2012-02-20
第21回粒々塾講義録
第21回の講義は「リスク社会を生きるという題でした。
講義の冒頭はなぜかと思ったいろは唄。そして最下位は罰ゲームだよと前置きを置かれての漢字ゲーム。チーム戦。10問中5問正解。微妙な・・・。罰ゲームと言われると一気に真剣度が増す。ああ、これもリスクだなあと思う。ストレスとまではいかないが、脳が活性化するレベルの緊張感を得て講義は始まった。
いろは唄は諸行無常を表しているということだった。震災後から早くも11か月となる。無常観を味わうことの多い一年。
講義では、現代社会の代表的なリスク(望ましくないことが発生する起こりやすさの確率を示したもの)が述べられた。例えば・・・。
会社、経営、家庭のリスク
医療のリスク
政治家に国家を任せることのリスク、年金のリスク
そして、放射能のリスク・・・。
つい、震災のあったあの日を振り返ってしまう。
ガソリンを節約しようと、自転車で毎日買い出しに出ていた。
知人やその家族の安否が気になり落ち着かない。
停電を免れたことは助かったが、映像に衝撃を受け、余震にも震えていた。
そして原発事故。
原発の状況を早い段階で知っていたら?
福島県民は、日本人はどう行動したのだろう??
大パニックになってしまっただろうか。
それを危惧したと政府は言う。こちらは、日を追うごとにイライラすることが増えていた。
皆様はご覧になったであろうか?
原発事故が起こってからの一国の状況は“テレビドラマ”として放送された。
当時の内閣の苦悩。政府にも情報がしっかり届かなかったと、もどかしかったという。
それはそれで分からないでもないが。
知るべきこともあったが、大半はイライラの拍車になった。
原発の近くでは、地震の片付けに追われた人が、情報を与えられないまま、懸命に頑張っていたはずだ。もどかしかったなんて言葉で表現できるのか。
あの日から、福島は、フクシマとなり、特別な目で見られ続けている。
県民も放射能のリスクに対し、それぞれの考えで道を決めて生活をしている。もちろん答えを出した実感や十分な納得の上ではないままで、生活の混乱というリスクも背負っている。東電や国への信頼回復が出来ないままでいることもストレスになっている。
原発に対して我々はずっと無関心でいなかったか?との問いかけを受けた。
確かに以前から、どうしたって原子力に頼らなければならないのかと思ってはいた。汚染物質だってどれだけ貯蔵しておけるのか。100%の安全なんかないと。
しかし、地震の多い国においてあれほどの原子力発電所の数。正直、知らなかった。
福島に生まれ住んでいるにしては、無関心という言葉は否めない。複雑な思い。
リスクコミュニケーションについてという話がされた。
リスクに関するコミュニケーション。社会に存在する様々なリスクに関する情報や意見を、個人や集団、機関などの間でやりとりをすること。情報を共有しリスクに関する対話を通して信頼関係を築くこと。一方通行ではあってはならない。
ゼロリスク幻想という言葉に触れた。人々がいたずらに自らが負うリスクがゼロであることを要求するもので、BSE騒動の時に、一気に牛肉を拒絶したときのように、福島で取れた食べ物が一気に売れなくなったりする。
今や、風評被害の発生を恐れてしきりと、安心・安全を声高に謳っているようだが、私は普段からこう思って生活してきた。「リスクがゼロになることなんかない。仕事でもリスクを踏まえて生きてきた」。そのために知識や経験を積むものだ。
だから、安心・安全なんて言葉より、適切な情報がほしい
キュレーター(専門性をもち、発言の責任を引き受け、適切な情報を提供する)として役割をマスコミははたしていないのではないかとの指摘。
一番は風評被害を生み出すことに慎重になっているのだろうと思う。
それでは困る。こちらとしては、正しい情報を受けて、この社会の中での合意点にたどり着いて、リスクを受け入れたいのだ。
放射線のリスクといえば、食品の安全に関して、4月からの予定で、暫定基準値がこれまでの500ベクレルから100ベクレルに下げられるという。見出しはここまで。一気に安心度が高まるかのようなニュースに思えた。
しかし、講義では、原発事故後、毎日耳にしている別な値(μsv)を用いれば、下げ幅は、わずか0.008μsv。そもそも500ベクレルという基準値はアメリカの食品基準値の12分の1であると語られる。
そうなると福島は広範囲で作付け禁止になるのか?
