をしてくれました。

 実は、私たちが陸前高田に到着した日は台風13号が直撃し、大雨と暴風で警報が出るほどでした。

 「大雨は旅館についてからだったので大丈夫でしたよ」

と伝えると、

 「よかったー。私は仮設住宅だからとても不安だったの。木なんかが倒れてくるかもしれないし。だからすぐに小学校に避難した」

とおっしゃっていました。

 やはり、あの津波を経験すると、災害にとても敏感になってしまうようです。

 これは、すべての人が意識しなければならないことだと思いました。

 いつ「想定外」「予想以上」なことが起きるかわかりません。

 常に早めに適切な行動をとるということが大事だということを、5年半前のあの恐ろしい状況を身を持って体験した方々の話を聞いた私たちが、体験していない人々に伝えていくことは大事なことだと思いました。


 3日目の合宿最後の夜は、気仙茶の会の菊池会長のお宅の前で、バーベキューをご馳走になりました。

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 とれたてのホタテとサンマを焼いてます。

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 大きなコンロなので火をおこすのも一苦労。

 たくさんの炭と木の枝を投入し、一生懸命うちわで扇いだりと、気仙茶の会の方々とゼミ生とで協力して準備を行いました。

 この大変さもバーベキューの醍醐味かなと感じました。

 食材は、ホタテ、サンマ、ホルモンなどで、すべて気仙茶の会の方が用意してくださいました。

 ホタテは見たことのないほどの大きさで、食べごたえのある身でとてもおいしく、サンマもとてもジューシーで本当においしかったです。

 どちらも、この日の朝とれたての新鮮ものだったそうです。

 台風の影響でサンマの漁獲量は非常に減少してしまい価格も高騰してしまったそうですが、そんな中で、わたしたちゼミ生のために用意してくださったので、本当に感謝しかありません。

 このバーベキューの時に4回生も合流し、3,4回生と気仙茶の会の方々で交流ができました。

 気仙茶の会の会員で、有名な軟式野球の審判の方や、他にも高校野球好きの方がいらっしゃったので、「東北勢の夏の甲子園制覇が見てみたい!」「岩手県出身のプロ野球選手も増えてきたくらいだからこれから強くなる!」と、野球トークで盛り上がり、楽しくお話させていただきました。

 気仙茶班ではないゼミ生にも気さくに接してくださる気仙茶の会の方々。

 先輩たちの積み上げてきた「信頼」というものを改めて感じました。

 今まで続けてきたこの伊達ゼミの活動に責任を持って、仮設住宅の方々、気仙茶に対し、自分たちに何ができるのか、これからも考えていこうと思いました。

2016-09-22

陸前高田合宿レポート (4回生)

寺岡

 岩手県陸前高田市での合宿は、今回で3回目となりました。

 仙台からバスに乗り、しばらくすると見慣れた景色が広がってきました。

 陸前高田へ到着後、各班に分かれ、それぞれの準備を済ませてから、気仙茶の会・菊池会長宅へ向かいました。

 今回は、先に来ていた3回生と合同でBBQ歓迎会を開いていただきました。

 菊池会長宅へ着くと、まるで1年間の空白がなかったかのように、気仙茶の会のみなさんは私たちを温かく迎え入れてくださいました。

 名前も覚えてくださっていたので、会話が弾みました。

 副会長の及川さんと、昨年の研究報告会での気仙茶班の報告についてお話ししました。

 「気仙茶は陸前高田の文化であり、守りつつ創り上げていくもの。手間暇かけて作るほどいいものができる田舎ならではの伝統。陸前高田に生きる意味を見つけたい。」と話されていました。

 気仙茶や陸前高田に対する想いが人一倍強い及川さんのお話は、とても深く、いつも心を強く打たれます。

 前田さんや東代子さんとも、近況報告や今回の活動について話をしました。

 楽しい時間はあっという間に過ぎました。

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*9月11日 活動1日目

 朝9時に再び会長宅へ向かいました。

 今回は4年生4人、3年生2人の計6人で参加させていただきました。

 はじめに、会長宅の裏にある茶畑で除草作業をしました。

 まだ小さなお茶の木で、草に埋もれかけていました。

 かなり広い範囲でしたが、全員でもくもくと作業をしたので、2時間弱ほどできれいになりました。

 

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除草前

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除草後 !


