Hatena::ブログ(Diary)

流山子雑録    『酔睡胡乱』

2017-10-19

ジャニス リトル・ガール・ブルー。

「駆け抜けた」、という人生がある。

何かを成しとげ、そうでなくともその過程で幕を下ろした人生である。「駆け抜けた」、と言うには、少なくとも20代での死でなければ意味を成さない。

このブログで触れた近場では、エゴン・シーレジェームズ・ディーンがそれにあたる。彼らは彼らの人生を駆け抜けた。

1970年、ヘロインの過剰摂取により27歳で死んだジャニス・ジョブリンも「駆け抜けた」。彼女の人生を。

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<歌っているときだけ、ひとりじゃなかった。>って、そうじゃない時はひとりぼっちだったんだ。

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ジャニス リトル・ガール・ブルー』、その人生を駆け抜けたジャニス・ジョブリンを追ったドキュメンタリー。

監督は、エイミー・バーグ。嫌われ者、孤独なジャニスの心に寄り添う。

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ジャニス・ジョブリン、1943年にテキサス生まれる。

テキサス、今でもそうであるが保守的な地である。テンガロンハットにガンベルト、まさにトランプ好みの地。高校でも嫌われ者であったジャニステキサス大学へ進学するが、そこでもいじめられる。歌は歌っていた。R.&B.、ブルースを。テキサスの白人社会では、異端。

ジャニスカリフォルニアへ行く。サンフランシスコへ。

サンフランシスコ、自由でありカウンターカルチャーの中心地、トランプ的なる町とは対極をなす町である。この夏前、京都嵯峨野の常寂光寺で会ったインテレクチュアルな母子もカリフォルニアから来たと言っていた。反トランプ、日本にいる間はトランプのことを聞かないのでせいせいする、と言っていた。

そのカリフォルニアサンフランシスコジャニスは行く。

保守的なテキサスからカウンターカルチャーの町・サンフランシスコへ。

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渋谷のシアター・イメージ・フォーラム、狭いロビーにささやかな展示を行うことがある。

ジャニス・ジョブリンのレコードジャケットが。

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ジャニスが表に出ていた時代は、1960年代後半の4、5年。

ヒッピー、反体制の時代、カウンターカルチャーの時代であった。

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ジャニス、叫ぶような、唸るような、ふり絞るような声で歌う。

『Move Over』、『Summertime』、『Cry Baby』、・・・、・・・。

殊に、『Summertime』が凄い。元々ガーシュインの『Summertime』、ジャニスブルースに完全に生まれかわっている。

それにしてもジャニス、まだ20代だというのに、4、50代のおばさんの顔である。

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1970年、ロサンゼルスのホテルの一室でジャニスの遺体が見つかった。死因は、大量のアルコールヘロインの過剰摂取。

孤独な心を癒すのはアルコールドラッグでしかなかった。

ジャニス・ジョブリン、その人生を駆け抜けた。

その後の世界に、強烈な歌声を残し。


暫らく留守にします。

ブログも休みます。

2017-10-18

THE BEATLES。

1964年のアメリカツアーの時であろうか、ザ・ビートルズの面々、「イギリスプレスリーと言われていますが」、という質問を受ける。

1962年にデビューしたビートルズ、当初は確かにそのような受けとめられかたであった。特にエルヴィス・プレスリー世代にとっては。私もそうであった。

エルヴィス(そう言えば、エルヴィス・プレスリーのことを「エルヴィス」と呼ぶようになったのは後のこと、そのころはまだ「プレスリー」と言っていた)のイギリス版か、イヤな奴らが出てきたな、と思っていた。初めの頃は、関心はあったが好きではなかった。絶対の存在はエルヴィス・プレスリーだったんだから。

ザ・ビートルズに対し、「ウンウッー」って思いを持ったのは、ロンドンでのオノ・ヨーコの個展にジョン・レノンが行き、彼らふたりがどうこうと報じられてから。幾らか彼らのものを聴くようになったのは、その後である。

