岩手あちこち(1) 遠野

遠野は、花巻と釜石のほぼ半ばに位置する。
<此地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、其川の支流猿ヶ石川の渓を伝ひて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る>、と119話からなる『遠野物語』の冒頭、地勢を述べた「一」にある。
100年ちょっと前、遠野を訪れた柳田國男は、花巻から遠野までは人力車を使ったようだが、今は、新幹線の新花巻から釜石線で遠野に入る。そうは言っても釜石線、そう本数があるわけじゃない。昼すぎには遠野に着きたいと、先週の金曜日(20日)、ずいぶん早い時間に上野を出た。

花巻方面から見た遠野駅。
後ろにすぐ山が迫っている。

これは、翌日逆方向、釜石方面から見た遠野駅。
すぐ後ろには、やはり山が迫っている。『遠野物語』「一」の書き出しは、<遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取囲まれたる平地なり>。遠野、山々で取り囲まれた平地、つまり、盆地であることよく解かる。

左の建物が遠野市立博物館。日本初の民俗専門博物館、と謳っている。
昨年、『遠野物語』発刊100周年、開館30周年でリニューアルしたそうだ。洒落た展示。もちろん、柳田國男、『遠野物語』が中心だ。
タッチパネル方式の映像がワイドスクリーンで流れるところがある。「マヨイガ」と「白い馬」を観た。博物館へ来ている人は、私以外だれもいなかった。「遠野ノート」、「遠野遺産」他、手頃なパンフを幾つか求めた。

博物館の裏。
この上の方に遠野南部藩1万石の居城・鍋倉城跡がある。今、公園となっているようだが、私は、そんなところまでは、もちろん行かない。

私は、できるだけ平地がいい。平らかなところを、ゆっくりと歩くのがいい。
遠野の町中、平らかなところを歩けば、趣きのある建物が多くある。この家も面白い。お茶を扱っている家だ。

2階の軒下には、こういう看板が。
”御茶販賣所”と書かれている。お茶だけの商い、今の時代に成り立つのかな、と余計なことを考える。

閉まっていたが「八百忠」という店、真正面にキッコーマンのマークがある。何となく面白い。そうじゃないのかな。

こういう家もあった。
今は、宅急便の看板が出ているが、小野田セメントの琺瑯びきの看板がかかっている。1階はガラス戸。上の板壁もめくれあがっているよう。趣きがあるなー。
夕刻、食堂へ入った。相撲中継をやっていた。熱燗を頼み、相撲を観た。
何と結びの一番で、白鵬が琴欧州に敗れ、勝ちっしぱなしの把瑠都、13日目にして優勝を決めた。
私は、この前日の把瑠都の相撲を観ている。把瑠都、立会いの変化で稀勢の里に勝った。この日の結びでは、日馬富士がやはり変化で白鵬を破った。その前日には、稀勢の里も変化した。
一体全体、こういうことで大相撲はいいのか、私は訝っていた。しかし、13日目にして初場所の優勝は決まってしまった。
相撲中継が終わると、NHKのニュースが流れた。10分ばかりの全国ニュースの後、「おばんです」というローカルニュースに切り替わった。盛岡からのニュース番組だ。7時前まで、こういうニュースが流された。
東北六魂祭が今年5月に盛岡市で行なわれることが決まった。復興基金の内、210億円が今日全市町村に配分された。大槌町の漁協が、11億円の債務超過で再建を断念、新しい組合を作る、組合員の出資金は戻らない。被災者を狙ったサギや復興事業への暴力団の関与を防止するための警察関係の会議が開かれた。被災者の証言、あの日、あの時。その他、ほとんどが大震災がらみのものばかり。岩手県に来なければ知らないことばかり。

その後、岩手各地の明日の天気予報が流れた。
出てきた予報士の年配の男、「昔は寒かった」、と語っていた。最低気温が上がっているそうだ。

まだ夜は早い時間なんだ。しかし、駅前の通りでもこのような状態。人影もなければ、車もそうは通らない。

人はいなかったが、駅前の通りにネコがいた。ネコは寒がりのはずなのに、寒くはないのか。

夜の遠野駅。
駅舎の2階はホテルになっている。ホテル・フォルクローロ・遠野。B&Bのリーズナブルなホテル。経営はJR東日本。あちこち幾つか展開しているようだ。幸いにも、ここが取れた。

この日の「岩手日報」の一面。
”「ゆっくり滑り」が誘発か”、という東大地震研究所の研究結果が報じられている。

翌朝、部屋のカーテンを引くと、目の前すぐに駅のホームが見えた。
岩手あちこち、暫らく続けます。遠野ばかりじゃなく。