アンドレイ・ルブリョフ。

9月初め、早稲田松竹で『アンドレイ・ルブリョフ』が上映されていることを知った。期間は、1週間。すぐ行った。

早稲田松竹へ行くなどということ久しぶり。と言うより、何十年ぶりである。
早稲田松竹の看板の前には、チャリンコが止まっていた。東博前と同じ。

『アンドレイ・ルブリョフ』、監督はアンドレイ・タルコフスキー。脚本は、タルコフスキーとアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフ。
”アンドレイ”づくし、なんて碌でもないことを考えていた。

アンドレイ・タルコフスキーである。
タルコフスキー、54歳の若さでパリで客死した。
タルコフスキーと何度も会っている黒澤明は、その死を悼みこう語っている。その表現は異なるが、共に共通するものを持っていた。まだ、青年と言っていい歳なのに、と。

26〜7年前、インド、ニューデリーの国立博物館でアンドレイ・ルブリョフの回顧展を観た。
まだソ連の崩壊前。インドとソ連の関係、良好であった頃のことである。ニューデリーの国立博物館でアンドレイ・ルブリョフの回顧展が催される。偶々ではあるが、私はそれを観た。
で、それ以来、ロシアのイコン画家・アンドレイ・ルブリョフに惹かれるようになる。

タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』、15世紀初頭のロシアが舞台。
プロローグからエピローグまで、第一部、第二部、全10章、3時間余に及ぶ大叙事詩。
熱気球が飛ぶプロローグから始まり、1400年、3人の画僧がモスクワへ向っている。アンドレイ・ルブリョフも含んだ3人。
タタール人が侵攻してくる。内乱もある。ロシアの地、大変だ。

第何章であったろうか、鋳物師の息子が大鐘を造る話が出てくる。
アンドレイ・ルブリョフ、その若い鋳物師を抱いている。

この場面は何だろう。
タルコフスキー、説明をしない作家と言われている。不思議な画像である。
タルコフスキーがその作品『アンドレイ・ルブリョフ』を完成させたのは1966年。構想、脚本に取りかかってから5年後。ソ連で公開されたのは完成5年後の1971年。共産主義ソ連の中での宗教問題、その表現も含み多くの問題があった。完成後公開まで5年の歳月が、それを表わしている。
プロローグから全篇モノクローム。だが、エピローグに至りアレッ、と思う。いつの間にやら色が着いている。薄絹を通したようなカラー。アンドレイ・ルブリョフの作品、イコンが次々と現われる。

私がロシアを代表するイコン画家・アンドレイ・ルブリョフを知ったのは、26〜7年前。インドのニューデリーで。
その折り求めた本が出てきた。
そこには、1988年2月23日と記されている。
発行はレニングラードの出版社。レニングラード、ソ連崩壊後はサンクトペテルブルグとなった地。
同書から幾つか複写する。

≪The Descent Of The Holy Spirit≫。

≪ANGEL,SYMBOL OF ST.MATTHEW THE EVANGELISY≫。

≪THE ARCHANGEL MICHAEL≫。トレチャコフ美術館蔵。

≪ウラジミールの生神女≫。トレチャコフ美術館蔵。

≪至聖三者(聖三味一体)≫。トレチャコフ美術館蔵。
ソ連が崩壊したすぐ後、ロシアへ行き、トレチャコフ美術館へも行った。
モスクワの地下鉄、ロシア文字の表記のみ、英語での表記はなかった。往きも帰りも大変往生した思いがある。