教えて8ミリ!

sabaku_m2008-01-18

前回の越川氏インタビューでは、映画への情熱と飢餓感を抱えた学生時代から、
当時感じていた原点を彷佛とさせた『闇打つ心臓』との再会などを伺うことができました。
今回は、その思いが原点となって企画された『砂の影』の現場のお話を伺いたいと思います。
まずは、使用した8ミリカメラ&フィルム、現像、編集についても具体的に説明していただきますので、
8ミリでの撮影と上映の予備知識としてお読みください!

―今回、撮影で使用したカメラは?。
カメラは、前半はBEAULIEUの6008S、後半はニコンのR10スーパーズームです。フィルムは、コダックの500Tと200Tを使用しましたが、ほぼ500Tでしたね。

―8ミリフィルムというのは何分くらい撮れるのでしょうか。
1本が50フィートなので、2分40秒くらい。18コマで撮ったりもするんですが、今回は24コマです。この長さなので、短いカットを撮っていく時にはいいんだけれど、長いカットを撮ろうとすると途中で終ってしまうんですね。今回は、全部で107本のフィルムを使いました。

―撮影した後の行程は?
今回はネガフィルムで撮影したので、それを現像に出してからネガテレシネをするんです。デジタルにするということですね。自主映画などでやっていた時は、普通はリバーサルフィルムを使うんです。いわゆるポジフィルムなので、1本しかない現像済みのフィルムを編集ではスプライサーで切って、テープで止めていくんです。
―今回はなぜネガフィルムを?
いくつか理由があるのですが、ネガフィルムのほうが感度があります。今回の脚本の性質上、室内撮影が多くなるので、感度が高いフィルムで撮影したんです。8ミリフィルムは小さくて劣化してしまうので、何度も何度も上映できない。なので、上映自体は、デジタルで上映します。お金があれば、35ミリフィルムにすることも可能なのですが。
―8ミリでの撮影ですと、音がシンクロでとれないというのはなぜなのでしょうか。
カメラを回している間、シャッター音がするので、それを録音してしまうとまずいんですね。8ミリカメラはフィルムが回る速度が速くなったり遅くなったり安定しない。小さくて簡単な構造だからなのかもしれないですが。録音機を同時に回しても、ズレが生じてしまうんです。8ミリカメラは、基本的にはシンクロに適応していないんです。

―越川さんの立場から見た現場の緊張感はどうでしたか?
現在となっては、8ミリというのは、未知の領域。それ対しての不安も含めて高揚感はありました。たむらさんがカメラを回して、平井さんが照明を当て、菊池さんが音を作っていったらどんなことになるだろうというのは、面白いと言う意味で予想がつかないことだったんですよ。甲斐田監督も、今までフィルムでは撮影していたけど、8ミリを使うのは初めてでしたし。でも、菊池さんは、それがどんなに難しいことかっていうのをわかっていたと思うんです。だからこそ心配もしていたし、工夫をしてくれた。撮影している間にそれぞれの立場で、8ミリへのアプローチが行われていったと思います。未知の領域に関しての不安と興奮が、いつもよりあったと思います。
―それを非常に強く具体的に感じられた場面は?
ユキエが泣き出す真島とのシーンですね。きちきちと割って撮影していくのではなくて、手持ちでフィルムがいけるところまで二人の芝居を追い掛ける。途中でフィルムが終ってしまうのでそこで芝居を止め、たむらさんがその場で次のポジションを判断をしていく…それはシンクロ的な撮り方だったかもしれません。俳優は、一回性の強い芝居をし、それをカメラは撮っているのに、現場の音はとれない。それをアフレコでやらなければならない。撮り方はシンクロだけど、音はアフレコ。さて、どうするか。そのハードルを越えようとするところに、結果的に独創が生まれたと思います。

―ハードルを越えようとする楽しさ、ですね。
8ミリだからそれがより顕在化したのかもしれないけれど、8ミリであるか35ミリであるかというサイズを超えて、 “映画とは何か”、“映画とはどういうことか”を問われ続けた現場であったと思います。映画とはどういうものかという根本的なことに、10日近い撮影期間中ずっとアプローチし続けられるというのは、映画を作る人間にとって幸福だと思うんです。ほかの現場では経験しないような真摯さだったと思うんですよ。楽しかったですね。コップを置く、写真に指を指す、というカットひとつでさえ、映画というものが何かを問われた。

―それが一層、真摯に問われたのはなぜだったのでしょうか。
監督の脚本や、たむらまさきさんが撮影だったこと、8ミリであるということ、現場を構成していたそのひとつひとつが真摯さを要請したんだと思います。たむらさんは、「僕は今回リュミエールをやりました」、という言い方をされますけど、映画の根本を、映画の始まりを考えましたということだと思うんです。そんなキャメラマンが回しているわけなので、監督から助監督からスタッフ全員がそれを問われるんです。どれかひとつが欠けていても違ったと思うし、全部の条件がそれに向かっていたということだと思います。『砂の影』を撮ること自体が、それに向かうべくして向かった。そうとしか言いようがない。フラフラになって、怒ったり泣いたりしながら、みんなが、撮影終了に向かって突き進んだんです。

―前回のインタビューで『闇打つ心臓』に再会して感じた“23年間何をしていたんだ”という思いがありましたが、『砂の影』の現場を終えて、どうですか?
『闇打つ心臓』かは分からないけれど、自分なりにその時の思いをひとつの形にはできたと思います。
―今後、8ミリを使用した撮影が続いていく可能性は?
8ミリはやりたいと思ってはいますが、今回のものは今回でしかあり得ない。35ミリでこういう問われ方がある作品を作るかもしれないし、デジタルでもやるかもしれない、それはわからないですけど、作品が完成して8ミリでまたやってみたいなとは余計に思います。


一回性の演技、シンクロでない音響、“映画は何か”問い続けた真摯な現場。緊張感の中で、創り出す、思考する、役者とスタッフたち。“映画の神様”という言葉がよく使われますが、『砂の影』の中に、でなく『砂の影』を包んでくれた映画の神様がいたのかもしれませんね。大きなスクリーンでの上映まで、あと2週間です。お楽しみに。