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ココロオキラクBLOG 地獄はオレの遊び場だぜ RSSフィード

2006-06-30

共に生きるいのちとは −私の中で動き出すハンセン病問題ー

 発行 浄土真宗本願寺派 高岡教区寺族青年会 500円

 高岡の20代、30代、若手僧侶たちがハンセン病問題についての取り組みを報告する形で出版された。

 自ら開催したシンポジウム、勉強会、栗生楽泉園研修旅行での講義録が中心となっている。

 富山国際大学助教授、藤野豊氏の、ハンセン病問題についての最新でホンネの捉え方がまとめられているのが興味深い。

 富山の東西両本願寺僧侶たちのなかでも、彼(女)らの取り組みは突出していてる。

 ボクには彼(女)らの活動が輝いて見える。若さっていいよな。キミたち、じつにカッコイイよ。

 実際のところ、儀式作法の講習会には多くの若手僧侶が集まっても、教学や社会問題についての研修は参加者が少ないのだ。

「今月はこんなに多くの葬儀があって大変でした」と話す僧侶の表情は幸せそうだ。充実感があるのだろう。

 でも、ゴメン。なんかオレ、「そうかそうか」と相づち打てない気分なんだわ。いま。

AskaAska 2006/08/11 01:27 報告集のタイトルを検索したら、ここにたどり着きました。最近リニューアルされた寺族青年会のサイトもよろしくお願いします。www.ranshokai.jp ところでこのサイトの主は?

ryuuusei1ryuuusei1 2006/08/11 05:45 いらっしゃいませ。プロフィールからのリンクをたどっていただけると分かると思うのですが大谷派の玉永寺です。
Askaさんとは、以下のようなご縁もありました。
http://kokorookiraku.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b840.html

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2006-06-29

砂の器

砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

 富山松竹。この作品がつくられたのは1974年。島田陽子(この人の役は、原作では殺されることになっていた。映画では流産し、倒れて死んでしまう。「妊娠小説」のパターン)、山口果林、森田健作渥美清笠智衆、春川ますみ、菅井きんと、懐かしい俳優さんが続々と登場する。

 70年代の田舎や街や居酒屋の風景、家具や内装、服装と、なにもかもが懐かしい。

 親子の流浪のシーン。前の席の方が号泣していた。私もけっこう泣いた。

 しかしながら、冷静に振り返ってみると、どうも判然としないのが、犯行の動機なのだ。刑事(丹波哲郎)の台詞によれば、犯人(加藤剛)は身元を暴かれることを恐れてではなく、余命いくばくもない療養所の父(加藤嘉)に会うことを勧められて、恩人(緒方拳)を殺害したという。しかし、身元を暴かれれることと、父に会うことって、どう違うんだ??

 もしかしたら、わたしが何か勘違いをしているのかもしれないが、原作では死去している父を、映画が生きているという設定に変えたために生じた矛盾ではないか。いや、加藤剛が殺人を犯した事実を薄めて、なんとなく被害者であるようなのような印象を与えることを、脚本は狙って演出したような気がしてならない。

 とにかく、ピアノをたたきつける加藤剛の旋律と、虐げられて雪の中をとぼとぼと歩く父子の映像のクライマックスにはもう、なんとも言い知れない、鬼気迫るものを感じさせられる。

 あと、この映画のラストシーンに入る字幕は以下のようなものである

 ハンセン氏病は医学の進歩で 特効薬もあって 現在では完全に回復し 社会復帰がつづいている それをこばむものは まだ根強く残っている 非科学的な偏見と差別のみで 本浦千代吉のような患者は もうどこにもいない しかしー 旅の姿はどのように変わっても 親と子の「宿命」だけは永遠のものである

 「いのち」の近代史―「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者に引用の文章より

 私は、この「宿命」というかたちで人生や人間の関係を把える考え方に同調することができない。「宿命」によって、ある人生がしばられているとすれば、人間に負わされているはずの責任というのはどうなるのか。「砂の器」では「宿命」という人と人との、変更のしようのない関係から、必然的なものとして「殺人」というドラマ展開がみちびだされている(略)私たちの全患協は昭和二十七年から八年にかけ、全国的な死に物ぐるいの運動を展開、らい予防法の改正に取組んだのをはじめ、今日のような状況へ道をひらいてきた。それは「宿命」というものも、人間の努力によって変えられる、ということを示してきた過程であったといえるだろう。(大竹章『砂の器』を考える)