思えば、すべてはオノ・ヨーコがらみ。

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『THE BEATLES』、監督はロン・ハワード

タイトルの後に、「EIGHT DAYS A WEEK」、さらに「THE TOURING YEARS」とついている。

ビートルズ、デビュー翌年の1933年から1966年まで、世界各国でのコンサートツアーを行っている。本作、その模様を追ったドキュメンタリーである。

「1週間に8日働く」という彼らの最も忙しいピークの時期を追っている。そのツアーからツアーの日々を。

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イギリスリバプールの若者、1962年にデビュー、たちまちイギリス全土を席巻、翌1963年から世界へと。

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1966年まで世界各国でのコンサートツアーを続けたそうだ。

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その後はスタジオでの制作、1970年の解散まで。

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映画自体は、1963年から1966年のビートルズ全盛期の有り様を追っている。

この後、1980年にはジョン・レノンニューヨークで殺される。2001年にはジョージ・ハリソンが死ぬ。

残されたトム・マッカートニーとリンゴ・スターが出てきて語る。

この映画には、オノ・ヨーコジョージ・ハリソン未亡人も協力している。時が経ち、ごたごたとした感情の行き違いなど氷塊、どうってことなくなったんだな、きっと。

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1週間に8日働くという過酷なツアーのドキュメンタリーであるが、最後にとても興味深い映像が流れる

ロンドンアップル・コア本社ビル屋上で、1969年突然ビートルズのメンバー4人が集まり、歌う。アップル・コア本社ビル、小さなビルである。その屋上もそう広くはない。

そこで、

その後の世に名高いルーフトップコンサートが突然行われる。

そこに、ビートルズのメンバー4人のそれぞれのパートナーも来ている。暫らく前、ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコ、他のビートルズのメンバーのカミさんを蹴散らしていた。デカい顔をして主役を張っていた。

なんと。


北京人民大会堂での中国共産党第19回大会、今日開かれる。習近平、3時間半に及ぶ演説をしたそうだ。

何て時代錯誤な。

2017-10-17

ディーン、君がいた瞬間。

すべての人がそうではないだろうが、若い頃って捻くれる者が多い。もちろん私もそうであった。

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ニューヨークのタイムズスクェア。雨が降っている。1955年の秋も終わり冬にかかる頃。

タバコをくわえた若い男、背をかがめ肩をすくめて歩いている。捻くれている様、必要十分。

デニス・ストックが撮ったジェームズ・ディーンのこの写真、60年少し前の若造は痺れた。

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『ディーン、君がいた瞬間』、「瞬間」を「とき」と読ませているが、まさにジェームズ・ディーン、ジミーが我々の前にいたのは、「瞬間、一瞬」であった。

監督は、自らカメラマンであるアントン・コービン

俳優ジェームズ・ディーン写真家デニス・ストックの短い時間を切り取っている。ニューヨーク、そしてジミー・ジェームズ・ディーンの故郷・インディアナ

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エデンの東』のキャル、『理由なき反抗』のチキン・レース、『ジャイアンツ』での屈折した感情、日本では1958、9年に公開されたんじゃないかと思うが、短期間で次々ではあるが、たった3作を残してあの世に行ってしまったジミー・ジェームズ・ディーン、60年以上前の若造に強烈な印象を残している。

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ジミー・ジェームズ・ディーンにはデイン・デハーン、デニス・ストックにはロバート・パティンソンが扮する。

