ミッキーの生みの親はディズニーではない
ミッキーマウスと聞いて皆さんは何を思うでしょうか?ディズニーの看板キャラクター?著作権に厳しいウォルト・ディズニー・カンパニー?ミッキーマウス保護法と呼ばれる著作権保護法?品行方正なかわいいキャラクター?グローバリズムの象徴?
有名なだけに人それぞれ良いイメージや悪いイメージはあるでしょう。ミッキーマウスのことを大好きな方も、疎ましく思っている方もたくさんいるでしょう。
さて、そのミッキーマウス。生みの親をウォルト・ディズニーだと思っていませんか?
ミッキーマウスをデザインした人はウォルト・ディズニーではありません。
ミッキーマウスをデザインした人の名前は、「アブ・アイワークス」と言います。
この記事ではミッキーマウスがどうやって生まれたかを紐解いていこうと思います。
ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスの友情
ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスは友人であったと伝えられています。実際の所、どのような関係だったのか、あまり知られていません。
アイワークスとディズニーが出会ったのは一九一九年も暮れのことだった。当時は二人ともコマーシャル・アーティストとして生計を立てていこうとしていた。二人はカンザス・シティ・フィルム・アド社(のちのユナイテッド・フィルム・アド社)で働いていたとき、ともにアニメーションを初体験した。ウォルトがその会社を離れ、一九二二年に自分のカートゥーン・スタジオを始めようと決めたとき、最初に雇った人物がアブだった。
http://www.amazon.co.jp/dp/4903063429/
彼がアブを雇ったのはただの形式的な友情の証ではなかった。当時からウォルトはアイワークスの信じがたい絵の腕前を高く評価していたのである。
アブ・アイワークスはウォルト・ディズニーが「絵の天才」と認める人物であったことが伺えます。友情と言うよりも「信頼の置ける天才」とも言うべき存在だったのかもしれません。
ジュリアス・ザ・キャット
ディズニーの最初のキャラクターは勿論ミッキーマウスではありません。また、ウォルト・ディズニーは初期の頃から独創的なわけではありませんでした。フライシャー・スタジオが「インク壺から(原題:Out of Inkwell)」で実写映像にアニメを重ね合わせる手法で世間を驚かせていた時、ウォルト・ディズニーは「アニメに実写映像を取り込む」というあまりに単純な逆転の発想で「アリス・コメディ」シリーズを作成します。しかも、このアニメに使われているキャラクター、「ジュリアス・ザ・キャット」は明らかにフィリックス・ザ・キャットの模倣でした。
これがフィリックス・ザ・キャットのキャラクタービジネス*1を行なっていたパット・サリヴァンにより抗議され、ディズニーの会社は新しくキャラクターを生み出すことを余儀なくされました。
この出来事がのちのウォルト・ディズニーがキャラクターの版権を強く守る姿勢を生んだ一つの原因でもあると思われます。
マーガレット・ウィンクラーからチャールズ・ミンツへ
初期のディズニー作品の配給はマーガレット・J・ウィンクラーの会社、ウィンクラースタジオが行なっていました。
マーガレット・J・ウィンクラーについては英語版Wikipediaで引いてみると
マーガレット・J・ウィンクラー(またはM・J・ウィンクラー)は、サイレントアニメーションの歴史では重要人物の一人であり、マックスとデイブ・フライシャー、パット・サリヴァン、オットー・メスマー、ウォルト・ディズニーの歴史において重要な役割を果たしている。彼女はまた、アニメーション映画を生産、配給した最初の女性だった。
Margaret J. Winkler - Wikipedia
とあり、アメリカの初期のサイレントアニメーションは彼女の会社がほぼすべて配給していたものとわかります。
そして彼女の元で働いていたチャールズ・B・ミンツと結婚し、経営を彼へ引き継いだのでした。
オズワルド・ザ・ラッキーラビット
パット・サリヴァンからの抗議を受け、新しくデザインしたキャラクターが「しあわせうさぎのオズワルド(Oswald the lucky rabbit)」でした。
このオズワルドのシリーズはヒットし、うまく行っているように見えました。そしてディズニーはオズワルドの作品に多額の金をつぎ込みました。
しかしオズワルドのシリーズがヒットしていても、配給業者からディズニーへの支払いが一向に上がらず、ディズニーはこの時の配給業者の経営者、チャールズ・B・ミンツへ直談判しに行きます。
ところが、チャールズ・ミンツは「製作費をさらに下げなければオズワルドとアニメーターを引きぬく準備がある*3」とディズニーへ伝えたのでした。この時、チャールズ・ミンツの引き抜きの誘いに同意しなかったのは唯一、アブ・アイワークス一人だけでした。
このチャールズ・B・ミンツの工作に会った時に、(ジュリアス・ザ・キャットが訴えられた時よりも)ウォルト・ディズニーは映画や創作の所有権を手放さないことを決意したと言われています。
煙草も吸うしビールも飲むし乱暴な初期のミッキーマウス
アブ・アイワークスとウォルト・ディズニーは新しいキャラクターを議論し、アブ・アイワークスがネズミのキャラクターをデザインしました。これをウォルト・ディズニーが気に入り、アブ・アイワークスは一人で二週間の内に「飛行機狂(原題:Plane Crazy)」を描き上げます。
