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2018-08-04

「アジアチッシュ・イデオロギー」全集版343P〜350P(第二十一章)

[#6字下げ]第二十一章[#「第二十一章」は中見出し]


[#4字下げ]唐芸術と仏教哲学[#「唐芸術と仏教哲学」は小見出し

 同時具足相応門から出発して、唯心廻転善成門を閾として、託事顕法生解門に終った華厳の十門哲学は、法華のより並立的な十箇の範疇を経て、新華厳派の、唯心廻転善成門に代うるに、十世隔法異成門を中間過程から抽出して閾に置き、最后に主伴円明具徳門に終る新範疇を形成した。これらの範疇の内容は、詳示すれば更に複雑であるが、問題はかゝる煩瑣な神学的構成にかゝつらうことでもなく、そしてしかし、これらの時代的差異の中に現われた社会心理学的構成の変化を見逃がすことでもない。諸小国の戦乱に擾された社会の多岐な勢力が、唐の一君制に統一されると共に、唯心の廻り扉が十世異成の隔法の中にぴったりと分塞されるのは、決して偶然ではない。上層建築の擾乱が一定の期間を終えて凪ぐにつれて、弱められた支配ブロックの下でのみ与えられた唯心を、自由に廻転させることに対する権利が社会の表皮から奪い去られ、その代りに奴隷が異成的な土地制度に結びつけられたところの社会形態が現われて来たとゆうことは、一見逆説のようで、しかし真面目で平凡な結論である。これらの過程が、時間的にも空間的にも交叉した並列的な法華の、天国から地獄に至り、神と奴隷の孤独世界を貫く十箇の範疇において取られたことが、鈍くかつ尨大な自然的社会を擁したアジア専制国家権下の常に現われてくる特徴の一つだったのは言うまでもない。人間はその第五の範疇であり、かゝる掠取的自由主義者は、地代と奴隷税の枢軸を握ることによって、自身唯心の廻り扉たるの役目を果したのである。それは同時に呉道玄の聖なる救世主寒山から、王維の平面化された表象の世界に逃げこんだところの山水画えの過程でもあった。
 文学には、漢の武帝や隋の煬帝の如き、極度な圧制君主の遊蕩の讃美が幼稚な形で現われ始めた。これは次第に抽象から脱離して、もっと具体的な専制権力をもって帰って来たところの神なる王、如に赴きまた如より来生するところの仏の、より形而下的な表現に過ぎなかったのである。
 人も知る如く、唐詩春秋戦国の詩と並んで、中国詩の双璧であるが、前者の絢爛なるマンネリズムは、李白、枉甫を二巨星として擁しながら、遂に詩経の諷刺と真率に及ばない。こゝには、三千丈の白髪を明鏡の内に見詰めている詩人がある。彼は不器用な修辞で、十劫兆載の久遠の自己を過去の桎梏に繋いでいる。抽象的倒錯は、自己がよってもって立つところの他人の桎梏を、内有することによって自己の権力にあることの反省的表象として表示することを常とする。だが問題はかゝる哲学的談議ではなく。こうした封建の酒場で愛誦せられたところの、「冷暖我自量、不信奴唇皮」底の唐詩選や寒山詩や証道歌よりも、もっと真率な満州戦争に対する一篇の抗議のすぐれた切々たる哀歌が存在することを述べることがもっと重要である。
 我兄征遼東 餓死青山下 今我挽龍女
 又困随隧道 古今天下餓 路糧無些小
 前去三千程 此身安可保 寒骨秋荒沙
 遊魂泣烟草 悲積門内妻 望断吾家友
 安得義男児 焚此無生死 引其孤規回
 負其白骨帰

 法相唯識の結合から生れ、生産する人生の総和点における静かな鏡面と、動いて止まぬ瀑流との楔をめぐって、その体系を展開したのであるが、純粋人間が十範疇の単に中央の扉であったように、鏡面と瀑流とは、いわゞ模型的な本体と現象との内陣として、全体系の中央部分の抽象的な影像の中の、負の荷数によって構成された形而上の実験室を形造ったのである。
 姚秦の鳩摩羅什に対して、訳経家の双璧と称せられた法相玄奘は、前者の軍事的な緊張の掠取制的訳法に比して、薄っぺらなしきのした弛緩の掠取制的訳法を大成した。それはかゝる社会的制限内で、あらゆる可能性を調べに調べた末、徹底的に論述するとゆう特徴を持っていた。もっともこれは、単に直観的規制がすでに不可能に陥った時代の産物であったので、決して弁証法的美点の結果ではなかったのである。
 玄奘に対する鳩摩羅什は、普通、有に対する無をもって呼ばれている。たゞし改作された三論による無の哲学は、一切の差別的範疇を絶した純粋球面幾何(  [#「  」に「ママ」の注記]氏の用語に従う)の形象を借るもので、これはアジア的生産の国家的分裂による内部的外衝性に基いて、始めて可能なのである。分裂形態が国家対国家から王侯対奴隷に移るや否や、支配階級数学の正と負の形象化か、あらゆる場合そうであるように、無は徐ろに有に転化する。これは法相の一時的勝利であり、そしてかつて孔老の系路がとったように、後に禅の分派の系路がとったところのものである。