が、デイン・デハーン、ジミーに似ていない。60年前のジミー、幻となったジミーに似ていない。私には不満である。

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(右)ジミーと共に写るのはピア・アンジェリであろう。

ピア・アンジェリ、ジミーの恋人と言われた。が、すぐに破局する。カソリックとプロテスタント、信仰の問題だった、と言われるが。

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(右)散髪をしているジミー。

デニス・ストックが撮った散髪をしているジミーもよく知られている写真である。

この他、インディアナの雪の中の農場で豚の世話をするジミーとか、甥っ子たちと遊ぶジミーといった写真もあったのでは、と思う。

実は私、何十年か前、デニス・ストックが撮ったジェームズ・ディーンの写真集を古本屋で買った。どこかにあるはずであるが、私の部屋の山の中に埋もれてしまい出てこない。

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これはこの映画のチラシを複写したもの。

マグナム・フォトのデニス・ストックが撮ったジェームズ・ディーン

雨が降っているニューヨーク、タイムズスクェア、肩をすくめたくわえタバコの若者が行き過ぎる。

ジミー、ジェームズ・ディーン、、そのような若者であった。

海を隔てた日本の若造は、そのようなジミーに痺れた。


ISが自らの国の首都としてきたラッカが陥落した。

IS、イスラム国は、これで崩壊した、と言われる。

しかし、問題はこれからである。

集団の戦いではなく、ゲリラ戦が始まる。戦えるか。

2017-10-14

メットガラ ドレスをまとった美術館。

毎年5月の第1月曜日、メトロポリタン美術館では大ファッションイベントが催されるそうだ。メットに敷かれたレッドカーペットの上を着飾ったセレブたちが次々に通りすぎる。

仕掛け人は、メトロポリタン美術館理事にしてアメリカ版ヴォーグ編集長であるアナ・ウィンターとメトロポリタン美術館服飾部門キュレーターのアンドリュー・ボルトンのふたり。

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巨大な美術館であるメトトポリタン、さまざまな部門で企画展が催される。一昨年、2015年の服飾部門の企画展のタイトルは、「China:Through the Looking Glass(鏡の中の中国)」。

5月の第1月曜日にセレブたちを招いて開く大ファッションイベントのパーティーは、それにひっかけた服飾部門の資金調達の大パーティー。

『メットガラ ドレスをまとった美術館』、その裏側に密着したドキュメンタリー。その前年の準備段階から。

監督は、アンドリュー・ロッシ。ドキュメンタリーだから、アナ・ウィンターやアンドリュー・ボルトンは当然のこと、企画展自体の芸術監督を務めたウォン・カーウァイも出てくる。

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「メットガラはファッションのスーパーボール」、であるらしい。

メットには何度か行っているが、そのようなことはまったく知らなかった。もっとも、服飾部門の展示はほとんど見ていないが。

「ファッションはアートか」、という問いかけもある

。カール・ラガーフェルトはこう語る。「シャネルアートじゃない。ドレスメーカーだ」、と。当然のこと私も、ということであろう。

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真ん中の黒いグラスをかけた女性が、ニューヨークファッション界のカリスマにしてアイコンのアナ・ウィンター。

この年の「メットガラ」、レッドカーペットを歩いていたのは、ジョージ・クルーニーアン・ハサウェイマドンナビヨンセジェニファー・ローレンス、・・・、・・・。

左のマスタードイエローの巨大なドレスを身に纏っているのはリアーナ。リアーナ、この年の「メットガラ」のシンデレラであり女王であったそうだ。

そう言えば、懐かしいビル・カニンガムも出ていた。

狭い部屋に住み、自転車でニューヨークの町を走り周っているファッション写真家ビル・カニンガムレッドカーペットの上などは歩いていない。そこを歩く人たちの写真を撮っている。『メットガラ』の監督、アンドリュー・ロッシ、そのようなビル・カニンガムの姿を自作に取りこんでいる。

にくい。

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この映画の主役と言えば、この男であろう。

メットの服飾部門キュレーターであるアンドリュー・ボルトン

今年の服飾部門の企画展は、川久保玲を取りあげたそうだ。存命中のデザイナーとしては、サン・ローラン以来2人目、とのこと。メットのキュレーター眼力、なまなかのものじゃない。

ただ、アンドリュー・ボルトン、そのファッションセンスがいただけない。

パンツの丈が極端に短い。正装時にも、そのパンツ丈はくるぶしよりも上。

このセンス、理解できない。

2017-10-13

エルミタージュ美術館 美を守る宮殿。

私は、ブリティッシュ・ミュージアムを含めて世界4大美術館と呼んでいるが、ブリティッシュ・ミュージアムは博物館であるから除き、ルーヴルとメトロポリタン、それにエルミタージュで世界3大美術館と言っている人が多い。