 そしてパンフレットに載っていた加藤剛へのインタビュー。

質問者 和賀英良が「幸せなんてこの世にはない。生まれてきた事、生きていること。それが宿命」だといいます。この台詞はすごいですよね。加藤さんにとっての「宿命」とは?

加藤 「宿命」というと諦めみたいなものがありますでしょ。変えられないものとして。でも人生を切り開くいていくのが人間のそれこそ宿命なんでしょうね。だから人生は愛しいと思うんです。

加藤剛の言葉には和賀英良が憑依している気もする。

どれも、検討課題。

 

yuihouyuihou 2006/06/30 15:38 突然のコメントをお許しください。
真宗大谷派 唯法寺 住職 占部と申します。「仏教の現在」http://shinshu.cocorahen.com/ と名付け、仏教者のブログ集をつくろうと計画しているところです。xoopsなどの機能を使って更新されたブログを自動的に採録するページです。貴ブログをここに採録させて頂きたく、現在貴ブログを試験的に載せています。ご覧頂き不都合と思われましたら、取り消させていただきます。何卒よろしくおねがい申し上げます。

ryuuusei1ryuuusei1 2006/06/30 20:36 採録、ありがとうございます。
技術系がお強そうで、うらやましいです。
今後ともよろしく、お願い申し上げます。

yuihouyuihou 2006/06/30 20:46 ご快諾頂きありがとうございます。
どのようなページにしていくか手探りしております。今後、ご教示の程よろしくお願い申し上げます。

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2006-06-28

趣味は読書。

趣味は読書。

趣味は読書。

 斎藤美奈子の著書を集中的に読んできた。少々極端ではあるが斎藤の感性を信じてみたいな、という気持ちがあるのだ。それは、紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)のスタンスにとても共感したから。

 紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)アニメ評論だけでなく、「伝記」というジャンルで作られた偉人伝に、恣意的な操作が加わっていることの検証もしている。それは、ヒロインたちの実像を調べ上げるという方法による。「白衣の天使」ナイチンゲールは「すご腕の実務派ばばあ」、「科学の聖女」キュリー夫人は「田舎出のガリ勉娘」、「奇蹟の人」ヘレン・ケラーは「戦略的なエンターテイナー」。どの人も奇麗事では済まされない、一筋縄ではいかない生涯をおくっている。それは世間が「善」としてもてはやす側面と、「悪」として隠そうとする側面の両方を、人間、あわせもってるということを明らかにする。だから、斎藤のスタンスは、フェミニストとしての理想的な女性像を示すというのではなく、人間そのものをみようじゃないかという感じだと思う。その辺りが気に入っているわけだ。

 「趣味は読書」は、ベストセラーについての書評。この中で、読んだことがあるのはハリポタだけ(汗

 以下に、気になったというか、気に入ったところをメモしときます。


何がありがたいって、まず今風の科学ネタが山盛りであるのがありがたい。それから、人名の出し方が丁寧なのがありがたい。だいたいわれわれ凡人は、科学と人名に対するコンプレックス強い。それが「自分にもわかる形」で提示されれば、それだけだって合掌ものだ。各宗教の坊さん関係者はこっそり虎の巻にすべきだと思うな、これ。「大河の一滴

いまさら新しいことなんか・・・という気持ちもわからないではない。しかし、こうまで現状補完方の自己正当化が流行すると、救われないのは<頭はからっぽのまま>と決めつけられた俗人のほうだ。人生八〇年時代、今般、新しい課題と格闘している高齢者だって、いくらでもいるのである。そういう人たちの前向きな意欲まで切り捨てるかな。「倚りかからず」

