うちわと風鈴展。
パラリンピックも終わった。
暫らく、この夏の幾つかの展覧会を記そうと思う。
夏前、河瀬さんからはがきが来た。
こう記されている。
昨年は、浅草寺の四万六千日の日に行った。
今年はそれを過ぎた日。
地下鉄の浅草で降り、吾妻橋を渡る。
ギャラリー ア・ビアント。
画廊主の女性、「アラッ、いらっしゃい」って迎えてくれる。
ギャラリー内、うちわ。
うちわ、団扇。
こちらもうちわ。
河瀬和世のうちわがあった。
虫が貼りつけられている。
秋の虫。
長いヒゲ、これはカンタンかな。
ギャラリー内には、趣きのある女性が何人も。
ギャラリーの女性、「河瀬さんのお嬢さんも今年デビューされました」、と話す。
「考古学を専攻されていたのですが、作家の道に進むことを選ばれたそうです」、とギャラリーの女性は語る。「皮工芸の世界に」、とギャラリーの女性。
河瀬侑のうちわ作品。
うちわに皮を用いることは、難しいのではないか。暑苦しくなる。皮工芸の世界、秋冬の世界にフィットするのではないか。
私には、母親である河瀬和世の作品の方が。
この趣きなど、
陰影・・・
礼賛。
河瀬和世のうちわの隣のうちわも気になった。
「いろはにほへと・・・・・」。
沢村澄子のうちわ。
風鈴。
長い和紙の短冊の風鈴、河瀬和世の風鈴。
娘・河瀬侑の風鈴。
四万六千日の後であった。ほおずき市の。
が、ギャラリー内にはほおずきがあった。
ギャラリーを辞する時、ギャラリーの女性から3、4枚の紙片をもらった。
「もらったものですが、私は読みましたので」、と言って。
これである。
山田太一の著『夕暮れの時間に』の中の一章「浅草の本音」のコピー。
山田太一、浅草の生まれなんだ。六区の映画館がなくなったことを嘆いている。
山田太一著『夕暮れの時間に』(河出書房新社 2015年刊)を読んだ。
中に「雷門」という章がある。
学生時代、月に一度浅草に来る父親との物語。常に浅草に一泊する父親。そこに女性の影があればいいな、と息子である山田太一は思うんだ。
浅草だ。
ブランジェリーナ、離婚するらしい。
養子を含め6人の子供はアンジーが引き取るそうだ。
アンジー、世界人だな。