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Making of Ryukoku-cha

2013-10-05

陸前高田合宿レポート(3回生)〜気仙茶 (1)

藤本

 2回目の陸前高田合宿。

 以前はなかった場所にコンビニができていたり、道路整備がしっかりしていたりと、半年ぶりに訪れた陸前高田の姿は、少しずつではあるが復興していると感じた。

 とくに私が驚いたのは、走る車がとてもきれいである、ということだった。

 半年前は工事による砂埃や泥水のハネでほとんどの車が汚かったが、今回はそのような車がほとんどなかった。

 何気ないところだが、復興を感じることができ、うれしく思った。



 陸前高田市役所で見た「復幸」という文字。

希望を強く感じた。

「復興」と「復幸」。

 どちらも大切なことだと思う。

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 私は、二日間とも、気仙茶班として作業をした。


 9月18日、一日目は、米崎町の茶園再生をおこなった。

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手前にあるのが茶の樹。

 そこにあった茶の樹には驚かされた。

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 南山城村の茶の樹のようではなく、ひとつひとつの茶の樹が独立して植えられていた。

 気仙茶の樹は、南山城村の茶畑とは違い、整枝(茶株面をきれいにそろえること)もされていなかった。


 奥に見える竹ヤブのなかにも、たくさんの茶の樹が植えられている。

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 この竹を切る作業をした。

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 小さい茶の樹が、竹ヤブの中でしっかりと生えていた。

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 たくさんの茶の樹がある。

 もともとは竹で生い茂っていた上の写真の場所も、菊池司会長をはじめとする「北限の茶を守る 気仙茶の会」のみなさん、国際ボランティア団体NICEのみなさん、そして歴代の伊達ゼミナールの先輩方の力で、ここまでしっかりしてきたと思うと、とてもうれしく感じた。

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 菊池会長と前田事務局長にお話を伺うと、お茶の樹は100年以上前からあるものだが、ここ40年近く、摘まれていなかったそうだ。

 しかし、今年6月には、5キロの収穫ができた、ともお聞きした。

「いつか、この茶園がもっと大きくなって、仮設住宅のみなさんにも手伝ってもらい、みんなで楽しく茶摘みをしたいなぁ」

と笑顔で話す菊池会長は、心の底から気仙茶のことを思い、そして、気仙茶で人々を笑顔にしようと思う気持ちを強くお持ちなのだと感じた。

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 9月19日、二日目は、津波をかぶった小友町の茶園の再生。

 この茶園の周囲は本当になにもなく更地であった。

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 すぐ見えるところに海があり、津波ですべて持って行かれてしまった。

 そう考えると、やはり怖く感じる。

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 作業中、草を引き抜くと、そこからお皿、茶碗がでてきた。

 この食器類の持ち主はなんと、すぐ近くの民家の人のものであるとわかった。

 驚いた。

 あらためて、怖いとも感じた。

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 茶園はすぐにきれいになった。

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 茶の樹も津波をかぶりダメになったものもあったが、新たな芽が出ており、茶の樹の強さを見た気がした。

 津波に負けない強さは、人もお茶もこの地域の特性なのか、とも思った。


 この茶園も大きく成長してほしいと思う。


 最初、気仙茶の会のみなさんとお会いしたとき、台風18号による近畿の被害を心配していただいた。

 滋賀県民として、その心遣いがとてもありがたかった。


 気仙茶の会の皆さんに、「伊達ゼミ歓迎会」ということで、BBQをごちそうしていただいた。

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 さんまやホタテなど、陸前高田のおいしい魚介類にとても感動した。

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 和やかで楽しい食事の中、私は小野寺さんと長くお話をさせていただいた。

 小野寺さんの気仙茶に対する思いはとても強かった。

 私たちの活動も応援していただけた。

 このように応援してくださる人がいるのは、私自身、とてもうれしく思った。

 正直な話、ここが津波の被害で大変だった場所であるとは思えないほど、楽しい歓迎会であった。

 地域の方々の笑顔、国際ボランティア団体NICEのみなさんの笑顔、そして気仙茶の会の皆さんの笑顔が増えていくことが復興でもあると思う。

 この二日間、また陸前高田を深く感じることができた貴重な時間であった。

 私達が行っている活動を喜んでくれている人、私たちを必要としてくれている人がいることを、とてもうれしく思う。

 私たちも陸前高田の人々と「復幸」の「幸」をともにつくれるのではないか、と感じた合宿であった。

(文責:藤本)