三三人のキリスト教徒と一九人のイスラム教徒なら話しあいも可能だろうが、実際にはそういう人が億単位でいるから争いになる。世界の把握に必要なのはパーセンテージではなく、むしろ実数なのである。数字の力でノンフィクションに見える危うさは疑似科学にも似た手法だ。(略)自己肯定にみちた終盤にいたっては、もはやなにをかいわんやが。なーにが<この村を救えます。きっと>だ。救われるのは自分だけじゃねえの? アメリカ中心の一元化をグローバリズムと勘違いする頭の平和な方々が好みそうな内容だわ。(略)単純化されたメッセージから受け取れるのは、単純な感想だけだ。これがテロ後の米国から発信され、ネット上を巡り巡って、日本で本になって感動を呼ぶ。いまの地球の姿が暗示されているようである。やれやれ。「世界がもし100人の村だったら」

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2006-06-27

あの夏、いちばん静かな海。

あの夏、いちばん静かな海。 [DVD]

あの夏、いちばん静かな海。 [DVD]

 見ているうちに、映画の登場人物たちのように、ずーっと海を眺めてみたくなった。

 やっぱり、北野武ってたいしたもんだと思った。

 最後、ヒロインに微笑ませるより、涙でも流させれば感動的になるのに、と思ったけど、やっぱりクサくなっちゃうのかな。

 

 

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2006-06-26

「人生の答」の出し方

「人生の答」の出し方

「人生の答」の出し方

 わたしのプロフィールに「生きる意味 死ぬ意味 見つからないと泣くんじゃない 意味は 自分で作り出すしかない」とあるが、ブッタとシッタカブッタ (心の運転マニュアル本)が典拠だったと思う。

 生きている意味が見つからないと焦って探しまくるブタが出てくるのだが、彼に「じゃあ、自分で意味をつくればいいさ」というアドバイスがブッダから投げかけられるというマンガだった。記憶が曖昧だが。。。

 そして、この本を読んで、ナチスドイツ強制収容所で生き残った精神医学者ビクトル・フランクルが同じようなことを言っているのを知った。

<人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。>

<われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。>夜と霧 新版

 私自身、以前は「オレってなんで生きてるんだろう。意味がないんじゃないか」と漠然とした問いを抱えていて、「夜と霧」は読んだ事があったのに、そのときは響いてこなかったんだな。

 「「人生の答」の出し方」という題名も、この金言を意識してつけられているのだろう。柳田さんがホスピスを提唱する根拠にもなっている。

 この本はジャーナリズムの色合いの強いエッセイが集められているのだが、大部分を占める医療や教育についてのお話は、正直、おもしろくない。なんというか、柳田さんがいい人すぎるというか、登場する人々が立派すぎるというか。善男善女ばかり登場するお話はどうも好きになれないというか。(浄土真宗だと「ちょっと聖道門ぽ」と形容できる?)

 それが「社会病理を見通す眼」という章があって、東海村臨界事故や水俣病について権力を糾弾する段となると、なんだか文章からオーラがふつふつと湧き出しはじめるw やっぱりこの人は、こうじゃないとなー、とか思ってしまう私は、いったいなんなんでしょう。

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2006-06-25

文壇アイドル論

文壇アイドル論

文壇アイドル論

 文芸畑の著名人たちを生み出した読者たちの視点を、その文芸に対する評論を手がかりにして分析する。「人は見た目が9割」なんて本も出てるが、なんで彼(女)らはウケタのかを調べていけば、それがそのまんま、作品世界の本質だったりしてしまうわけだ。

 一番最初が村上春樹。じつは、わたしなんかもデビュー作「風の歌を聴け」からずーっと彼の作品を読んできたものだから、なんだか懐かしく斎藤の分析を読んだ。いろいろな謎解きを呼び起こすような文体であるだけで、内容はそう新しいものでもないということだった。それでも村上の一つ一つの作品には学生時代が重なっていて、思い入れが深いというか。斎藤の分析以上のものがあるように思うんだよなー。

