関仁慈展 −不文律ー。

河瀬和世展を辞す時、河瀬さんから「もし時間がおありなら」と言ってカードを渡された。「関仁慈 −不文律ー」と記されている。
「以前、一緒に展覧会をした人で、今、すぐそこで展覧会をやってますので」とのこと。LIXILの少し先、警察博物館の後ろ。行った。

ギャルリー東京ユマニテ、このドアの向こう。
パリのユマニテは昨日、今日、大忙し、大変だったろう。

地階へ下りると、男がひとりいた。
「あなたが作家の関さんですか?」、と訊いた。「そうです」との答え。「今、T−BOXでやっている河瀬さんからあなたのことを聞きましたので」に対し、「河瀬さんから、それはどうも」、と。
「関仁慈、仁慈とは珍しいお名前ですね」って言った。「はい、お寺さまが付けてくれた名前だそうです」、と作家・関仁慈。「仁徳」の「仁」に「慈愛」の「慈」、良き人に違いない。

入口の外、個展歴などを記した紙にこういうことが記されていた。
ものの本質を突きつめていけばいくほど単純化される、ということなんだろうか。
小さなギャラリーである。ギャラリー内へ入る。

真っ白である。
白い壁面に白い作品がかかる。
「真っ白ですね」と言うと、「そうです。ここ数年は白にこだわってます」と作家の関さん。「白ばかりですか?」に、「そうです。白ばかりです」、と返る。
ギャラリー内には真っ白い作品が10点並んでいる。
そのタイトルは、≪Unwritten law≫の後に「1811001」といった数字が並んでいる。数字は、「1806002」から「1811007」まであった。
数字は、例えば2018年11月の何番目ということのようだろうと思い訊くと、そうであった。
「Unwritten law」は明文化されてはいないがそのようなこと。訊かなかったが、このことも突きつめた本質と繋がるのかもしれない。作家の中では。

右の作品に近寄る。

これ。顔料は何を使っているのだろう。訊いた。
「和紙にボンドにアクリルシリコンです」、と作家の関さん。アクリルシリコン、光沢感があるそうだ。

横長の作品。

左端の部分を取りだす。
浮いている。影がついている。半立体に影。この影がより重要なのではないか。

このコーナー、左の3点を取りだす。

この3点。
左からひとつずつ。

光沢のある白いものが浮いている。影を落としている。白い半立体とそれが落とす影によって作品は構成され、成り立つ。おそらくそうであろう。

実は、私はとても重要なことを作家に訊くことを忘れていた。和紙が浮いていることである。土台の和紙が浮いていることによって、ボンドとアクリルシリコンが生みだす造形物の影が生みだされるのであるから。
どうやって和紙を浮かせているのかも分からない。うっかりしていた。

関さん、こういうことを言う。「いずれ、点がひとつだけの作品を作りたいと考えています」、と。
ここには点がまだ4つか5つある。それをただひとつの点のみを作りたい、と。「昔、具体美術の吉原治良が〇・丸を描いてましたが、あれも究極の造形として吉原治良が生みだしたものでしょう。あなたが言われる、ただ点をひとつだけということもそのようなことでしょうか」と訊いた。「そうですね。そうありたいと思っているのですが」、と作家・関さん。

このコーナー。

主張している。

「私は雑駁なブログをやっているのですが、あなたの作品と共にあなたの姿も載せていいでしょうか?」って訊いた。「どうぞ」と返ってきた。
白い作品を生みだす作家・関仁慈、真面目な人の模様。作品の前に直立してくれた。
その左側の作品はこれ・・・

これである。
アクリルシリコンによる白い造形、そして、それが生みだす影。さらに、それらを支える浮きあがった和紙。
関仁慈の「不文律」、独自世界である。


婿殿の都合や料理屋の都合で12月となった孫娘の七五三、今日行なった。

3歳の時にも行った諏訪神社へ。

本殿へ。

孫娘、お賽銭を投げ入れ・・・

首を垂れ、手を合わせる。

孫娘、本殿の前の石段に孫坊主と共に座る。

おねーちゃん、弟の方へそんなに寄っていくと、坊主は迷惑そう。

じじは、二人の孫の幸せを祈る。

料理屋の予約は11時半。だいぶ早く着いちゃった。
孫娘は近くの小さな公園で、パパとシーソーをしている。着物姿で。

料理屋へ入った後も、孫娘はいたずら書きをしていた。


その内、着物は窮屈、孫娘、洋服に着替え始めた。部屋の中で着物を脱ぎ棄て。
今日一日、ばばは大活躍、孫娘の世話に追われていた。ばばにとっては嬉しい大忙しの一日であったであろう。
孫坊主は、ママの腕の中でスースー眠っている。
私も少しの酒を飲み、料理屋の座敷の中で1時間ばかり眠ってしまった。
何とも幸せな一日であった。