 次に、車で移動し、2012年の秋から気仙茶の会が管理を引き受けている米崎町の茶畑へ行きました。

 40年間くらい摘まれておらず、樹齢100年は経っている茶の木だそうです。

 2013年の夏から伊達ゼミもここで竹を刈る活動をしていました。(こちらの記事を参照)

 お茶の木の裏手にはソーラーパネルが設置されていました。

 ここではお茶の木に巻き付いているツルをとる作業をしました。

 ツルは茶の木に固く絡みあっていて、引っ張ってもなかなか取れず、かなりの力が必要でした。

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 午後からは、去年も活動した小友町の及川園で作業をしました。

 昨年と同様、お茶の木と草が同化しており、一見どれがお茶の木かわからないほどでした。

 ここでは草だけでなく、木にたくさんのツルも絡まっていて、なかなか作業が進みませんでした。

 時どき休憩をはさみながら、黙々と作業をしていました。

 後半に差しかかった頃、菊池会長が、

 「一列に並んで、誰が一番早く終わるか競争だべ!」

といって、みんなで一列に並び、それぞれ決められた範囲を除草し、楽しみながら活動していました。

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除草前

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除草後 !

 作業を終え、再び菊池会長宅へ戻り、お茶を頂きながらお話を伺いました。

 頂いたお茶は、気仙茶の会で作られた煎茶と紅茶。

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 どちらも香りがよく、あとからお茶のうまみや渋みが感じられ、個人的にはすごく好みで、飲みやすかったです。

 「紅茶はもう少し発酵させると、より深い味わいになる」と及川さんが教えてくださいました。


 お茶をいただきながら、長年、小友町の川原園を世話をしてきた川原さんの話を聞くことができました。

 川原さんは津波で亡くなられました。

 川原さんは、とても面倒見がよく、誰に対しても分け隔てなく接する人だったそうです。

 菊池会長が、震災後、津波をかぶって枯れてしまった茶畑を見て、遺族の方にお会いした時に、「引き継ぎたい」とお願いしたそうです。

 「いつか、ご遺族の方に、川原園のお茶の木で作ったお茶を飲んでもらうことを気仙茶の会の目標にしているんだ」

と話してくださいました。

 9月11日。この日は、震災からちょうど5年半の月命日。

 今回はあまり震災や津波のお話を聞くことができませんでしたが、

 「風化させたくないような、忘れてしまいたいような、なんとも言えない気持ちだ」

と話してくださいました。

 時間が経つにつれて、少しずつ薄れていく記憶が、ある日ふとした瞬間に甦る。決して忘れることはできない。その繰り返しの生活。きっと辛いのだろうと思います。

 「忘れてしまいたい、けれど、忘れることはできない」という葛藤を抱えている人は年々増えているのではないかと思いました。

 しばらく話をしていると、あっという間にバスの時間が来たので、会長宅を後にしました。

 今回は、気仙茶の活動は一日だけだったので、別れがものすごく寂しかったです。またいつかここに来て、気仙茶の木が成長した姿を見ながら、会の皆さんと一緒に活動したいです。

 夜は、鶴亀鮨さんで海鮮丼を頂きました。

 新鮮なお魚がたくさんのっていて、本当においしかったです。


*9月12日 活動2日目

 高田松原を守る会の鈴木会長さん、副会長の小山さん、陸前高田市復興サポートステーションの佐藤貞夫さんと一緒に活動しました。

 松苗を風から守るために、「たけす」という、竹で作られる盾のようなものを作りました。

 「菊割」と呼ばれる鉄の菊のような形をした竹割りの道具で竹を細長く割り、2〜2センチにし、角を磨いたものをヒモで編んでいきます。

 竹を、表裏、表裏と交互に40センチになるまで編んでいきます。

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 「菊割」で竹を割っている様子。とんとんと何度かたたきつけると、写真のようにきれいに割れました。