 禅はもっと生産面に近く、江西の農民の間から生れた。その仮想的な宗祖洛陽帰化僧で。純粋の生産球面を思想において描く代りに、自己の上に実践をもって描くことを主張した、そしてそのために自分は足を失い、弟子は臂を失い、胴ばかりとなって、かくして以心伝心の生産球面を自ら描いたのである、と伝えられた。現在われ/\が日常たやすく街頭において目にふれる所のダルマ像は、実践躬行もって圭角を亡ぼし支配者に対して及ぶ限り卑屈にならしめられた、純粋の生産球面の実践における好箇の見本だった。
 六祖禅において、法相の華麗な包装に対して、般若のより把質的な包装が前提され、漠然たる覆布を脱して、箇々円成の財産観念が強調された。六祖は金剛経の「応無所住而生其心」を個的抽象を全的抽象の中に没入せしめたところの分裂形態における充足欲望から、逆に全的抽象を個的抽象の中に没入せしめたところの統一形態における綜合欲望として解釈し、壇経において、僧は坐食者であり、俗人はこれに仕えるものであることを、劣紳的な率直さをもって説明した。
 禅はその後、洞山系と臨済系との間に興味ある対立を見た。洞山は、水に映る影の中に、不即不離の態度で進みながらも、決して理想と共になることのないリアリスチックな世界を認めた。現実と理想との間の道はどこに存在するか。三歳の子が九十の老婆と結婚せねばならぬ必然性の上に。
 臨済は飛翔する真人と共に生きていた。それは任運堂々として、遊楽することが休息でない限りにおいて、一刻も同じ所に止まっていなかった。聴法底と説法底とは、真人の同一作業であり、一切の名字相を脱離し、分離定着させられた十世隔法異成の全宇宙を縦横無尽に、ドン・ジュアンの旅行を試みることを結論とした。彼のロマンチシズムにとっては、好色漢が女に対して遠慮深さを持ち合わせぬと同じく、理想は常に現実から一歩も遠いものではなかった。
 なお曹洞宗の古典的公案たる五位頌を参考までに次に掲げる。


 正中偏―――上二更初夜月明前 莫怪相逢不相識 隠々猶懐旧日妍
 過ぎ去った日々の桎梏は、思い出の覆衣をして認識の対象を各自異なったものとせしめる。異った単語の集積が彼等の形象を形造り、反の対立によって布置される正を設定する。
 偏中正―――失曉老婆逢古鏡 分明覿面別無真 争奈迷頭還認影
 主観の混融は、個々の眼を弱らせること、あたかもプヂングがうまく煮えれば煮えれるほど、個々の片が鍋の中でとろけるのと同じであるのを如何せんだ。
 正中来―――無中有路隔塵埃 但能不触当今諱 也勝前朝断舌才
 一定の生産と生産的主観のプヂングの飽和は、現在の制度に対するこうしたプヂングを食えぬものらの革命の叫喚となって現われる。但によく現在の君主を弑することを得ずとも、また拷問によって煽動の弁才を絶たれた前代の才子作家に勝るであろう。
 偏中至―――両刃交鋒不須避 好手猶如火裏蓮 宛然自有衝天気
 こゝには正の対立によって布置された反がある。革命は開始されたのだ!
 兼中到―――不落有無誰敢和 人々盡欲出常流 折合還帰炭裡坐
 対立する正は、反を征服して支配のブロックを形成する。新らしい型の昂揚が一時隆盛である。だが帰郷が沈滞の建築におきまりのジンテーゼをもたらす。


 次に帝王をして屈せしめた人民の激浪が、懐柔と弾圧の手段によって、漠然たる形象の過程を辿って、「衆生諸仏相侵さゞる」差別支配の下に置かれ、道徳と理性の表徴の価値顛倒の中に投ぜられることに終る五段階が、以下の詩の中に示されてある。
 (問) 聖主由来法帝堯 御人以礼曲龍腰 有時鬧市頭辺過 到処文明賀聖朝
 (奉) 浄洗濃粧為阿誰 子規声裡勧人帰 百華落盡啼無盡 更向乱峯深処啼
 (功) 枯木華開劫外春 倒騎玉象趁麒麟 而今高※[#「こざとへん+急」、千峯外 月白風清好日晨
 (共功)衆生諸仏不相侵 山自高兮水自深 万別千差明底事 鷓鴣啼処百華新
 (功々)頭角纔生己不堪 擬心求仏好羞慚 迢々空劫無人識 敢向南詢五十三

