原爆投下。

昨日は久しぶりに暑さが緩み外へ出た。夕刻から知人と飲み、夜、休み休み帰ってきた。一昨日NHKBSで流されたものを記そうとしたが、PCの前で何度も眠りこんでしまい中断した。

一昨日、6日、広島の日にNHKBSで流されたものはこれである。昨年初めに流されたものの再放送。途中10分間のニュースを挟み110分のドキュメンタリー、見応えがあった。
右は大統領・トルーマン。左はマンハッタン計画の責任者・グローブス。トルーマン、グローブスに翻弄される。
ハリー・トルーマン、原爆のことなど何も知らないんだ。もちろんマンハッタン計画なんてことも何も知らずにアメリカ大統領になってしまった。その何か月か前までは、まさか自分が大統領になるなんて思ってもいなかったそうだ。それが1945年4月12日、ルーズベルトの死により急遽大統領となってしまった。原爆のことも知らない、外交経験もない男が。
しかし、副大統領のあずかり知らぬところで原爆研究、開発は進行していた。

既にその2年前には原爆が成った折りには、日本のどこに落とすかということも検討している。
東京、大阪、名古屋、以下17都市が候補となっている。

最終的に最初の原爆を落とす都市は、京都と広島に絞られた。
マンハッタン計画の責任者・グローブスはこう思っていたという。「最初の原爆は破壊効果が隅々まで行きわたる都市に落としたかった」、と。「だから、京都に」、と主張した。ところが、上司である陸軍長官・スティムソンが京都には否やを示す。

グローブスは、京都駅を含む京都中心部直径5キロの範囲を壊滅させることを考えた。

が・・・
アメリカは文民統制の国である。文民が軍人をコントロールする。
グローブスは上司のスティムソンの許に6回以上行き、第1発目の原爆投下は京都へ、と述べたそうだがスティムソンはそれを退けた。

スティムソンはこういうことを気にかけていたそうである。
1945年6月6日のスティムソンの日記である。スティムソン、こういうことを危惧していた。だから京都への原爆投下は認めないと。

7月25日のトルーマンの日記。
こう記している。
で、第1発目の原爆投下は京都ではなく広島に、と。
トルーマンという男、軍の説明に易々と乗っかってしまった。

今、アメリカの研究者はこう言う。

この研究者も。

1945年8月6日早朝、テニアン島を飛び立つエノラ・ゲイ。

8時15分。
広島に原爆投下さる。

エノラ・ゲイの搭乗員・レイ・ギャラガー、こう語る。

アメリカ大統領・ハリー・トルーマン、こう語る。

続いてこうも。
ハリー・トルーマン、この時にはまだ原爆投下がもたらした状況の何たるかは把握していない。
「原爆投下 知られざる・・・」、明日続ける。


昨日、何日か前に津川雅彦が死んだことが報じられた。
大島渚、伊丹十三、最晩年の新藤兼人の作品にも出ていたことが思いだされる。
が、不思議なことに津川雅彦というと、これらの映画ではなく、たしかNHKのテレビドラマが思いだされる。20年以上前、30年近く前だったかもしれない。
癌になり余命何か月となった男が、死に場所を求めて旅に出るんだ。ニューヨークへ行くんだ。死に場所を求めて。
先ほどから、何というタイトルであったか思い巡らしている。たしか、「人間」と書いて「じんかん」と読ませていた。その後ろに言葉があった。さんざん思い巡らした後、やっと思いだした。
「人間 到る処青山あり」であった。
細かいことは忘れてしまったが、ニューヨークの地下鉄の中で悪にピストルを突きつけられて、待ってましたさあ殺せ、殺してくれ、と叫んだことにピストルを構えた悪者の方がビビッてしまうなんてシーンがあったような気がする。
死に対し腹を決めてしまうこと、心していたい。


今日、翁長雄志が死んだ。
日中、翁長雄志が意識混濁状態になったとのニュースが流れた。昭和天皇崩御のことを思い出した。翁長雄志と昭和天皇、どこで結びつくのか解らない。
が、私は思いだしてしまった。何故だろう。
翁長雄志、辺野古移設に身体を張って反対していた。その姿にまだ67歳だったんだ、ということは結びつかなかった。考えてみれば、まだ若い。
この「流山子雑録」では翁長雄志に触れたのは幾度か。
今年6月23日の沖縄慰霊の日、糸満からの中継での翁長雄志を思いだす。その日の「流山子雑録」、翁長雄志の画像を2枚掲載している。
沖縄・琉球と日本・大和の問題。