ボッティチェリ。

メディチ家最盛時の当主、ロレンツォ・デ・メディチが生まれたのは1449年。
ロレンツォ・デ・メディチと前後して、ルネサンスのビッグネームが次々と生まれている。
ボッティチェリは1445年、レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年、ミケランジェロは1475年、ラファエロは1483年、と。
メディチ家、これら芸術家のパトロン、いや大パトロンとなる。

本作のタイトルは、「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」と長い。
日伊国交樹立150周年記念で作られたらしい。

世界遺産の街・フィレンツェ。メディチ家が遺したルネサンス美術の至宝、今、ウフィツィ美術館にある。
25年近く前になるがフィレンツェへ行った。ウフィツィを訪れることを楽しみに。しかし、ウフィツィ美術館は閉まっていた。その何日か前、近場で爆弾騒ぎがあり、ウフィツィも一部被害を受けた故、ということのようであった。やはりメディチ家の遺したルネサンスの至宝を受け継いでいるピッティ宮殿美術館へは行った。それはそれで素晴らしいものであったが、ウフィツィへ行けなかったこと心に滞っていた。
またいつか行こうと思っていたが、ついに行けなかった。

ウフィツィ美術館と言えば、何といってもボッティチェリである。
≪プリマヴェーラ≫、≪ヴィーナスの誕生≫、・・・、・・・。

このボッティチェリのアーモンドの目。私は、見ていない。
心残りであるが、今となっては致しかたない。

私が見ているボッティチェリのアーモンドの目は、ルーヴルにあるもの。
ルーヴル、ドゥノン翼、階段上、「サモトラケのニケ」を右に折れた部屋にある。
サンドロ・ボッティチェリ≪若い婦人に贈物をするヴィーナスと三美神≫、1480〜1483年、フレスコ画。
上はその一部。多く剥落している。が、私には、ボッティチェリのアーモンドの目。パリに行く度、この目にはずいぶん会ってきた。


昨日になるが、カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受けた。
「驚き」と受けとめられているようだが、それはおかしい。カズオ・イシグロならあり得る。
今までにも記した覚えがあるが、村上春樹の受賞はない。村上春樹の作品、幾らかは読んでいる。面白い。癖になる。しかし、村上春樹の作品は、ノーベル賞との親和性が稀薄、いや、ない。たまたま同じ文字づかいになるが、「神話」でないんだ、村上春樹の作品は。
カズオ・イシグロの作品は読んでいない。
が、6、7年前、映画化された『わたしを離さないで』を観た。
監督はマーク・ロマネク。シャーロット・ランブリングが校長先生を演じていた。不思議な話、怖い話である。
日常の中の非日常、非日常の中の日常、そのようなことを編み出せる精神のキャパシティー、それがノーベル文学賞受賞規準の一里塚ではないか、とも思う。