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流山子雑録    『酔睡胡乱』

2018-04-30

「住み果つる慣らひ」考(16)。

1997年(平成9年)2月5日、江國滋宇都宮の病院に入院し、翌6日、さまざまな検査を受ける。

実は、その前年の初秋のころから胸に違和感を覚えていたが、原因が明らかになることを恐れたのかなかなか医者にかかろうとしなかったそうだ。心配した奥さんから相談を受けた親友と俳句の弟子が、その弟子の外科医が営む宇都宮の病院へ連れて行った。自覚症状からは半年ほど経っていたという。

精密検査の結果は食道癌。「オペをしないといけない」、と告げられる。

     残寒やこの俺がこの俺が癌

江國滋著『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』(新潮社 1997年刊)は、この2月5日から約半年後の8月10日に亡くなるまでの闘病記である。

腰巻き・帯に<敗れはしたけれど、闘いきった187日>、とある。

文筆家であり俳人でもある江國滋、その約半年、187日の間に詳細な闘病日記を記し、500を超える句を詠んでいる。

凄まじい闘病記であり、病中句である。

江國滋俳句の弟子である宇都宮の病院長からの紹介で、国立がんセンターへ入院することになる。

2月10日、紹介された国立がんセンターで初診、その日の検査、医師から説明を受ける。CTスキャンとMRIのフィルムを前にしてじっくりと。

食道癌、早期ではない。食道の粘膜を破っている。食道を全部削除した上、リンパ節もぜんぶとる。ふつうは胃を引っぱりあげて食道をくっつけるのだが、胃潰瘍の手術で胃がないため、大腸を引っぱりあげることになる。9〜10時間の大手術になる。

入院まではビール、酒はよろしい。しかし、タバコは絶対に不可とも。

入院の日取りは未定だが、その予約はしておく。江國滋、こう記している。

<個室(AからDまで)のBかCを希望、一泊、3万7、8千円ぐらい。おそるべきぜいたくだと自分でも思うが、どうしても個室に入りたい>、と。

がんセンターを出た後、昼食時にビール1本、日本酒1号。飲みながらタバコ一服、食後に一服、タクシーの中で一服。奥方が買い物の間に<今生で最後の最後の一服を、指先がこげるぐらいまで短く吸う>。

     今生で最後の一服冬日向

入院日は、2月21日となる。それまでも検査などで国立がんセンターへは行っている。

2月17日には、国立がんセンターへ行った後、銀座松屋の食堂街、築地田村の店でビール1本、日本酒1号、かに雑炊。その後、夕刻から東京やなぎ句会に出ている。

桂米朝さんを除いて全員出席>、と記しているので、入船亭扇橋、永六輔、大西信行柳家小三治矢野誠一加藤武、小沢昭一などの面々とは顔を合わせ、句会が終わった後、発癌の報告をしている。

     あつというまに如月のなかばかな

2月21日、入院。石田波郷の病俳句を念頭に毎日句を詠む。25日までは、”密輸”の缶ビールも飲んでいる。

それにしても国立がんセンター、驚くほどの検査をしている。江國滋の状態がそういう状態であったということもあろうが、それにしてもこれほどに。

江國滋、それを子細に記している。何から何まで克明に。

巻末、鷹羽狩行の「俳人・滋酔郎のこと」という一文がある。

その中にこういう所がある。<ものを書く人間としての執念、というより業(ごう)に、戦慄すら覚えた>、との。

まさにその通り。江國滋、闘病の中で受けたこと、感じたこと、考えたことをすべて書き記している。

     春ともし遺書を書かうか書くまいか

3月4日、手術を受ける。手術は10時間以上におよんだ。

<ICUには6泊7日の滞在となった>、とある。<術後の肺炎で、一時は危険な状況だったのだ>、と江國滋

     春の闇阿鼻叫喚の記憶あり

4月1日・・・

     死神にあかんべえして四月馬鹿

凄まじい闘病の日々が続く。連日連夜、痛み止めとミン剤。

4月14日には再手術。

     春惜しみつつ手術場へするすると

会計からの請求書の記述もある。平成9年3月1日から3月31日までの医療費明細書である。支払区分 国保7割となっている。

江國滋の3月分の医療費は、入院料、投薬料、注射料、処置手術料(95万円余)、その他を含み合計319万円余。保険診療外金額102万円余(これは個室代)。今回請求額は、171万円余である。

3月分には手術代も含まれているが、他の月もやはり月間100万を遥かに超える請求である。普通の人では耐えられない。

さすがに、江國滋もこう詠んでいる。

     余寒の夜考えてゐる銭(ぜに)のこと

さまざまな人が見舞いに訪れる。

瀬戸内寂聴も来て、<両肩を抱きかかえるようにして、大変だったわねえ、と慰めてくれる>。「なんと言っても気力が第一」、と。

     寂さまのおん手の数珠に風ひかる

如何に瀬戸内寂聴が気力が第一と言っても、進む病状は容赦はしない。

手術も4回を数える。

6月29日・・・

     またしても全身麻酔三尺寝

     いのちひとつ手術四回風は死す

     手術馴れして眠剤を冷酒で

     夏痩せて四度の手術(オペ)にたじろがず

8月8日午前2時、江國滋は辞世となる句を書きつける。

     おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

その2日後、江國滋は62年余の生涯を閉じた。


江國滋の闘病記、闘病句、素晴らしいものである。

しかし、江國滋にこのような闘病を強いる必要はあったのか、ということを考える。

半年間で4度に亘る手術。早い段階での注腸栄養補給。1日4回、胸に入れた管から栄養を補給する、という処置。さらに、高額な医療費。

はたしてこのような処置は妥当であったのか、私は疑問に思っている。

江國滋のQOL(クウォリティ・オブ・ライフ)は守られていたのであろうか、と。

江國滋のQOLは、完全に考慮の外に置かれている。国立がんセンターの規範では。

もしもの時、私は国立がんセンターなどには行かない。

どこにも行かず、ただ自然に死ねる所を探す。