それはそうではあるが。まあいいか。

その3大美術館、要塞から宮殿となり、さらに美術館へと変容したルーヴルが最も古いと思っていたが、エルミタージュの方がその設立はより古いらしい。美術館としてのルーヴルの設立は1793年、エルミタージュのそれは1764年だという。

因みに、メトロポリタンのそれは1870年。エルミタージュやルーヴルから100年前後遅いが、アメリカという国、その100年ぐらい前にできた国なんだから、これは凄い。何しろメトロポリタン設立の10年前までは南北戦争をやっていた国なんだから。ダイナミズムにあふれた国だよ、アメリカという国は。

余計なことだが、そのような躍動感あふれる国を、今、ひとりのバカ者が矮小化している。まったく、あのバカ。アメリカ文化に惹かれてきた私には残念でならない。国務長官のティラーソンがトランプのことを”moron”と言ったのは事実だと思うよ。「あのバカ」って。

いけない。アメリカのことを考えると、つい頭に血が上ってしまう。今日はエルミタージュ、ロシアのことを記すのだった。

この夏前であったであろうか、エルミタージュのドキュメンタリー映画が封切られた。

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エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』、監督はマージー・キンモンス。

丁寧にエルミタージュ美術館の来し方、そして素晴らしい収蔵品の数々を映し出す。

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エルミタージュ美術館、その始まりは女帝・エカチェリーナ2世のコレクションである。それが今、300万点を超える収蔵品を持つ。エルミタージュ美術館のメーン冬宮も、女帝・エカチェリーナ2世が造った。

エカチェリーナ2世、何とも凄い女帝である。

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エルミタージュ美術館といえば、このイメージである。実際のエルミタージュは緑色をしているが。

3階建てであろうか4階建てであろうか低い階層であるが、横に長い建物が続く。このように。

ところで、エルミタージュ美術館の部屋の数、2000室というのだから驚く。東博など、本館、表慶館、東洋館、法隆寺宝物館、それに平成館、すべて合わせても100に満たないのではないか。

それのみならず、ロシアの底力というものは凄いものがある。

エルミタージュへ行ったのは25年近く前になる。モスクワから夜行列車サンクトペテルブルクへ着いた。

サンクトペテルブルクの街並みを見て驚いた。

ソ連の崩壊後である。しかし、70年以上に及ぶソ連時代を経ているにも関わらず、サンクトペテルブルクの街並み、美しかった。表通りの建物、3階か4階、それが淡いブルーやグリーンやピンクに彩られている。共産主義時代にもサンクトペテルブルク優美さは守り通したんだな、と感じた。

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左から2枚目の写真、王冠を被っている人物は、女帝・エカチェリーナ2世である。エルミタージュ美術館のファウンダーである。

ともかく凄まじい女性である。

神聖ローマ帝国の末裔である小国からロシア王室へ嫁ぎ、ついには女帝となる。エカチェリーナ2世、政治権力を握った後の男遍歴が凄いんだ。

公にされている愛人だけでも、その数、10人。それ以外の愛人は数十人から数知れず。日本の天皇や将軍など足元にも及ばない。イスタンブール、トプカピ宮殿のスルタンもそのハーレムの様、エカチェリーナ2世に及ばないのでは。

そのような人物であるからこそ、世界に冠たるエルミタージュ美術館を造った、と言えるのかもしれない。

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エルミタージュ美術館レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を2点所蔵している。ルーヴルやウフウィッツィに次ぐ。

1994年5月に訪れた時求めたエルミタージュ美術館の図録から、エルミタージュのドキュメンタリーにも出てきたレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を複写する。

レオナルド・ダ・ヴィンチ≪リッタの聖母≫。

また、右側の聖母子像は、ラファエロ≪コネスタビレの聖母≫。

共に、エルミタージュの至宝。