 そして、俵万智吉本ばなな林真理子上野千鶴子が続く。彼女らがどのような支持基盤をもってアイドルとなりえたのかの分析は、それぞれに、なかなかに面白かった。

 次に、立花隆村上龍。二人がどんなに情けない女性観をもっているかというのがとっかかりなのだが、そこから二人の「稚拙さ」を容赦なくあぶりだしていく。なかなか手厳しいが、最後の田中康夫は意外に評価されていたりする。

 文芸批評の分野には、まったく興味がなかったのだがそれなりに最後まで読み終えることができた。

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2006-06-21

妊娠小説

妊娠小説 (ちくま文庫)

妊娠小説 (ちくま文庫)

 ソロクトなどの海外のハンセン病療養所で、断種が懲罰として強制された。しかし、懲罰の方法が、なぜ断種だったのか?という疑問を漠然と持っていた。絆―「らい予防法」の傷痕-日本・韓国・台湾

 この本は「妊娠」という観点から著名な小説を読み解いた評論で、下の文章は中絶が社会衛生的に安全に行われるようになっても、石原都知事太陽の季節」ように、ヒロインが生死をさまようことになるのはなぜかの分析なのだが、読んでハッとした。

2、妊娠中絶は「女に対する制裁」にもなりえます(教育的メッセージ)。

 中絶の解禁は、ちょっと前まで死を賭して堕胎に挑んだ女にとってみれば、むしろ解放(生まなくてすむ・安全に中絶できる)と感じられたはずである。しかし、これらの小説では、中絶が逆に作用している。ヒロインはさんざんセックスを楽しみ、最後、中絶手術のせいでひどい目にあう。中絶が、つまり女に対する制裁、懲罰としてはたらくことになる。肉体の快楽(淫蕩のセックス)を享受した報いは、肉体の苦痛(死ぬ・痛い)によってあがなわなければならない、というハンムラビ法典だか仏教説話だか知らないけれども、ともかく因果応報の教訓。いかにも女の浅知恵を嘆く人らしい、教育的な配慮が感じられるだろう。

ハンセン病重監房の記録で紹介されていた「パターナリズム」を思い起こせばさらにはっきりする。患者たちの性を歓び子孫をもうけようとする希望を打ち砕き、懲罰を与える「父」あるいは「神」となって、医者たちは堕胎と断種を執行したということだったのだ! 気づいてみれば、あたりまえのことなのだが、このあたりの道筋がすっぽりと私の頭から抜け落ちてしまっていたことを、(もしかしたら無意識に、意図的とか。。。)斎藤美奈子に思い知らされた。

 「妊娠小説」で頻繁に取り上げられている、三田誠広「赤ん坊の生まれない日」は私の愛読書だったし、見延典子「もう頬づえはつかない」も桃井かおり主演の映画で何度も見た。こうした作品がいかに男性の一方的なセックス観、男のエゴのもとで作られているかが、ブラックで面白すぎる分析によって明らかにされて、こちらとしては、なんどもなんどもアッパーカットを喰らってる気分。

 例えば橋本治「桃尻娘」シリーズについて

 百パーセント「負」だったはずの中絶が、ここでは完全に「正」と受け止められている。彼らの価値は要するに「恋愛」であり、それにくらべれば「性交」も「妊娠」も「中絶」でさえも、恋愛を彩るおまけ、ちょっとしたフリルでしかない。

 にしても、なにより奇妙なのは、どう考えても子どもっぽすぎるこの連中がそろって19歳で、今までのほかの妊娠小説、「太陽の季節」や「赤ん坊の生まれない日」や「風の歌を聴け」の主人公たちとじつは同世代である、という点ではなかろうか?

 しかし、わたしたちの考えるに、おそらくこっちが「リアリズム」なのだ。

 オレの生命観とでもいうものは、ほんまにリアルではなかった。じつに薄っぺらなものだった。桃尻娘にひっくり返された。いのちの尊さを訴えるってどういうことなんだ? 最初から考え直さなければ!!

