ゴードン・マッタ=クラーク展(続き)。

ロベルト・マッタという絵描きがいたことは知っている。ゴードン・マッタ=クラーク、その息子だそうだ。コーネル大で建築を、ソルボンヌで文学を学んでいる。
そのことにも因ろうが、場所、場ということを考える。既存の場の変容を。

会場構成は、早稲田の建築学科准教授・小林圭吾の手になるもの。
部屋の移動もキュートでスマート。

木の上、空間も場である。

1971年のヴィデオ・≪ツリー・ダンス≫。
乳母車に乗った女の子がお母さんと一緒に見ていた。

アメリカの「ツリー」と聞けば、ビリー・ホリディの「Strange Fruit(奇妙な果実)」が頭に浮かぶ。
が、ゴードン・マッタ=クラークの「ツリー」には、人間はぶら下がってはいない。枝の上にいる。

乳母車の女の子はゴードン・マッタ=クラークの作品をじっと見つめていた。きれいに色を塗るのがアートじゃない。コンテンポラリー・アートとはこういうもの、と思っていた模様。

ゴードン・マッタ=クラーク、1971年以降、ブルックリン、ブロンクス、マンハッタン、ニューヨークのあちこちで「ビルディング・カット」を行っている。
建物を切る。分割する。まさに「スプリッティング」。
1973年の「スプリッティング」の映像が流れている。
ゴードン・マッタ=クラーク、電動のこぎりで建物を切っている。








これは1974年のニュージャージーでの「スプリッティング」。
「スプリッティング」、既存の場への反旗なのか、既存勢力への反逆なのか。


大相撲九州場所6日目、勝ちっぱなしは小結の貴景勝ひとりとなった。
少し乱暴な言い方をすれば、白鵬がいなけりゃ皆ドングリの背比べなんだ。三役どころか横綱、大関も含めて。