一切智の人 南方熊楠展。

たまに、「智の巨人」とか「知の巨人」と称せられる人がいる。今の日本では誰かな。以前の一時期、立花隆がそう呼ばれていたことがあるが、今ではパワーが落ちている。
「巨人」というもの、「智」であろうと「知」であろうと、「奇人」や「怪人」の要素を併せ持たなければならない。その点で、今の日本で思い浮かぶのは佐藤優かなー。その顔貌も含め。
明治維新前夜に生まれ太平洋戦争開戦の年に死んだ南方熊楠は、まさにそのような「智の巨人」であり「怪人」である。

今年初めの国立科学博物館、南方熊楠生誕150周年記念展が催された。
いやー、面白かった。
余計なことだが、高齢者はタダだし。

企画展、ここから入る。
<100年早かった智の人>って、「智の巨人」は誰でもいつの時代でも100年やそこらは早いんだ。だから、「巨人」であり「怪人」なんだ。

南方マンダラのホログラムが。
南方熊楠の世界、博物学であり、粘菌学であり、民俗学であり、・・・であり、と多岐にわたる。まさに曼荼羅世界。

南方熊楠の略年譜。
維新前夜に生まれ、19歳で東大の前身である予備門を退学しアメリカへ渡っている。
その後、30代前半までアメリカとイギリス、特にロンドンでの研究生活。大英博物館で勉強を続けていたんだ。たしかに大英博物館、そのような空気を今も湛えている。
大英博物館、そこに身を横たえることにより、ヨーロッパの華麗な美を感じる。

南方熊楠、33歳で日本へ戻り、紀州熊野、那智、田辺へと。

<一切智を求めて。

柳田國男への書簡。

1903年12月9日の日記。

抜書。

粘菌図譜。





那智の滝。

神社合祀に関する柳田國男からの書簡。


晩年、御進講を予告する記事。
大阪毎日新聞、1929年5月23日号nが切り貼りされている。
<南紀の世界的学者 南方翁を召さる 粘菌標本を携へて 御召艦へ出頭せよ との御沙汰>との見出し。
本文中には、<民間からかヽる御召に浴することは 殆ど稀で翁もその破格の光栄に感激してゐることであらう>、と記されている。







「一切智を求めて」。
一切智の人、智の広がり、智の集積、智の展開、智の構造。

「智の巨人」南方熊楠のクマグス曼荼羅、何処へも。