Fire works performance

Group F
 まだ随分明るい夜の9時ごろに、ビクトリア・パークに着いた。ビクトリア・パークは、ハックニーから南にすぐのところで、バスで一本で来ることができる。少し歩いても行ける距離だ。公園前のオフライセンス・ショップ(酒屋)でビールを買って、鉄筋の枠がそのままの、建築現場のようなステージ前にリッチと二人で腰をおろした。想像以上に沢山の人が続々と集まってくる。アートパフォーマンスというより花火大会のお祭りみたいで、小さな子供たちばかりの家族連れも沢山来ていた。夜のお祭りには定番の、蛍光玩具を売る人や、明日のイギリス対フランス戦に向け、サッカーグッズを売る人たちも沢山来ていた。
 今回のパフォーマンスにはそれぞれ章があり、セットのスクリーンに番号が映し出されていた。鉄筋の建築現場のようだと思ったセットには、その後のパフォーマンスで分かったが、スクリーンがあったり、沢山のモニターが付いていたり、電気が四方にめぐらせてあったり、実はものすごい仕掛けだった。音楽とともにチカチカ光る、その様子はもう電気仕掛けの要塞のようで、その要塞がミサイルが連打しているような花火と煙で包まれ、まるで壊れていくようなあたりでは、もう迫力で胸が痛くなったくらいだ。家くらいの大きさの球体風船には、それ一杯に地球や花の映像が映し出されてもいた。私が見ているところからは、もう虫みたいに小さいパフォーマーたちが、ちょこちょこっと出てきては、指揮者や音楽を奏でる演奏家のように、花火を操っている。体中を電球で覆われたパフォーマーは、足や手から花火を発している。こちらまで花火の熱気を感じたくらいだから、もう、とんでもなく熱かっただろう。
 彼らは、アイデアや賢さだけではなく、体を張ってここまでの表現をしていたことに敬服。そこに居て、一緒に時間を過ごすことで、夢のような体験をさせてくれる、アートってやっぱりすごいなぁと思う。
 やっぱりイギリスの人は、美術にとっても恵まれているなぁ、とも再度感じる。こんな凄いパフォーマンスを誰でも、タダで見ることが出来るのだから。美術館や市などの団体が、一般人に提供するアートのレベルも高いと思う。
 次の日に「EURO2004 イギリス対フランス戦」を控え、酔っ払ってますます興奮したおじさんが、花火の一番の盛り上がりで「カモーン!! イングランド!」と叫んでいた。そこにいた回りの人々は同感していたのか、それとも失笑していたのか、くすくす笑っていた。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424.html
 ねずみ花火を検索したら、たまたまあった「檸檬」という小説。この人、今で言う「鬱」になったのだろうけど、旅をしているような感覚を起こそうと努めたり、こういうと変かもしれないが、私は妙に、「なんだ、とっても充実した生き方しているじゃない」と思ってしまった。鬱の時にはますます敏感になるのか、どうかはわからないけれど、この人はとても感受性が高くって、ものごとを繊細に受け取ることができている。それを楽しめるかどうかが、鬱か正常なのかもしれないし、また鬱なのも、療養という目的で旅に出るのも良いだろうし、普段とは別に、物事をゆっくり、また繊細に受け留めることができる時期なのだから、全くのマイナスではないのかもしれない。最後に、彼はユーモアと創造力を働かせて、本を積み上げ檸檬を飾るという行為で、即席にアートを生み出している。丸善という気詰まりな場所を崩すことで、彼は彼自身の心の余裕とユーモアを取り戻している。時代は違えども、こういうことする人が私は好きだ。