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流山子雑録    『酔睡胡乱』

2017-03-19

春日大社 千年の至宝。

お寺がらみの特別展にはやや及ばないかと思われるが、神社がらみの特別展も、東博のキラーコンテンツである。ウィークデーでも多くの人が詰めかけている。人口問題と確実にリンクしていることは言うまでもない。

約20年に一度行われる春日大社の「式年造替」、昨平成28年に60回目のそれが行われたそうだ。約20年に一度、おおよそその草創は今から1300年ほど前、奈良時代にさかのぼる、という。

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東博正門前の看板。その看板の前にチャリンコがずらーっと並んでいるのを見るのも、東博を訪れる楽しみのひとつ。歯の抜けたような状態の時には、やや気が抜ける。

いずれにしろ「春日大社 千年の至宝」展。

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東博での企画特別展の会場である平成館は、実は評判が悪い。

日本の博物館、美術館の顔である東博にあんな建物があるのは恥ずかしい、と言うのだ。東博へは何十回、何百回と行っている何人もの人が。

確かに帝冠様式の本館やネオバロック様式の表慶館、さらに東洋館や法隆寺宝物館も含め、何の特長もないないのが平成館である。春日大社展もそうだが、東博での企画特別展は平成館で催される。

垂れ幕が下がったこのように。

名前を変えたらいいのかもしれない。平成館じゃなく、企画展会場とか特別展会場とかに。展示場としては務めを果たしているのだから。

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それはともかく、「春日大社 千年の至宝」展である。

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鹿島立神影図≫。南北朝室町時代・14〜15世紀。

おおよそ1300年ほど前、平城京の東に位置する春日山の地に、遠く常陸国鹿島から武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神様が降臨する。凛々しい白鹿に乗って。

春日大社と鹿との関わりの初めであろう。

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≪春日権現記絵(春日本)巻第十二≫。江戸時代・文化4年(1807年)。

右方に鹿の姿も見える。

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≪鹿図屏風≫。江戸時代・17世紀。

輝かしい金地にさまざまな鹿の群れ。

神鹿である。

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不思議とも思えるし、そうでもないとも思えるのだが、春日大社には歴史上の人物から多くの鎧や兜、刀などが奉納されている。「祈願」であったであろう。

その中から国宝の甲冑揃い踏み、それも4領の揃い踏みがこれ。

武具というより、まさに美術品。

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いつの頃からであったろうか、東博企画展、特別展にからむ作品を常設展の中にも登場させている。春日大社の神鹿がらみでのこの作品もそう。

≪牝牡鹿≫。

森川杜園作 木造、彩色。明治25年(1892年)。

明治26年(1893年)のシカゴコロンブス世界博覧会に出品された牝と牡の2体の鹿>、との説明書きがある。

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≪神鹿≫。

竹内久一作 木造、彩色。

大正元年(1912年)浅草に生まれた牙彫職人の久一は、奈良で古彫刻の勉強をし、その後、帝国技芸員にもなっている。

なお、本展の音声ガイドは市川猿之助であった。それと共にこのところの音声ガイド、スペシャルゲストなるものを付けているものが流行っている。本展の音声ガイドではさだまさしであった。さだまさし春日大社でライブも行っているらしいが、それよりも・・・。

もうひとり春日大社宮司の花山院弘匡なる人が出てきた。この人の語りが素晴らしかった。

春日大社、もとより藤原氏の氏神を祀る社である。歴代宮司も藤原一族から選ばれる。花山院弘匡も当然、その公家の出である。しかも花山院家、公家の中でも五摂家に次ぐ清華家、やんごとないお方。味わい深い語り口であった。

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レストラン「ゆりの木」で遅い昼食を取った。「ゆりの木」、一人では窓に向かった席に案内される。

