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東トルキスタンに平和と自由を・・・

2015-11-23 ナンをもらって考えたこと

ウイグル料理は羊の様々な部位をおいしく食べさせるものがあるんで、現地行った時は現地でなければ食べられないような料理を色々食べさせてもらいました。でも、やっぱり基本のジク・カワプとナンの組み合わせが最高だと思いました。現地ではギジデ・ナンが美味しかったです。

ちょっと前に、ウイグルの現地で買ってきた大きなヘメック・ナンを1枚もらって、今とっても嬉しい。写真はそのヘメック・ナンです。カワプはウイグルレストランに行けば食べられるけど、ナンがなかなか食べられずだったから、久々のナンに感動してます。カトリマも食べたことがあるけど、今まで一番美味しいと思ったのはシアダンがのってるトカチかなと。


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どこかで定期的にナン手に入りませんかね。


と日本人の僕が思うくらいなのだから、在外のウイグル人はどれだけナンが食べたいと思っているか、食パンやフランスパン、ベーグルで我慢せざるを得ないのは辛いだろうなと思う訳です。


それともう一点、ウイグル人の友人が親や友人を日本に呼んで、その人を空港に迎えにいくときに同行することがあるのですが、それは数年〜数十年振りの再会にも立ち会うということになります。

多分ウイグル人は日本人以上に情が深いので、特に女性の方はその場で大泣きするんですよね。

食や親類知人と会えない寂しさを我慢して日本に滞在されている方共通なのでしょうけど、その大変さをどれくらい自分は理解できているか、考えさせられます。

ウイグル人の友人からはたまに、自分たちウイグル人は日本人には分からないくらいに大変な経験をして、それに耐えながら暮らしているんだと言われることがあります。その度に、いやいや日本に暮らしている日本人だって、外国人には分からないくらいに社会から厳しい要求されることあるんだよと心の中で思ったりしていました。でも、旅行や留学のように一時的な滞在前提ではなく、そこで仕事をして生活を成り立たせるということは、そして親兄弟や友達と離れて異文化の中で暮らすことは、想像以上に大変な思いをしているのだと思います。


以上、在外のウイグル人について考えてみて、旧約聖書のルツ記を思い出しました。

モアブ人という異邦人でありながらイスラエル人として生きることを選び、そして彼女の曽孫がダビデ王になるというあらすじです。メッセージとしては、異邦人を大切にしなさいということになるかと思います。

日本人に対しては、在日の外国人には優しくしましょう、また他の国に対しては、そこにいる日本人に優しくしてくださいね、とお願いしたいです。

2015-11-12 日本のウイグル人支援運動の先駆者 白石先生

日本のウイグル人支援運動の先駆者 白石先生

11月10日の早朝、白石念舟先生がお亡くなりになりました。

知人からのメールで知り、愕然としました。数年前から何度か倒れられたことがあったものの、つい先週お会いした時にはとてもお元気にされていましたので、にわかには信じられませんでした。

気落ちしていらっしゃるだろうとは思いながらも、居ても立っても居られず、先生の奥様に電話をかけさせて頂きました。「佐藤さん… お父さん、今朝亡くなっちゃった…」と泣きながらの電話での第一声に、こちらも言葉をまともに継げませんでした。しかし「最期は苦しまずに、本当に安らかな顔だったので、それが良かったです。」と仰られ、それがせめてもの救いだったなあと思わされました。


11月13日には東トルキスタン共和国独立記念行事が開かれ、僕や他の日本人スタッフもそこに合流し活動を再スタートします、と先生に報告した時には喜んで下さいました。生憎と私は自分で主催するお茶会があるから行けないけれども頑張ってください、と仰って頂きました。先生と奥さんが主催する予定のお茶会は、奥さんが悲しみの中で今準備をされています。今日荷物を搬送した、とそれを手伝っている方が言っていました。


今年の5月には、先生のライフワークの一つだった、幕末の志士の書を集め解説した本「尊皇の系譜 書による心の世界」の出版記念パーティーに参加させて頂きました。先生は記念講演で、いくつかの書とそれを記した人物の生き様を紹介されて、これからまだ他のテーマで書きたい本がいくつかあるんだ、と仰っていました。先生が出された始めての本格的な書籍ですし、これから何冊か出されるだろうそのスタートの記念パーティーに参加させて頂けて良かった、そういえばまだ先生と2人で撮った写真が無かったなと思い、始めて先生と一緒の写真をお願いしました。


そんなことで、先生がまだまだこれから活躍されるであろうこと、そして日本でのウイグル人の支援運動にも色々と協力頂こうと思っていたところでしたので、とても残念でなりません。


