お地蔵さま。

お釈迦さまが入滅されたのは、ほぼ2500年前。それほど時間が経っているワケではない。
ところが、この次にお釈迦さまに代わる存在が現われるのは、56億7000万年後。気が遠くなる、じゃ済まない、とても遠い時代だ。弥勒菩薩が現われるまで、待たなければならない。
そうすると、その間は、どうすればいいのか。金正日や、急に悪人にされたムバラクばかりでなく、地獄道や、餓鬼道や、畜生道を彷徨っている我々衆生は。どなたが救ってくださるのか。その役割りを担っているのはどなたか。お地蔵さまである。
世には、多くの仏さま、仏像がある。その中で、最もよく見かける仏さまは、お地蔵さまであろう。どこにでもある。別にお寺でなくても。気易く、一番ポピュラーな仏さまである。しかし、お地蔵さまの役割りは、重い。しかも、偉い仏さまである。
お地蔵さま、少し堅苦しく言えば、地蔵菩薩である。菩薩、仏の位では、如来に次ぐ。明王や天より、上に位する仏である。つまり、観音さまと同列、お不動さんや、寅さんの故郷・柴又の帝釈天より上に位置する。
中には、人道や、天道に生まれ変わるものもいるが、地獄道や、餓鬼道を彷徨うものも多い。お地蔵さまは、これら六道輪廻を繰り返す衆生を救う、という大事な役割を担っている。56億7000万年もの長い間。
しかし、そうは言ってもお地蔵さま、ボウズ頭に赤い前垂れ、親しみ深い仏さまだ。
一昨日、靖国に行く前に寄ったお寺にあったお地蔵さま。

お地蔵さまにしては、やや厳しいお顔つきをしているが、ボーズ頭に赤い前垂れのお地蔵さま。右手に錫杖、左手に如意宝樹を持つ。

片手に錫杖を持ち、もう一方の手は与願印の印相。やはり、お地蔵さまだろう。前垂れは、大分色褪せているが。

お地蔵さまかと思ったが、定印を結んでいる。お地蔵さまではないのかもしれない。ボーズ頭に赤い前垂れではあるのだが。
ところで、お地蔵さまが、大事な役割を担った、エライ仏さまであるにもかかわらず、誰にでも親しみやすいポピュラーな仏さまとなったのは、路傍の石仏であることによるのであろう。お寺でなくてもどこにでもある。いわば、道祖神のひとつでもある。道端の仏さまのひとつ。
コンクリートだらけの都会地では少ないが、地方に行けば、道端の仏さまあちこちで見かける。私の家にもある。

30年以上前、川越、喜多院の骨董市で求めたもの。どこにあったものですか?、と聞いたら、その骨董屋のオヤジ、解からない、と言っていた。おそらく、どこかの道端の仏さまであったのであろうが。初めの内は、あちこち苔むしていたのだが、何年かの内に干乾びて無くなってしまった。
私の家は、集合住宅。地べたがない。で、ベランダの隅で、我慢していただいている。

そのお顔、とても可愛い。路傍の石仏ならぬ、ベランダの石仏となってくださっている。
56億7000万年もの長い間、衆生を救い続けるお地蔵さまほどエラクはないが、可愛さにおいては、変わらない。