追記

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

より

 横浜屠場労組では『殺生戒』や『穢れ観』をもっての「生き物を殺すことはひどいこと」との価値観こそが、誤っていること、それこそが、私たちへの差別に連なるものであることを明らかにし、戦い抜いています。

 そもそも、「生き物を殺してはいけない」などとの価値観は成立するのでしょうか。すべての動物は、人間もふくめ、他の生き物を殺して食べたり、寄生したりして、利用して生きているのであり、それはきわめて、自然の営みなのです。

 しかし、はじめのころ、わたしたちは、「屠場をみたこともない人でも、差別的なイメージを持つ」根拠として、生き物を殺すことを忌み嫌う『殺生戒』や『穢れ観』に影響された価値観が、人々の中に、あるいは自分たちの中に、根深く植え付けられている事実まではみえていなかったのです。(略)

 たしかに、屠場では「さまざまな物を生みだすところ」という意味で、「捨てるもののない活かす文化」を部落大衆や在日から引き継いだ素晴らしさがあると思います。しかし、それを「殺していることを否定する」ために持ち出したり、相変わらす「生き物を殺すことはひどいこと」との意識の上で主張していたのでは、私たちへの差別も、畜犬センターにはたらく仲間や三味線に貼る皮をつくる仲間への差別もなくなるはずがないのです。

先の斎藤の文章にも「仏教説話」とある。パターナリズム的に宗教を使ってはいけないということか。検討課題。

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2006-06-20

ホテル・ルワンダ

 この映画の主人公は、あきらかに子どもたち。

 冒頭、ホテル支配人の息子が返り血を浴び、怯えて動けなくなって発見される。映像化はされなくても、観客は映画を見ているあいだ、常に「鉈で殺される子ども」のイメージに晒される。そして支配人がどのようにして子どもたちを守りぬいたのかに夢中にさせられる。そこのあたりが、非常によくできている。

 政治的プロパガンダによって巻き起こされる人間の狂気、それを見てもなにもしようとしない大国の非情さが浮き彫りにされる。もちろん、私もまた、ルワンダ虐殺のニュースを知りながら、何もしなかったことを告発された。恥ずかしい。

 富山の小さな映画館のあちこちですすり泣きが聴こえた。私も一緒に泣いていた。

 

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2006-06-13

ハンセン病重監房の記録

ハンセン病重監房の記録 (集英社新書 (0339))

ハンセン病重監房の記録 (集英社新書 (0339))

 医療倫理研究者ならではの視点に学ぶことが多かったが、栗生楽泉園にあった重監房の復元運動に関わっていらっしゃるのは「職業柄」という言葉では収まらないお気持ちがあるのだと思う。

 日本のハンセン病政策「強制隔離」「強制労働」「断種」「懲罰」という、患者を弾圧する権力が発生した根源を、著者は「パターナリズム」という概念で明らかにする。

 パターナリズムの「パター(pater)」は「父親」を意味する言葉であり、まさしく父親と子供のような関係が出来上がっていることをいう。つまり、当事者の間に力の不均衡があり、「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振舞うべきだという価値観のことである。

 医療では医師と患者のあいだに、典型的に力の不均衡が存在する。患者は病気を抱えて弱い立場に置かれ、医師にはその病気を治療するために医学知識と技術がある。パターナリズムは、最近では、インフォームド・コンセントの対極にあるものとして、もっぱら批判的にとらえられてきた。

医療法曹、行政、ジャーナリズム、そして宗教が、ハンセン病問題を長年にわたって放置してきたのも、この救うものと救われるものとの二分化と、善意の底にある差別感情に起因する。

 また、日本が戦前、戦後と隔離政策を推し進めていた同時代、世界の国々はどのような施策を行っていたかを紹介されている。それらに基づき、重監房とは何かということを著者は以下のよう意味づけ、復元運動を読者に訴えかける。とても素晴らしい文章だ。長いが引用する。

 重監房を一つの極とする日本のハンセン病政策は、世界のハンセン病の歴史の上でも、また医学の歴史の上でも、これまでに十分に記述されていない新しい歴史的事実を提示する。それは、社会差別が根強い病気の対策として、病気ではなく患者を消し去る政策が、一つの近代国家のなかで実現したことであり、その手段として、医療に携わる人間が患者に懲罰を与え、死なせたという歴史的事実である。

