お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門

 似たような本を続けて読んでしまいました。
 フェニミズムという学問は、自己の形成が必ず政治的、社会的に他者からの介入によって行われていると考えます。アイデンティティについて非常に敏感であるという印象を持っています。
 ジェンダーフリーに対する反論のなかに、「ならば、どういう人間像を求めているのか?」というものがあります。まぁ「フリー」というわけですから、どんな生き方も許されるということなんでしょうが、自由ほど分からないものもないものはないのです。フリーに生きるってどういうコトなんでしょうね?
 そのあたり、ディズニー「白雪姫」についての分析において、著者は以下のように論じています。

 悪い母の嫉妬によって、何度も死の危機に追いやられた白雪姫の運命は、男性中心の社会のなかで、多くの母親が実はその娘の自律を疎外しているという現実を象徴するものである。しかしこの二人は、実はあわせて女性そのものだ、という学生の感想文のなかに、どこかで断ち切らなければならないこの構造(女が女の敵になる)を崩す可能性が潜んでいる。

批判しつつ内省する。自分のなかに悪を見るようにしますと批判ができなくなって、下手を打つと自虐になってしまいますから難しいんですが、どのように突破すべきと言っているんでしょうか?

 あと、「シンデレラ」のガラスの靴を性器の象徴とするなどの精神分析の手法が積極的に取り上げられ、次に「眠り姫」で男性の性暴力の問題が取り上げられて、けっこう、この辺りは男性としてイタイんですが、フロイドなどの精神分析自体をフェニミズムはどう捉えているのかなという疑問を持ちました。
 ジェンダー学、初心者です。そのものじゃなくて、周辺のことばかり書きましたね。学ぶこと多し。