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「たけす」を編んでいる様子。

 隙間が空いてしまわないようにしっかり押さえながらの作業で、わりと力を使いました。

 この編む作業で全員が一番苦労したのが「男結び」です。

 これは園芸や漁業などでよく使われる結び方で、頑丈に結ぶことができるのに、ほどくときは簡単にとることができるという便利な結び方です。

 時々休憩を挟みながら、貞夫さん、鈴木さんといろんなお話をしました。

 「震災が起こった当時、津波から逃げるのが遅れたのは、停電で情報が少なかったことが原因だ」

と話してくれました。

 「あんなに高い波がくるなんて思わなかった」。

 現在建設されている高さ12.5mの防潮堤についてもお話してくれました。

 今回のような津波をくい止めるには、本当は18mくらいの高さの防潮堤が必要だそうです。

 しかし、18mの防潮堤を作るには、莫大なお金と時間がかかってしまいます。

 そのため、津波をくい止めるための防潮堤ではなく、防潮堤を超えるまでに時間を稼いで、逃げるための時間を作るために、12.5mの防潮堤がつくられたそうです。

 震災前の高田松原や、現在育てている松の苗についてもたくさんお話を聞けました。

 高田松原は全国で有名な6つの松原のうちの一つで、貞夫さんも鈴木さんも、懐かしむように、

「あそこは本当にきれいな場所だった」

と口をそろえて言っていました。

 高田松原を守る会は、平成18年に結成され、松原の清掃活動や松の木の手入れをしていました。

 そして、津波後は、松原の再生のため、市や県、全国のボランティア団体と連携し、東北育種場や京都府緑化センターなどで高田松原の松ぼっくりを育ててもらったり、茨城県からマツクイムシに強いクロマツ苗などを移植したりして、現在約7,000本の松苗を育てています。

 松苗は、トウモロコシ繊維でできたポットの中で育てられていて、このポットは植林の時にそのまま植えても肥料となります。

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 松苗の畑

 松原を守る会では、50年計画で高田松原の再生を目指していおり、来年から松苗を移植する予定だそうです。

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 作業場からの景色。

 元の高田松原が広がっていた時のことや、作業場のあるこの場所で両側から押し寄せた津波がぶつかったことなど教えてくれました。

 また、貞夫さん、鈴木さんの人生の話も聞かせていただき、楽しく有意義な時間を過ごしました。

 特に貞夫さんとはすっかり仲良くなり、帰る頃には、(少し怪しかったですが)名前も覚えてくれました。

 作業時間の終わりが近づいてきた頃、仕事を終えた小山さんが戻ってきてくださり、「男結び」をもう一度教えてくださいました。

 「飾り結び」なども教えてくれました。

 ほかにも、葉笛や鼻笛などを披露してくださり、最後はみんなで葉笛に挑戦し、楽しい時間を過ごしました。

 今回、初めて高田松原を守る会の方々と一緒に活動することができて、貴重な時間を過ごせました。

 今後も、伊達ゼミで松原再生のお手伝いができたらいいなと思いました。

 次はいつ陸前高田に来れるかはわかりませんが、いつか必ず、成長した松苗を見に来たいです。


 最後の夜は車屋酒場さんへ行きました。

 ほかの班の様子を聞いたり、先生に褒めていただいたり、お話を聞いていただいたり、楽しい時間を過ごせました。

 陸前高田はまだ3回目の訪問ですが、なぜか、「帰ってきた」という気持ちになります。

 きっと、それは、「待っていてくれる人がいる」という安心感からくるのではないかと思いました。

 震災から5年半たった現在でもまだ復興はあまり進んでいませんが、来るたびにバス停が新しくなっていたり、災害公営住宅や新しい家が建っていたり、ベルトコンベアがなくなっていたり、確実に前に進んでいるんだなと思います。

 陸前高田でこうしてたくさんの方と関わり、経験し共に過ごした時間は、私にとって宝物です。

 学生生活を終えてしまえばなかなか来ることはできなくなりますが、過去の思い出にはしないで、これからも陸前高田の人たちと交流を持ち続けたいです。