 これは、世界の人々にとって、貴重な学習の機会となるはずのものだ。世界各地で19世紀から20世紀にかけて行われていたハンセン病政策は、程度の違いはあっても不当な人権抑圧を含んでいた。その背景には、この病気に対する不正確な知識と、感染症や、外貌に影響する病気に対する私たち人間の根源的差別意識があった。20世紀の日本でとられていたのは、それらの否定的な要素が、およそすべて複合したかのような最悪なものだった。

 その「負の遺産」を覆い隠してしまえば、それは日本にとって永久に恥ずべきものであり続ける。逆に、積極的に検証し、歴史的事実を提示し続けることで、私たちはそのような過去と決別し、まったく違った社会の仕組みを確立すると、堂々といえるのではないだろうか。

 この本でも取り上げられているが、私は20年前、卒業旅行にアウシュビッツを訪れた。殺された人たちが遺した義足の山、殺された子供たちのおびただしい写真、人の脂でつくられた石鹸を見てきた。漠然と、人間はなんでもやるんだと思った。今になって、思い出した。

2006-06-11

お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門

 似たような本を続けて読んでしまいました。

 フェニミズムという学問は、自己の形成が必ず政治的、社会的に他者からの介入によって行われていると考えます。アイデンティティについて非常に敏感であるという印象を持っています。

 ジェンダーフリーに対する反論のなかに、「ならば、どういう人間像を求めているのか?」というものがあります。まぁ「フリー」というわけですから、どんな生き方も許されるということなんでしょうが、自由ほど分からないものもないものはないのです。フリーに生きるってどういうコトなんでしょうね?

 そのあたり、ディズニー白雪姫」についての分析において、著者は以下のように論じています。

 悪い母の嫉妬によって、何度も死の危機に追いやられた白雪姫の運命は、男性中心の社会のなかで、多くの母親が実はその娘の自律を疎外しているという現実を象徴するものである。しかしこの二人は、実はあわせて女性そのものだ、という学生の感想文のなかに、どこかで断ち切らなければならないこの構造(女が女の敵になる)を崩す可能性が潜んでいる。

批判しつつ内省する。自分のなかに悪を見るようにしますと批判ができなくなって、下手を打つと自虐になってしまいますから難しいんですが、どのように突破すべきと言っているんでしょうか?

 あと、「シンデレラ」のガラスの靴を性器の象徴とするなどの精神分析の手法が積極的に取り上げられ、次に「眠り姫」で男性の性暴力の問題が取り上げられて、けっこう、この辺りは男性としてイタイんですが、フロイドなどの精神分析自体をフェニミズムはどう捉えているのかなという疑問を持ちました。

 ジェンダー学、初心者です。そのものじゃなくて、周辺のことばかり書きましたね。学ぶこと多し。

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2006-06-10

オーバーマン キングゲイナー

オーバーマン キングゲイナー Vol.9 <最終巻> [DVD]

オーバーマン キングゲイナー Vol.9 <最終巻> [DVD]

 久しぶりにアニメをワンクール見終わった。キャラも、メカも、動画もすべてが素晴らしい。

 そして、なによりも台詞のぶっとびかげんが、富野さん以外のなにものでなくて、もうたまらん!

 映像からあふれる若さとエネルギーが、あの人から来てるんだと考えてしまうと、すこしきもち悪くもなるが、ある意味、ガンダムが明るい方向へと進んだ到達点。

 こういう趣向を持つ私としましては、とにかく堪能いたしました。満足満足。

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2006-06-07

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

 ガンダム以前というか、ほとんどのアニメが「紅一点」の時代の評論については、いつもの通り「アニメに対する愛がない」と、苦々しく読んでいた。それが、エヴァンゲリオン映画版が

 こういう象徴的な話をアニメ絵でやられると、トホホ感が先立って「聖なる母」のイメージも台なしだ。母性なんてものは、このくらい安っぽく相対化された方がいい。

と罵倒されたあたりから、壷にはまってしまった。著者が資料としてあげている本の中で、セーラームーンをそのまんま「母性」で論じていた自分が、恥ずかしくてたまらんです。

