すみだ北斎美術館(続き×2)。

常設展示室の中は暗い。

展示物だけが浮かんでいる。

幾つものタッチパネルがさまざまな話題を提供してくれる。

このようなパフォーマンスも。

ここは「絵手本の世界」。

こう描けばいいよって。

一筆画の・・・

お手本帖。

これは・・・

こういうもの。

北斎漫画も。

ゲーム感覚で着物の柄を変えるという遊びも。

展示会場は広くはない。その中に多くの人が群れている。

開館に対するお祝いであろう、小布施の北斎館所蔵の肉筆画≪富士越龍≫が貸し出されていた。常設展会場、撮影が許されているが、この作品だけは撮影不可。
上の写真はタッチパネルの画像である。
30年近く前の厳冬期、小布施の北斎館へ行った。長野からの長野電鉄、進むにつれて雪が深くなる。小布施で降り、雪の中を北斎館へ歩いた。幻想的であった。北斎館も小さな美術館である。そこで見たこの≪富士越龍≫、それ以来、北斎の中でも随一との思いが強い。
そう言えば先週のNHK日曜美術館、北斎を取りあげていた。大阪のあべのハルカス美術館館長・浅野秀剛、今年、大英博物館とあべのハルカスとの国際共同プロジェクトを行うと話していた。≪富士越龍≫、そして小布施の祭屋台の≪涛図≫も大英博物館へ持っていくことを考えている、と語っていた。それは凄い、豪勢だ。

常設展会場の一角に北斎がいた。

北斎の陋屋、北斎のアトリエが再現されている。
ついでながらすみだ北斎美術館の表示、タイトルのみ日本語、英語、簡体字の中国語、繁体字の中国語、そしてハングルで示されている。しかし、細かい説明は日本語と英語のみ。今後の課題であろう。

一昨年、原恵一監督の「百日紅」が公開された。原作は杉浦日向子、杏が主人公である北斎の娘・お栄に扮した。お栄の年齢は23歳であった。
それに引き比べ、すみだ北斎美術館の北斎アトリエのお栄・応為はおばさんだな。

北斎と娘のお栄、こういう生活だったのであろう。
身の周りのことなど何も気にしない。

北斎、ただ描く。

北斎の年表の最後。

渓斎英泉が描く北斎の肖像。
その生涯に20度を超える改号をしている北斎、為一は文政3年(1820)以降に名乗った号。
辞世の句は・・・
     人魂で行く気散じや夏野原

小学校2、3年かなと思われる男の子が、タッチパネルで英語の説明を出し読んでいた。どう見ても日本人の男の子。「ボク、英語が読めるの?」と訊いた。と、「ウン」という答え。
横に立っていた父親と思われる男に、「ボク、凄いですね」と言った。と、その男、「英語で授業の学校へ行っておりますので」と答える。日本人ではなかった。中国人のようなイントネーションである。
そうか、このボク、親が中国人なら中国語も話せるであろう、英語での学校へ行っているのであるから英語はもちろん、そして日常使いは日本語であろう。
北斎、このような小さな国際人の中へ浸透していくんだ。

昨年末、12月30日の朝日新聞朝刊一面。このような記事があった。
デンマークでのオークションで東京の美術商が落札した、という。ジョサイア・コンドルの旧蔵品だそうだ。
北斎、グローバル。

生涯の転居93回、そのほとんどを隅田川沿い、今の墨田区で過した葛飾北斎、式亭三馬ばかりじゃなく所縁の人たちが次々に出てくる。