「住み果つる慣らひ」考(15)。

<はっきりと言えることは、「私は厭世論者でも虚無主義者でもない」ということである。また「ものごとから常に逃避する傾向の人間である」ということでもないし、さらには「肉体的・精神的に、どこか不健康である」ということでもない>。
須原一秀の『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』は、こう書きだされる。
関西の大学で哲学を講じていた須原一秀は、この論考を書き上げた後、65歳で自死する。
不治の病に罹っていたわけではない、大きな借金があったわけではない、何らかのゴタゴタがあったわけではない、鬱病になっていたわけではない。そう、それらのことごとからまったく逆の健全な状態であったからこそ自死をした。
じゃあ何故かって、誰しも思うよ。
須原一秀は、自身の「哲学的事業」として自死を遂げたそうだ。
残された『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』の論考は、『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』というタイトルで双葉社から2008年に刊行された。
須原一秀は、まずこう考える。
三島由紀夫と伊丹十三とソクラテスの自死について、何故彼らは自ら死んだのか、と。
三島由紀夫は切腹、伊丹十三は飛び降り、また、ソクラテスは刑死であるが、いくらでも逃げることができたのに進んで死を望んだので能動的自死となる、と須原一秀。
須原一秀、それぞれのケースを検証する。
「未練」と「苦痛」と「恐怖」というようなことを考え、「極み」の理論ということを論じる。
「極み」の理論とは、どうも人生での極みは十分にやり遂げたということのようなんだ。普通の言葉でいえば、「見るべきものは見つ」というようなこと、と思える。
しかし、これはずいぶんすっ飛んだ理論であり、また、単純化しすぎているんじゃないのって思ってしまう。
が、須原一秀自身の自死も極みは極めた、いわば人生の果実は十分に味わった故の自死である、と記す。
死にたい、という思いが強いんだ。
だから「新葉隠」なんだ。
山本常朝の『葉隠』から「忍ぶ恋」を引きだし、「こがれ死」、「思い死」に持っていき、「新葉隠」へと。
須原一秀、哲学者であるから、その他もろもろ哲学的論考を記している。論理的記述である。しかし、何やらそうかなあーってところがある。
自死ということ、人生の締めくくりの選択肢のひとつであるな、と考えている。たいへん難しいことではあるが。
須原一秀は、入念に準備を進め頸動脈を切った上、縊死した。
この1月に自死した西部邁には協力者がいた。
死は難しい。いろいろ考えないと。