梅木

 今回、私自身では2回目の陸前高田訪問である。

 前回訪問したときは今年の2月だったので、約7ヶ月ぶりの訪問となった。

 やはり2回目となると、1回目とはまた違って、少し田舎に帰るような懐かしい気持ちになった。

 あのおじいちゃん元気かな、仮設住宅のみなさんはどうしているかな、という気持ちが自然と生まれた。

 陸前高田に降りたったとき、7ヶ月前と変わらない景色があった。

 絶え間なく道路を通る大型トラックや、未だ仮設のスーパーや市役所、そして見渡しても何もない土地を見ると、

「二年たっても復興はまったく進んでいない」

と言っていた長部の漁師のOさんの言葉を思い出した。

 一回目の訪問ではわからなかったが、その景色を見たとき、「まったくそうだ」と納得できた。


 今回わたしは、2日間ともに「気仙茶の会」の方々とともに、茶畑再生のための手伝いをさせてもらった。

 「気仙茶を守る会」は、震災後の2012年11月6日に設立された。

 気仙地域の人々の過去・現在・未来をつなぐ気仙茶を守り、伝えていくことを目的とし、気仙茶の茶樹の管理・育成などの活動を行っている有志による会だ。

 今回は、竹やぶの中にある茶樹と津波の被害を受けた茶畑の整備を行った。

 どちらも個人の所有する茶畑。

 竹やぶの中には、まだ芽を出して間もない小さな茶の樹が数えきれないほどたくさんあった。

 日光を遮っている竹を切り、踏んでしまわないように、小さな茶樹一つ一つに印をつけていく。

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「これはまだお茶の芽一年生だな〜」。

 いまはまだこんなに小さな樹だが、これから大きく育ってほしいと、みんなが願っていた。



 もう一箇所は、津波の被害を受けた茶畑。草取りをした。

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 見渡すと、左右両方の先に海が見えた。

 ここは、左右から津波が押し寄せちょうどぶつかりあった地域らしい。

 そんなところに茶畑があり、以前の活動で少し整備されていたが、草で覆われていた。

 そして、約二年半前の津波で流されてきた食器や電機類が、茶樹の下に埋まっていた。

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 現在も津波の爪痕がこうして残っていることに、たいへん衝撃を受けた。

 作業が終わり、一面を見渡したとき、日が当たっている小さな茶の樹を見て、

「今後も守っていきたい」、

「気仙茶が復興のシンボルになっていけばいいな」

と思った。

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 18日の夜、気仙茶を守る会の方々が、私たちのゼミのために歓迎会を開いてくださり、会の方々、近くに拠点を構える国際ボランティア団体NICE、そしてつながりがあるご近所の方も来られて、貴重な時間を過ごした。

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 9月25日から本格的に始まる高田松原の防潮堤工事の話がでた。

 防潮堤を作ることによって砂浜がなくなってしまうことに戸惑っておられるようだった。

「高い防潮堤があることによって、人々に安心感が生まれてしまう。

 それに頼るべきではない。

 それよりも、今残っている高田松原の自然を守りたい」

ということをおっしゃっていた。

 ずっとこの地域に住んできた人々からすれば、高田松原の砂浜がなくなることや、今までとは環境がまったく変わってしまうことは簡単に受け入れられないのだろう。

 私はそれをただ聞くことしかできなかったが、被災者の気持ちや声を知った。

 出会って間もないのに、震災の話や復興の現状を話してくだる姿を見て、以前よりもボランティアが減っている中で、こうやって訪れる私たちに「また来てくれ」と訴えかけているように感じた。

 「うめちゃん、うめちゃん」とたくさん話しかけてくださって、ほんとうに嬉しかった。

 今回の合宿で、「被災地を忘れてはいけない」と改めて感じた。

 大きな復興は進んでいるのかもしれないが、市民の生活の復興は、自ら行動しなければ何も進まないという状況であり、これからは、他県から来るボランティアはもちろん、市民の努力や復興への熱意が非常に重要であると感じた。

 人と人との強いつながりが再生へのチカラになっていってほしい。

(文責:梅木)


【参考】

・2011年5月の訪問時の様子はこちら

・2011年9月合宿の作業風景はこちら

・2012年2月合宿の様子はこちら

・2012年9月合宿の作業風景はこちらこちら

・2013年6月合宿の作業風景はこちらこちらこちらこちらこちらこちらこちら

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