2月の下旬にかかる頃、窓の外には梅が満開であった。なお、左に見える建物は東博本館。

2017-03-18

GROUP表現−10−樹・木。

日本表現派会員の山宣、団体展とは別に内々のグループ展も行っている。昨年のテーマは「イメージとしての黒」、一昨年は「アンフォルム」であったか。

今年のテーマは「樹・木」である。

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京橋のギャルリー・ソレイユ。

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まだ寒い頃であった。

間口が狭く細長いギャラリー内、古い仲間が集まってくる。当然この後、飲み会が設定されている。

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反対側から。

中央座っている男が作家・山宣。

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山宣の出品作2点。

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山宣から来た案内状には、このようなことが記されていた。

亡くなった水墨画の師へのある種のオマージュ

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≪双樹≫。

<思い出の作品に手を加えて・・・>、と山宣が案内状に記しているのは、以前描いた水墨画に青や緑、少し色を加えたことを指しているらしい。このようなことも、常の山宣の得意技のひとつ。

それより今気づいたが、「双樹」って単に二つの樹ってことなのか、それとも沙羅双樹のことなのかな、と。

前者なのだろう、おそらく。後者ならば、「双樹」とは言わず「沙羅」と言うのではないか。確とはしないが。

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≪若木≫。

奥多摩の若木、おそらくこれにも手を加えているのだろう。

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二つの作品の間にこのような写真が貼られている。

<ありし日の向原師とその門下生たち>、と記されている。オレンジ色の半纏のようなものを着た女性が、山宣たちの水墨画のお師匠さんであったそうだ。

<五風十雨庵にて 2006.4.30>、という書きこみがある。4月末の奥多摩、まだ寒かったようだ。なお、下の写真の左手前の男が10年少し前の山宣のようだ。

2017-03-17

瑛九1935ー1937 闇の中で「レアル」をさがす。

1911年に生まれた瑛九(杉田秀夫)は、1960年48歳で死ぬ。若死である。

2012年、東京国立近代美術館は、若い頃からの瑛九の友人・山田光春旧蔵の瑛九の作品と資料をまとめて収蔵する。

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規模は小さいが、山田正亮展と並び近代美術館で1935年から1937年まで、デビュー前後の3年間の瑛九の軌跡が展示された。

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瑛九、1936年にフォト・デッサン集『眠りの理由』で鮮烈なデビューを飾る。

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瑛九、その後もさまざまな技法を駆使、独自の作品を追求する。

20代半ばの若い芸術家・瑛九、暗闇の中で「レアル」をさがす。

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瑛九≪作品≫ 1937年。

コラージュ・紙。

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瑛九≪作品≫ 1937年頃。

コラージュ・紙。

瑛九、戦前戦後の日本の前衛美術世界を突っ走った。

東京国立近代美術館の本展企画者によれば、細江英公池田満寿夫河原温といったアーティストたちに影響を与えている、という。皆さんエッジの利いた表現者ばかり。大本の瑛九のエッジが研ぎ澄まされていた証しであろう。

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瑛九≪眠りの理由≫より 1936年。

ゼラチン・シルバー・プリント、フォト・デッサンだ。

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瑛九≪眠りの理由≫より 1936年。

ゼラチン・シルバー・プリント、フォト・デッサン

会場でたまたま行き会った木版画家の小澤潔がこう言った。

「瑛九はもっと評価されてしかるべき作家なんだが」、と。そうなのであろう。世界の河原温に影響を与えているのだから。

2017-03-16

雄渾な水茎の跡、候文なら芳墨の香弥増す。

新槐樹社会員・光田節子の作品「私の山」を観に国立新美術館へ行くようになって7年になる。毎年、赤っぽい「私の山」と緑っぽい「私の山」の2点と対峙している。

同時期、国立新美術館では幾つかの催しが開かれている。今年から文化庁メディア芸術祭は開催時期を変更した模様だが、日本書作院展は催されている。

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日本書作院展、今年は第57回となるんだ。

入場無料ってところも凄い。

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多くの部屋を使い、1000点に近い作品が並ぶ。まさに書の海。

