慰霊、鎮魂の旅。

     戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ
今年の歌会始、お題は「人」、今上天皇の御製である。
戦後70年の昨年、パラオ・ペリリュー島への慰霊の旅のお心を詠まれたものであろう。
天皇皇后両陛下、戦後50年の平成7年には、長崎、広島、沖縄、そして東京都慰霊堂へ行かれている。その前年には、硫黄島へも。戦後60年の平成17年には、サイパンへ。そして戦後70年の昨年には、パラオへ。慰霊の旅を続けられている。
その間も、広島、長崎、とりわけ沖縄へは何度も訪れられている。東京都慰霊堂へも。
今上天皇、即位する前、皇太子のころから「日本人が忘れてはいけない4つの日がある」、と言われている。
6月23日の沖縄戦終結の日、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、そして8月15日の終戦の日。
であるが、今上天皇、忘れてはいけない日は「4日ではなく5日」と考えておられるのではないか、と私には思えて仕方ない。広島、長崎、沖縄、そして東京都慰霊堂という組み合わせから。
東京都慰霊堂、元は関東大震災の犠牲者を慰霊するお堂である。が、今ではあの戦争での東京への空襲の犠牲者、なかんずく昭和20年3月10日の東京大空襲の犠牲者をお祀りしているお堂である。昭和20年3月10日の米軍による東京大空襲、その犠牲者は10万人を超えると言われる。
カーチス・ルメイにより為された3月10日の東京下町大空襲、これは虐殺だ。知れば知るほどそう思う。
まず隅田川や荒川近辺を火の海にし、退路を断って東京の下町に焼夷弾の雨を降らせる。10万人を超える一般市民が焼き殺された。
東京都慰霊堂へ参られる今上天皇、この日も忘れちゃいけない、と思っておられるに違いない。
しかし、そのことは、今は措く。
今上天皇、昨日、フィリピンへ発たれた。新たな慰霊、鎮魂の旅である。
今上天皇、安倍晋三を前に、羽田でこう述べられた。
「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、・・・」、と。
今上天皇、憲法を変えることを公言している安倍晋三に、確実に不快感を持っておられる。しかし、それを言葉にすることはできない。言外に、解ってくれよ、と発信しておられる。

今日、天皇皇后両陛下、フィリピンの無名戦士の墓に頭を垂れる。
先の戦争でのフィリピン人の犠牲者、100万人を超えると言われる。日米両軍によるマニラ市街戦のフィリピン市民の犠牲者は10万人を超える、と言われる。今上天皇が言われるフィリピンの無辜の民である。

フィリピンの新聞、大きく報じている。
”より強い結びつき”、”歴史的な訪問”、と。

フィリピン独立の英雄、ホセ・リサールの碑にも献花。

アキノ大統領主催の晩餐会。
今上天皇、こう述べられる。
100万人を超えるフィリピン国民の犠牲者を出したことに。

今上天皇のお言葉、フィリピンの人に対してというよりも、私たち日本人に対して語っておられるのではないか。
私には、どうも、そう思われる。