100ベクレルに下げることでのコストの問題は?
この基準値にすることで国への信頼感を取り戻せるだろうか。
今の状況において、私たちの、いえ、私の中では、成すべきことは明確にしているつもり。
論語「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」で講義は結ばれた
知識を備え、自分の立場、行いに迷わず、おじけづかない・・。未来への一歩
そしてあらためて思ったのです。書くということは苦しくて辛いことでもあるよなあ・・・って。でも、書いてみてよかった。自分の頭の整理が出来たから。
久野彩子記
遅ればせながらの「感謝」
先日の塾。なんと国民的行事の日のバレンタインデー。ほとんどの女性塾生が参加してくれ、おまけに手作りの「甘味」のオンパレード。
遅れました。ありがとうございました。感謝、感謝であります。
あの巨大プリンを最後に一気喰いした奴・・・。
講義録、彩子ちゃんが書きあげたようです。「プリン男」が落ち着いたらアップされるはず。
お楽しみに。
で、ホワイトデーはどうなるんだろう。事務局長、そこんとこ、ヨロシク!!
瀬川。
2012-02-01
第20回 粒々塾講義録
新年あけまして・・・今年第1回目の粒々塾。早いものでもう1月が過ぎようとしています。首を長くして議事録をお待ちいただいたすべての方にお詫び申し上げます。
幸先のいいスタート・・・とはいかなかったところ辺りがさすが私。
今回のテーマはまさしく「書く」ということ。私が今やっているこれですこれ。
文才がない、頭は悪い、しかも2012年1発目。
今年初めての塾ということもあり、講義の前段部分は干支に纏わるお話、今年はどのような年になるのかについても触れられました。
今年は「十干十二支」でいう壬辰だそうです。お恥ずかしい話、私は十干とは何ぞやという感じで聞いておりました。60年で1周する十干十二支。60年前の日本は戦後、民主主にのって動き始めた年でした。辰は震えるを表す語。今年はいろんな意味で動き始める1年になりそうです。今の政治をみても、国際情勢の悪化を見ても、良きにつけ悪しきにつけ動かざるを得ない状況であることは皆さまも知ってのとおり。ただ社会の流れに身を任せるのではなく1日1日をどう生きるのか、日々大切に生きていきたいものです。
さて、本題の「書く」ということ。今回の講義では「書く」ということを3つの定義でわかりやすく解説してくださいました。一つ目は書くということは言葉との出会いであるということです。言葉を知らないと書くことはできない。ただ言葉を知っているだけでなく、言葉の意味を理解していなければ書くことはできない。逆に、書くという行動の中にことばの意味を考え捉えることができる。書くことによって改めて言葉を調べるということはよくあります。講義の中では“言葉を旅する”という表現がされていました。言葉にはいくつもの表現方法や、意味があり、その言葉を旅する時、言葉は私たちの心に栄養となって溜め込まれていて「書く」時に、エネルギーとなって放出されるということです。
二つ目は「書く」ということは自己表現・自己顕示ということです。私たちは自分を表現する方法として言葉を用います。そして書くという行動を通して新しい自分を発見したり、普段の自分とは違ったもう一人の自分になることもできます。自分では気づかない深い部分が書くことによって、表されることがあります。私も、幼かりし頃に読書感想文という代物を嫌気がさすくらい書いた記憶がありますが、本を読むだけでは感想って意外と出てこなかった覚えがあります。良かったな・・・ハッピーエンドだったというストーリーの顛末しか記憶されない。しかし、書くことによって繰り返し本を読み、登場人物の心情を考え、それを自分の表現に置き換え、使ったこともないような難しい言葉をつかってみたりして、悪戦苦闘しながら「書く」ということに取り組んだ気がします。そうして、自分で書いたものを改めて読んでみると、意外といいことを書いていたりして、「私もなかなかやるなぁ。」と自己満足したりしていました。自分はこんなことを考えていたのかと、発見することもありました。「書く」ということは自己表現すること。まさしくその通りであります。
最後は、自分をみつめること、再発見すること。先ほどの例にとも重複している部分がありますが、書く過程で悩んだり苦労することがあります。自分と向き合って、私はどう考えるのは、どうしたいのか。改めて「書く」ことによって、新しい自分を発見できる。
あぁ書くって楽しいなぁ。こんなにたくさんの言葉で綴ることを許してくださった塾長始め皆様に感謝。今年もみんなで楽しく「書く」ということに取り組みましょう!ということで、保護者の彩子さん!来月はバシッとよろしくお願いします。
講義の最後のスポーツに関する漢字クイズ、おもしろかったです。私の得点は内緒ですが・・・。
(永倉記)
2012-01-11
地ビールに乾杯!!