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今年は、名の知れた人たちの書状が展示されているコーナーがあった。

後世に名を残す人たちの水茎の跡、まさに優美にして雄渾。

ガラスケースに灯が写り込むので見づらいが、その何点かを。

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川合玉堂の水茎。美しい。

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お読みになられるお方もおられるでしょうが念のため、としてであろう楷書で記したものをつけている。親切。

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中村岳陵の水茎の跡。

川合玉堂にしろ中村岳陵にしろ文化勲章を受ける人たちの書は味があるな。

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中村岳陵の文意。

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尾崎咢堂とともに「憲政の神様」と称される犬養毅(木堂)の書状を何通も貼った巻物があった。

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犬養木堂の水茎の跡、雄渾。

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その意。

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おおらかな美を感じる。

銃弾を浴びても話そうとした男だから、犬養毅・木堂は。

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上記の意。

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昭和7年(1932年)5月15日、第29代内閣総理大臣犬養毅(木堂)は私邸を襲った軍人により暗殺される。5.15事件である。

この5.15がその4年後、昭和11年(1936年)の2.26事件に繋がっていく。そして軍部の独裁、対米英開戦、敗戦へと繋がっていく。

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横道に逸れた。

上の犬養毅(木堂)の水茎の意。

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あとひとつ、やはり文化勲章を受けた川端龍子の水茎。

実は皆さん、雄渾な水茎を残されているが、その多くは候文である。

候文ならなおのこと、その水茎、芳墨の香、弥増す。

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龍子の水茎の意。

2017-03-15

光田節子もエンドレス。

50年以上にわたり5000点を超える作品を描いてきた山田正亮の活動、確かにendless、エンドレスである。セザンヌみたいだなとか、カンディンスキーみたいだなとか、ミニマルアートなのかとなったり、ウヌッ、マーク・ロスコか、という山田正亮の作品、文字通りEndless。

光田節子もエンドレスである。

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新国立美術館での今年の新槐樹社展。

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80号から100号の作品が並ぶ。

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第10室に光田節子の作品があった。

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光田節子、エンドレスである。

招待状が入っていた封筒には、このような一筆箋が同封されていた。フォートリエの作品が刷りこまれた一筆箋に。

<・・・・・。それはそれとして相変わらず絵の勉強をしています。自分の絵が自由に描けるようになるためにはあと50年が必要と考えるのですが、80歳になったことからそれは果たせぬ夢です。でも・・・>、との。

光田節子、ファイティングポーズを取り続けている。

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≪私の山ー2016,R−≫。

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≪私の山ー2016,G−≫。

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暫らく後、若い黒人の男が赤い絵の前で立ち止まった。

「この絵、どう思う?」って訊いた。「何か面白い。美しいよ」、と答える。「あなた、絵を描いてるのか?」、と訊いた。「いや違う。絵を見るのが好きなだけなんだ」、と」いう答えであった。「この絵、80歳になる女性の作品なんだ」、と言った。「女性なのか」、とのことに、「名前に子・koがついてるだろう。子・koは女性なんだ」、と答える。

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それはそうと、2016年のR、レッド、赤はこれ。

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2016年のG、グリーン、緑はこれ。

共にエンドレスで続いていく。

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2月中旬の新国立美術館、窓の外には大きな黄色いかぼちゃがあった。

去年、瀬戸内直島で見た黄色いかぼちゃよりも大きい。

この後、草間彌生の大回顧展が催されるんだ、国立新美術館では。

それへの準備である。

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六本木ヒルズを背景にした桜木への水玉模様のコラボ、転写も。

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山田正亮もエンドレスであった。草間彌生もエンドレスである。光田節子もエンドレス。

光田節子、100歳までは軽くクリアするものと思われるが、100歳になってもその描くものはエンドレスであろうか。