二作目のミッキーマウスは煙草も吸うし酒も飲みますし女ったらしでかわいいです。
しかし、最初に配給業者向けにに試写を行った時には芳しい反応は得られませんでした。実際オズワルドとそれほど違いませんし、上に紹介したYouTubeのように効果音もなく喋りもしませんでした。
ウォルト・ディズニーはこの時、ワーナー・ブラザーズのトーキー映画、「ジャズ シンガー(原題:The Jazz Singer)」が流行っているのを見て、ミッキーマウスをトーキーで上映することを思いつきます。トーキーについては方式によって世界初がどれかということがややこしくなるのでWikipediaから少し引用すると、
発声映画の商業化への第1歩はアメリカ合衆国で1920年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。世界初の長編トーキーは、1927年10月公開のアメリカ映画『ジャズ・シンガー』(ワーナー・ブラザーズ製作・配給)であり、ヴァイタフォン方式だった。これは、前述のレコード盤に録音したものを使う方式で、その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)がトーキーの主流となった。翌1928年に、サウンドトラック方式を採用した『蒸気船ウィリー』が公開される。『蒸気船ウィリー』は短編ながら、初のサウンドトラック方式による映画であると共に、トーキーとして初めてのアニメーション映画でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%BC
そう、「ミッキーマウスの第一作目であり最初のトーキー映画でもある」と紹介されがちな「蒸気船ウィリー」は正確には、「試写を入れると三作目のミッキーマウスであり、サウンドトラック方式では初めてのトーキー映画」なのでありました。
*4
この上映は大成功し、ミッキーマウスのシリーズは幼い子供から著名な知識人までファンにしていったのです。
品行方正に矯正されてしまったミッキーマウス
トーキーという技術によってミッキーマウスは成功しましたが、しかしそのことによって、ミッキーマウスは矯正されてしまいました。
この成功は言うまでもなくいくつかの問題をもたらした。その一つは一九三一年二月二八日の『モーション・ピクチャーヘラルド』誌でテリー・ラムゼイによって指摘されたものだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4903063429/ミッキーマウスというウォルト・ディズニーの芸術的所産は、その驚くべき成功ゆえに、大々的に検閲官と衝突することになった。親たち(特に母親)は、悪魔のようなわんぱく小ネズミ、ミッキーの正体について検閲委員会や他の場所で力説した。今やわれわれの知るミッキーはアルコールも飲まず、煙草も吸わず、家畜をいじめることもない。ミッキーはお仕置きを食らったのだ。
これはありふれた話だ。もし誰もあなたのことを知らなければ、あなたはなんでもできるだろう。けれども誰もがあなたを知っていたら、あなたはみなが認める、ずいぶん限られたことしかできなくなってしまう。これは人間の映画スターにはこれまでもたびたび起きてきたことだが、今や鉛筆の跡ほどの厚さもなく、心のなかに存在するだけの白黒の小さなネズミさえそうしてしまったのだ。
この話はアニメや漫画が規制されてしまいがちな現代にも通じるところがあるでしょう。ミッキーマウスの昔からアニメは規制の対象であったのですね。
ミッキーマウスについてとやかく言われることがよくありますが、以上の歴史を踏まえて欲しいことがよくありましたので、記事に致しました。おそらく知らなかった人も多かったのではないでしょうか?*5
ではでは今回はこのへんで。
参考にした本:
- 作者: レナードマルティン,Leonard Maltin,権藤俊司,出口丈人,清水知子,須川亜紀子,土居伸彰
- 出版社/メーカー: 楽工社
- 発売日: 2010/05/01
- メディア: 単行本
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- 作者: ニール・ガブラー,中谷和男
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2007/07/27
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 46回
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http://12kai.com/gabler_introduction.html
*1:フィリックス・ザ・キャットのキャラクタービジネスはアメリカでは最初の「アニメキャラクターを売る商売」でした。
*2:酒々井テキトー訳。マックスとデイブ・フライシャーは先に挙げた「インク壺から」や、のちに「ベティ・ブープ」「ポパイ」を生み出します。オットー・メスマーはフィリックス・ザ・キャットを最初にデザインした人物です。
*3:実際、この引き抜きは行われ、オズワルドはディズニーの手から離れ、ずっとユニバーサルスタジオの所有物でしたが、2006年2月にディズニー社へ返還されました。
*4:この動画は豚の母親の乳首で音楽を奏でるところがカットされています。カットされていないのはこちら→ http://www.youtube.com/watch?v=8nfEIHcsR8c
*5:もちろん「そんなの知ってた」という方もいらっしゃるでしょう。