岩手あちこち(3) 遠野(柳翁宿)。

『遠野物語』の第63話の一部を抜き書きする。
<・・・・・訝しけれど門の中に入りて見るに、・・・・・一向に人は居らず。終に玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、・・・・・>。
無欲な女が何も盗らずに逃げ帰ったが故に、その後、川を流れてきたお椀を拾い金持ちになる、というお話(細部省略)。いわゆるマヨイガ(柳田國男が記すとおり、マヨヒガとすべきか)のお話である。
「とおの昔話村」は、遠野の町の中心部にある。その一角に「柳翁宿」がある。

柳翁宿。旧高善旅館を移築したそうだ。
前に立つ柳田國男の像は、佐藤忠良の作。

柳翁宿、素晴らしい建物だ。その玄関も味がある。
古びたガラス戸を開けて中へ入った。左手に受付けがある。声をかけたが返事がない。中を覗くと、部屋の中、石油ストーブが赤々と燃えている。机の上にはミカンが乗っている。だが、人はいない。
入ってすぐの土間には、履物が2足ある。誰かはいるに違いない。その内に出てくるであろう。そう思い、私は靴を脱いでスリッパに履き替えた。

上がってすぐの壁に、高善旅館の昔の写真が掛かっている。
その説明書には、<明治42年8月23日の柳田國男の日記に、「水の音を聞きて8時に遠野に入り一日市町なる高善旅館にとまる」とあります>、と書かれている。また、<折口信夫、ネフスキー、金田一京助、桑原武夫らが宿泊、調査の拠点にしていたのがこの宿でした>、とも。
たしかに、上がって周りを見渡したところ、なかなか立派な旅籠屋である。

1階は、高善旅館の家族の居住部分であったそうだ。その他、帳場、女中部屋、左の部屋は仏間。
『遠野物語』第63話の女と同じく、私も一向に人がいない家の中に入って行く。その内、誰かが出てくるだろう、と。

2階へも上がる。
階段を上がったところから下を見る。左に神棚。
この時、電話の音が聞こえた。電話が鳴ったんだから、誰かが出るだろう。そう思い、階段を下り玄関の受付けのところへ戻った。電話の音は、その内切れた。ホントに誰もいないようだ。不用心だな、と思い、マヨイガの世界だな、とも思った。

2階は、客間となっている。
左の方に箱のようなものがある。ボタンを押すと、柳田國男の肉声が流れる。昭和35年、NHKのラジオで「旅と私」という話をしたそうである。少し聞いた。こういうことを話している。
「昔はなかなか旅などできないものでした。まだ学生時代、どうしても旅に出たくて母親に無心しました。なけなしの金の中から3円をくれました。その金で、布佐から利根川を越え、土浦に出て、筑波山へ行きました。私の初めての旅でした」、と柳田國男は語っている。明治半ば、そういう時代だったんだ。

2階の低いところに小さな窓があった。そこから下を見た。

柳翁宿に繋がり物語蔵がある。元造り酒屋の蔵をそのまま使っている。
柳田國男の著書や、宮沢賢治から佐々木喜善へ宛てた賢治の自筆原稿などが展示され、一番奥では、宇野重吉の語りによる『遠野物語』が流されている。

柳翁宿には、半時間ばかり居たろうか。誰にも会わなかった。この施設の人はどこへ行ったのだろう。そう言えば、他の客にも会わなかった。まさにマヨイガ。

柳翁宿を出て、向かいの昔話資料館へ行こう、と歩きだした。誰もいない道を、長靴をはいたオバサンがこちらの方へ歩いてくる。この人、柳翁宿の人じゃないかな、そう思った。やはり、そうだった。市立博物館との共通券を渡し、半券を切ってもらった。
この人、フキノトウを採りに行っていたそうだ。
今年は雪がどうこうなので、今日初めてフキノトウを採りに行った、と話していた。それにしても、半時間も家を空けっぱなしにして、遠野の人は大したものだ。話好きの快いオバサンであった。
採ったフキノトウ、見せてもらった。この写真。


遠野昔話資料館。いろいろ教えてくれる。


マヨヒガのことについても。


柳田國男と佐々木喜善についても、当然のこと。

少し離れた語り部館で遠野の話を聞いた。オシラサマとあと二つ。
遠野には、語り部の人は20人ぐらいいるそうだ。この人・菊池玉さんは、その中でも5本の指に入る人らしい。語りの前に、それぞれの単語を聞こうとせずに、話の流れを感じてください、というようなことを言っていた。
たしかにそうだ。ズーズー弁の語り、個々の言葉は解からずとも、その感じが解かればそれでよし。