 如是我聞 一時薄伽梵 住如来加持広大金剛法界宮 一切持金剛者 皆悉集会 如来信解 遊戯神変生 大楼閣宝王 高無中辺 諸大妙宝王 種々間飾 菩薩之身 為師子座………所謂越三時如来之日加持故 身語意平等句法門
 これが大日経の冒頭である。仏教中最も難解をもって称せられた本経は、単にそれ自身何者でもないヒンドスタンの神裔の偽作経典に、秘事口伝と真言咒法の衣裳を着せ、芸術的に最も拙劣な文辞を飾り立てたが故に難解なのであり、実際の内容は大蔵経の中ですぐれて筒単明瞭である。後世の解釈は暫く別として、善無畏と一行の合作に、一行の後に註を加えたものを基として解釈すれば、(善無畏版の大日経はあまりに浅薄であるために、僅かの年月の後、これだけの加筆がなされねばならなかったのである。)神とは能破者たる財主であり、聞者と説者は禅的にその抽象物の上で一致し、自己を表現し、こゝに神を構成するのである。大日の天国は、法華の唯身の影像と、華厳の重複した心像の上に超然として、最も単純な独裁的君主の肖像を浮べる。それは中国では、封建の前段階に適応するように、改作せられたところの、重々無尽の帝綱中に法然の薩婆若を見出した弘法大日とは、東洋的支配の列慄たる点を除いては、本質的により異ったもっと単元的なものであった。神の座は持金剛の武力によって構成され、軍部の師子座はそれが著るしい下剋上の交迭部署たる限りにおいて、一人の王を逆に止揚する多頭制的勢力として現われる。この止揚の生産に対する政治の止揚が加持であり、声字における抽象の極限は、身語意の有限的抑下としての平等であり、起信真如を突破した阿字の神像は、彼の影を総括的な金剛宮に投げた瞬間、彼の権力が生産の輪廻に画った掠取の絶対極限を、彼自身の無限性として認識したのである。
 世尊如是智慧 以何為因 云何為根 云何究竟 如是説已 毘盧遮那仏 告持金剛秘密主言 善哉善哉執金剛………菩提心為因 悲為根本 方便為究竟 秘密主 云何菩提 謂如実知自心 秘密主 是阿耨多羅三藐三菩提 乃至彼法少分無有可得 何以故 虚空相是菩提………金剛手復白仏言 世尊誰尋求一切智 誰為菩提 成正覚者 誰発起彼一切智々 仏言 秘密主 自心尋求菩提及一切智 何以故 本性清浄故

 唯心の国家の治法は、人神の心像を如実に知ることである。それは集権的収取関係の軍事的に盛り上った段階において、後方に法華の並列的な枠柱を見捨て、前方に個々の楞厳を組織した、原人の時空的な実体を迎えようとした、三阿僧祗劫の段階に、不可得の現在を抽象する。百六十心はその混沌の諸範疇であり、階級的対立物と過去の諸形象とを覆い、かつその上に超然たるところの第三の純粋的物神性は、一切の世界像を直接間接に反映させるところの信仰の倒象である。一行はこの最后の阿僧祇劫を、「是故智者 当思惟此一切智信解地 復越一劫昇住此地 此四分之一度於信解」の句の中で、抽出的に特徴づけて異訳することによって、結局自心尋求菩提の最も強調されたトーテミズム的整合を自己制限した。それはその限度で、死せる楊貴妃玄宗に対する物神的倒象として天空に懸ったように 「幻、陽焔、夢、影、乾闥婆城、響、水月、浮泡、虚空華、旋火輪」等々として、自己破裂する。法華の久遠実成は彼を万有のアルファとすることによって、衝撃の側面に解消させられるべく試みられ、絶対心の無始道場下に挫折した。けだし永劫の后における彼の支配の時間的不安さは、弥陀において空間に対する絶対差額として現われたように、こゝでは仏誕と成道との中間期の神的評価の不定さにおいて現われている。そしてまた古い仏教公理が繰り返される。諸行は無常である。絶対哲学の破綻は、必ずしも虚空相に抽象されない反抗する人民に対する、よりすぐれた掠取手段えの狡猾な飛翔を続けながら、禅の哲学に移動する。



20180811:第一回校正

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