亮介くん、素晴らしいお土産、差し入れありがとう。君の「優しさ」とか「仲間への思いやり」「気配り」。みんな泡と一緒に呑み込んだと思う。
さつきの桃もおいしかった。
共有。時間も含め有難いことと。
しかし、いろんなところにいろんな地ビールがあるもんだ。
ラベルのデザインも洒落てるし。色が濃いのも薄いのも。
酒はね。何処で何を飲むかじゃない。誰と飲むかってことだな。
お〜〜い、だれか「雪見酒行くべ」。
塾生各位
昨日の塾、お疲れ様でした。みなさんの顔が見られて、久々参加のアイドルの顔もあって嬉しかったです。
熱心に聞いて戴いて感謝です。
懇親会の場で「こんな感想を言いたかった」という方もいました。時間の制限はあるでしょうが、ぜひ、その場で感想や意見を聞きたかったと思っています。
「書くこと」も大事ですが「話すこと」も、意見を言うことも大事なことなのですから。
伴ちゃんの講義録、楽しみにしています。
ガンジーの言った七つの社会的罪。覚えておいてください。損はないと思いますよ。
便所の前の雑談で尚志学園の校名の由来が話題になりました。
「何をか志を尚(たっと)しといわんや、曰く、仁義なり」孟子の言葉です。尚志出身の方がいるかどうかしりませんが。
ちなみに卒業生いたと思いますが、大成小学校の由来は「允(まこと)なるかな、君子は展して大成するなり」という中国の古典からとったものだそうです。
成蹊は・・・「桃李もの言わずして、その下、おのずから蹊(こみち)を成す」です。
「中央」には何のいわれもありません(笑)
2012-01-01
新年の挨拶 瀬川賢一
年があけました。あらたまりました。今年も楽しく有意義な集まりが出来ることを楽しみにしています。
新年にあたってみなさんそれぞれに思いがあることと拝察します。
「できることを淡々とやる」。今年もそれを信条にして。
2011年に考えて積み重ねて来たことが、今年の自分を助けてくれるかもしれません。
環境はもっと変わるかもしれません。いろんなことが起きるでしょう。
でも、常に、いろんな変化に対して「待ってました」と言わんばかりに、こっちから迎えにいくような気持ちで向き合いませんか。
いろんな「怒り」の感情が心の中に沈殿して澱のように溜まっているかもしれません。
それを明るく笑い飛ばしていけるような、そんな集まりにしていけたらと考えています。
仲間。今、もっとも輝いて見える言葉ではないかと。
2011-12-16
第19回 粒々塾 講義内容
第19回の塾のテーマは、
「自然に意志はあるのか〜日本人の自然観と宗教観〜」
というものでした。今回の記録担当は菊池亮介塾生。
以下、講義内容にのっとった彼の感想、考えを今回の議事録とします。
核兵器に怯えていた時代は「終わり」を告げ、皮肉なことに人々の生活に
欠かせない電気を生み出す原子力発電の事故によって放射線という未知の
領域に怯える時代の「始まり」を我々は経験している。
震災直後、メディアの一斉報道があり、全国民がココロを一つに
通わせようとした時は、すでに過去のことであったような気がする。
人々の関心の終わりを象徴sるかのように、最近では「風化」という
言葉さえ使われるようになった。しかし、被災地では未だ様々な問題が山積し、
人々は不安を持ちつつも、“希望”という光を掴むために、事実をありのままに
受け止め、前に進む決意を固めている。
「人の心の中には龍が住んでいる・・・。人格と言う龍が。
年をとって経験を積むとその龍も大きく、強くなっていく。
・・・それを大きく強く育てなさい、自分の龍を養いなさい」
ブータンのワンチュク国王が被災地を訪問し、子供達に投げかけた
このメッセージは、きっと子供たちの、今後の人生観を変えるほどの力強い言葉
だったにちがいない。幸福指標は、物欲の度合いではなく、
心の満たされ度合いである。
大震災直後、ヒトは極度の緊張状態に陥り、物資の買い溜めに専念する者、
即座に県外に脱出する者、緊迫時にボランティアに精をだす者、
助け合いの精神をみせる者など、