 宮崎アニメ批判もすごい。これまでの多くの評論が、宮崎アニメは反文明、女性原理を提起していると読んできた。その捉え方自体を、ばっさり切る。

 ならば、「女の子の国」は人類を救えるのか、ラナやナウシカが、魔法を最後のよりどころにしていたことを思えば、そうはいかないことは明白である。だが、ラナやナウシカの棲むエコロジーな国は、人々の安易な願望を体現している。近代(男性性)が救えなかった世界は、反近代(女性性)によって救われるのではないか、という勘違いである。ラナ→ナウシカ→サンというラインは「自然と共生する少女」への期待感を示している。が、それを追求しても最後は野獣=原始の姿に戻るしかない。近代を直視していない反近代は、前近代と同じだからだ。

 宮崎作品はエコロジーの提案から文明と反文明のせめぎあいへとテーマは移行してきているから、著者の批判が全部あたっているとはとは思わないが、二元論の枠組みを綺麗に批判できるフェミニズムはやっぱりすごいと思った。かなり洗脳された気がしている。


追記 以下の部分も大事だと思うので、メモしておく。

エボシひきいるタタラ場の論理が破錠しているのは、女がなぜ生産労働や軍事の現場から排除されていったか、という歴史を学んでいないことである。なぜか。答えはきわめて簡単である。妊娠・出産・授乳といった女性の再生産労働が、生産労働の現場ではハンディと考えられてきたからである。(その意味では「男の国」の紅の戦士が二十歳前後の若い女であったのも当然だったといえるのだ)。子どもと年寄りがいない文字どおりの「男の国」であるタタラ場は、男女平等社会どころか、悪しき近代社会のカリカチュアである。

nappa2914nappa2914 2006/06/09 14:30 つい最近急に女性差別について関心が起こってきた。女性であることの悲しみや苛立ち、わざわざ自分のブログに「僧侶」ではなくて「尼僧」と名のる痛み、もっと(知識的な)力が欲しいと素直に思う、女性差別は気がつかないことが多いことも学んだ。この本はとっかかりに興味があってすごく読んでみたいと思い(カートに入れてき)ました。同時にハンデを抱えて生きることが少し楽しくなりました♪

ryuuusei1ryuuusei1 2006/06/09 19:29 ジェンダー学は「男らしく」生きることの愚かさも指摘します。どういうスタンスで学ぶのか、私の方ははっきりしていませんが、なんとなく、宝の山のような気がしています。

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2006-06-05

エントリーできなかった作品群5

仏教と資本主義 (新潮新書)

仏教と資本主義 (新潮新書)

題名に期待して読み始めたのだが、途中から飛ばし読みに。

マックス・ウェーバー浄土真宗を取り上げていることを指摘していながら親鸞は扱わないとか、どうも全体的におかしな内容でがっかりした。

鉄人28号 デラックス版 [DVD]

鉄人28号 デラックス版 [DVD]

いい役者さんを使って、みなさんがんばって演技して、特撮も悪くないのに、父子の絆を描いた脚本が貧弱。残念。

アザー・ファイナル [DVD]

アザー・ファイナル [DVD]

ほのぼのとしたいい映画だった。藤井隆「ホットホット」のネタがわかった(?)

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2006-06-04

快適睡眠のすすめ

快適睡眠のすすめ (岩波新書)

快適睡眠のすすめ (岩波新書)

 寝つきが悪かったり、早朝4時ごろに目が醒めてしまったりして、睡眠障害に苦しんだときに読みました。

 この問題についてはいろいろな本が出ているのですが、なんとなく「あるある大辞典」より「ためしてガッテン」のほうを信用する傾向が私にはありまして、岩波新書ならだいじょぶだろうと考えるんですね。これも、一種のブランド志向なんでしょうか。

 睡眠についての専門的な報告が多くて、しっかり読むには辛い本なのですが、40代ともなると睡眠障害が起きてあたりまえということだけは、よくわかりました。朝日を浴びるのと、30分程度の昼寝を実行して、だいぶ改善されたような気がします。まぁ、ストレスが溜まると、そうもいきませんけど。

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2006-06-01

宗派・教区の御遠忌テーマについて レジメ

 〜無量寿経「仏仏相念」から考える〜


1、仏仏相念とは? 

