今、こんな女優いるのかな。

100年強に亘る日本映画の歴史に於いて、その黄金時代は二度あるそうだ。最初は、1920年代後半から30年代にかけて。そして二度目は、1950年代から60年代にかけて。
映画史の研究者、学者というばかりじゃなく、現代屈指の映画見巧者でもある四方田犬彦、その著『日本映画史100年』(集英社新書、2000年刊)の巻頭、こう記している。
最初の黄金期は、無声映画からトーキーの時代へ切り替わった時代。そして二度目は、溝口健二、小津安二郎、黒澤明、その他の名匠、巨匠の次の世代が輩出した時代である。
少し長くなるが、四方田犬彦の上掲書から引く。
<この10年間は、アプレゲール世代の監督たちがいっせいに優れた仕事を見せた時代でもあった。中平康、鈴木清順、増村保造、蔵原惟繕、石井輝男、岡本喜八、今村昌平、大島渚、松本俊夫、吉田喜重、篠田正浩、山下耕作、深作欣二、勅使河原宏。1956年から62年までに処女作を撮った注目すべき新人を順番に並べてみると、このようになる>、と。
いずれも興味深い男ばかり。
四方田犬彦が、溝口、小津、黒澤、その他の巨匠たちの次世代のこれという作家として挙げたトップは中平康。
『月曜日のユカ』、その中平康の1964年の監督作である。

ひと月少し前、鈴木清順の作品2本について記した。日活創立100周年記念の特別企画、世界巡回上映凱旋帰国特集の「日活映画 100年の青春」について。
中平康の1964年の作品『月曜日のユカ』もそのひとつ。モノクロ。

監督:中平康、企画:水の江瀧子、原作:安川実(ミッキー安川)、脚本:斎藤耕一/倉本聰、音楽:黛敏郎、懐かしくも凄い名前である。
『月曜日のユカ』の”月曜日”って、”日曜日”じゃないってこと。解かるでしょう。ピンとくる人もいるでしょう。
18歳の少女・ユカに扮するのは、加賀まりこ。”男を喜ばせるのが女の生甲斐”、とその母親から教えられている。そう教える母親に扮するのは、北林谷栄、素晴らしい演技。パパと呼ばれるユカのパトロンは、加藤武。ユカの若い恋人には、今の姿とはまるで異なる中尾彬。
舞台は横浜。中平康の演出、冴えに冴えわたる。
<ヌーヴェルヴァーグをどう思うかと尋ねられて、「アマチュアリズム」だとすげなく答えた中平康の・・・・・>、と前出の四方田犬彦の書にある。
とてつもない自負心である。
それだけのことはある作品だ。

ストーリーがどうこうなんて、問題ではない。
中平康の才能もさることながら、何と言っても加賀まりこである。
18歳のユカに扮した加賀まりこ、この時、21歳になっていた。しかし、どう見ても10代の少女である。

キュートで、コケティッシュで、セクシーなニンフ、妖精である。可愛いなんてものじゃない。匂い立つ美しさ。
今、こんな女優いるのかな?、と思う。
もっとも、今の加賀まりこは避けております。夢がぶっ壊れるから。
それにしても、「あの頃の加賀まりこは、なんて・・・・・」、という思いしきり。

1964年の加賀まりこを追った映画作家があと一人いる。
篠田正浩である。
この年、『乾いた花』を撮った。
原作は石原慎太郎。今、老残の身をさらしている石原慎太郎、この頃には瑞々しい作品を書いていた。『処刑の部屋』、『ヨットと少年』、この『乾いた花』も。
加賀まりこ、鉄火場に出入りする少女・冴子に扮した。キュートに匂い立つ。ムショ帰りの中年のヤクザ・村木には、池部良。そして、冴子を死に追いやる若い男・葉には、藤木孝。これもモノクロ。
何とも言えない映像であった。
昨日の『クロワッサンで朝食を』は、老醜を神々しい美に転化したジャンヌ・モローを見る映画。そして今日の『月曜日のユカ』は、半世紀前のニンフ、妖精・加賀まりこを見る映画。
懐かしい。