まさに人間の心に宿る「人間力」という名の多種多様の龍を、
人々は目の当たりにした、歴史的一コマであったのではないだろうか。
長渕剛氏の詩『復興』は、海の男達が悲壮感に打ちひしがれ、
ぶつけようのない憤りのココロを持ちつつも、自然の厳しさを受け入れる
強靭な心の持ち主であることを詠っている。
彼は一見自然を罵倒するコトバを投げかけているようだが、
そこにあるメッセージはまさにカレラと同じ目線に立った心の内を表現している。
自然と共に生き、繰り返されてきた災害から何度も立ち上がってきた
先人達の長い歴史があるからこそ、「大切なモノ」を失ったという現実を受けとめ、
それを背負い前に進んでいこうという強いメッセージが込められているように感じる。
「生かされた者の責任」として、自然の厳しさを理解し、
愛する地で生きる「覚悟」を決めた人々に向けた、彼独自のエールと読み取れる。
「憎くても 怖くても 許せなくても
それでも 私たちは あの場所を
この国を 愛してやまないのだから」
この最終節に彼の想いが集約されている。
日本は、国土の7割以上が山地で、人口が密集している都市のほとんどは
軟弱な地盤の沖積平野である。海に囲まれた南北にのびる日本列島は、
地域によって気候が異なり、生物の多様性にも富んでいる。
さらに、地球表層部を構成する4枚のプレートがかかわる特異な場所に位置するため、
世界でも稀な火山・地震列島である。
このような環境下のなか、日本では昔から様々な自然災害が多発し、
その度に多くの人々が、住居や土地を失い、悲しみに包まれつつも、
そこから立ち上がり、助け合いの中で復興するという歴史を繰り返してきた。
「無常」という宗教観は、人間が「自然をコントロールすることは出来ない」
ということを十分理解したうえで、それでもなお日本人が自然と向き合い、
この地で生きていくために身につけた諦めの精神であったと塾長は言う。
諦めは明らめ、明らかにするということに通じると。
「またやって来たからと言って春を恨んだりしない・・・わかってる
わたしがいくら悲しくても そのせいで緑が萌えるのが止まったりしないと」
(引用:ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「眺めと別れ」から)
自然は人類に無関心である、確かにその通りであろう。
ヒトの感情に関わらず、四季は毎年繰り返されるもので、そこに自然の意志はない。
自然災害もまた同じである。
「自然と対立するのではなく、受け流して再び築くという姿勢」が日本人の
国民性として定着していた。しかし、ヒトは自然には意志が存在するものだと願い、
心のどこかで自然と対話し、対等の時間を持とうとしてきた。
テクノロジーの進化で、人類は地球上で強力な権力を手に入れ、
人々の快適な暮らしを追求するがために、アニミズムからヒューマニズムへと
考え方は移ろい、ヒトが自然を超越する存在であるかのように錯覚してしまった。
人類は未だ地球上の自然の一部であり、ソノ存在は何ら特別なものではない。
先進技術を過信し、それ無しでは生きられないという非常に弱い生物でしかないのに。
地球が、海水温の上昇やコンクリートジャングルと化した都心で発熱をおこしても、
熱を冷やすために巨大なハリケーンを発生させ大量の水を降らせても、
寒さや暑さを凌ぐための森林が伐採され山肌が崩れようとも、
そしてレアメタルや石炭等地球の骨格を削り取られたとしても、
地球は何も言葉を発することはない。
人々が自然をコントロールしようとする知恵と技術の結晶で災害防止を図る中で、
自然はあるがままに行動する。人々が快適な生活を欲するがために継続される
人間中心主義の活動から派生する自然災害は、全てにおいてその活動の
副産物でしかない。
今、コノ時代に我々が体験した惨事で、ヒトは何を感じ、何に気づくのだろうか?
大量生産・大量消費というライフスタイルから、本格的にサステイナブルな時代へ
方向転換する時期がすでに訪れているのかもしれないと強く感じる。
(菊池 記)