(顕浄土真実教文類より抜粋 聖典p152)

真実の教を顕せば、『無量寿経』である。

どのようなことから、この経は釈尊が世にお出ましになった本意を述べられた経であると知れるのかというと、『無量寿経』に以下のように書かれている。

「阿難が申し上げた。〈世尊は今日、よろこびに満ちあふれ、お姿も清らかで、そして輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられます。まるでくもりのない鏡に映った清らかな姿が、透きとおって見えているかのようでございます。そして、その神々しいお姿がこの上なく超えすぐれて輝いておいでになります。わたしは今日までこのような尊いお姿を拝見したことがございません。そうです、世尊、私が思いますには、世尊は、今日、世の中でもっとも尊いものとして、とくにすぐれた禅定に入っておいでになります。(略)過去・現在・未来の仏がたは、互いに念じあわれているということでありますが、今、世尊もまた、仏がたを念じておいでになるに違いありません。そうでなければ、なぜ世尊のお姿がこのように神々しく輝いておいでになるのでしょうか〉

 そこで釈尊は阿難に対して仰せになった。〈阿難よ、神々がそなたにそのような質問をさせたのか、それともそなた自身のすぐれた考えから尋ねたのか〉

 阿難が答えていう。〈神々が来てわたしにそうさせたのではなく、まったく自分の考えからこのことをお尋ねしたのでございます〉

 そこで釈尊は仰せになった。〈よろしい、阿難よ、そなたの問いは大変結構である。そなたは深い智慧と巧みな弁舌の力で、人々を哀れむ心からこのすぐれた質問をしたのである。如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである。このような仏のお出ましに会うことは、はかり知れない長い時を経てもなかなか難しいのであって、ちょうど優曇華の咲くことがきわめてまれであるようなものである。だから、今のそなたの問いは、大きな利益をもたらすもので、すべての神々や人々をみな真実の道に入らせることができるのである。(略)〉

(「顕浄土真実教行証文類−現代語訳―」本願寺出版社 参照)

・阿難は多聞第一だが優秀ではなかった。凡人。

・ある日、阿難が釈尊に初めて本当の意味で出遇う。

 個人崇拝をしてきた釈尊の背景に、「諸仏」をみる。

・阿難は、自分が言い出した問いの素晴らしさをわかっていなかった。

・凡人である阿難が、仏の出世の意味を証明する。

・「善いかな 善いかな 汝、今、よく問えり。」(無量寿如来会 聖典p153)

 宗派御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」


2、大乗仏教の「諸仏」

・世自在王仏と法蔵菩薩、そして五十三

 無量寿経はあらゆる時代と場所で諸仏が生まれることを明らかにしていく。

 →顕浄土真実行文類 諸仏称讃 正信念仏偈

 龍樹と天親 天親と曇鸞 曇鸞と道綽 道綽と善導 善導と法然 法然親鸞

 親鸞と唯円 唯円と蓮如 唯円と清沢満之

「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は、前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり。」道綽『安楽集』、教行信証後序の後に引文 聖典p401


3、富山教区・富山別院 蓮如上人五百回御遠忌法要

並びに 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け法要テーマ

「差異 つながり・・・そして いのち 〜孤独の闇から響きあう世界へ〜」

親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讃法要テーマ(1973年

「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」

○蓮如上人五百回御遠忌テーマ(1996年 発表)

「バラバラでいっしょ 〜差異を認める世界の発見〜」

親鸞聖人七百五十回忌御遠忌テーマ(2005年 発表)

「今、いのちがあなたを生きている」

親鸞と関東の「いなかのひとびと」 同朋会運動と部落差別問題

親鸞山伏弁円          同朋会運動と靖国問題

親鸞犬神人           同朋会運動とハンセン病問題

親鸞と赤山明神          同朋会運動と女性差別問題