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先生は1994年から日本シルクロード倶楽部というウイグル人と日本人の文化交流会を設立され、多くのウイグル人留学生のお世話をされました。お世話になったウイグル人は日本の大学を卒業後、世界中で活躍されています。

多くの方にそれぞれ、先生からお世話になったこと、指導して頂いたことがあるでしょうけれども、それはそれぞれの方にお話し頂くことにして、ここでは僕が個人的に先生とお付き合いさせて頂いたことを書きたいと思います。


僕が最初に白石先生にお会いしたのは、日本大学文理学部での「シルクロードの風・水・人〜日本に至る遥かな道〜」でした。その前から日本シルクロード倶楽部のことは知っていて、白石先生とお会いしたいなあとは思っていたのですが、ホームページには入会案内が無く入会できそうになかったので、案内が掲示されていたこの行事に参加させて頂きました。この時は僕はただの参加者でしたので、白石先生を見ることができた、というのが正確ですね。ウイグルの音楽と踊りが紹介され、さあ日本人のみなさんも一緒に踊りましょうと促され、楽しそうに踊りながら出て行った白石先生が印象的でした。


そして2007年の世界ウイグル会議ラビア総裁の初来日を期に、日本シルクロード倶楽部は閉鎖され、先生の日本でのウイグル民族運動がスタートとなりました。ラビア総裁から世界ウイグル会議が日本でも活動したいから、との相談を受け、先生が推薦したのがイリハムさんです。最近はあまり会うことも無かったようですが、イリハムさんのことは留学生の頃から世話をしてきたし今でも本当に可愛いんだ、と最期まで仰っていました。


僕が先生とお付き合いさせて頂くようになったのは2008年からです。聖火リレー東トルキスタン国旗を持って行き、そしてその後どのように日本で活動を展開していこうかという時に、僕も参加させて頂きました。2008年の春から一気に、デモ、集会チベットモンゴルウイグル三民族連帯の活動、シンポジウムと続き、フリー・チベットのブームもあって多くの方がウイグル支援に集まって下さり、そして世間一般にも段々とウイグルの人権・民族問題が知られるようになっていきました。

ネットなどでの外部一般の評判を気にしながら慎重に言動を選んでいた僕とは対照的に、白石先生は確信のようなものを持って泰然とした態度でいらっしゃいました。人から受ける誤解を恐れず、言い訳もせず、いずれ正しく評価してもらえることだから良いよと。そして、日本人がウイグル人を支援するのに、思想や信条なんかは関係ない、右も左も関係ない、みんな一心に前を向いてやれば良いんだ、ともよく仰っていました。

先生の確信のもとは、よくお話に出されていた西郷さんと通ずるものからであったと思います。見返りを求めず、ウイグル人のために身も心も捧げ尽くされた、まさに仁愛の人でした。

2009年春には、「あとは若い人に託します」と日本ウイグル協会から離れられました。その後日本シルクロード科学倶楽部の顧問や、私塾りんご塾を開くなどされておられましたが、ウイグル民族支援運動については「あとは若い人に託します」の言葉どおり、第一線から退かれた後は、活動への口出しはされず、暖かく見守って下さいました。


先生から頂いた言葉はとても多く、まだ自分の中で整理できておらず、どうやって書き表せば良いのかわからないのですが、あげてみたいと思います。

ウイグル人に対して、ウイグル人は先ず第一に資金力をつけなければならない、若い人にはウイグルの文化を日本人に魅力的に伝えるようなことをしてもらいたい。自分の財産は今はほとんど無くなってしまったけれど、もしまたお金ができたら若いウイグル人投資してお店をやってもらおうか、と仰っていました。

家族を中国政府に人質に取られていることもよく承知されていましたので、ウイグル人を積極的に政治的な活動に引き込むようなことはほとんど仰っていませんでした。

そしてウイグル人支援運動をする日本人に対しては、「いま皆さんがしている活動は、ウイグル日本の歴史に残ることなんですよ。」です。それだけ重大なことをしているのだから、もっと自信をもってやりなさい、諦めずに続けなさい、ということです。


僕は大学を卒業してから、自分の先生と呼べるような方とお会いできるとは思っておりませんでした。僕の一方的な思いかもしれませんが、白石先生はやはり僕の恩師だったと思います。とは言っても、先生は僕との付き合いで、師弟のような上下関係の態度は示されませんでした。活動を直接共にすることが無くなってからも、僕はよく先生宅におじゃまして色々な相談をさせて頂きました。先生はアドバイスをしては下さるのですが、大体は「それで佐藤さんはどうされますか?」とこちらの決断を促し、それを黙って待っていて下さいました。「若い人に託す」の言葉のとおり最期まで、暖かく見守る保護者、良き相談役でいようとしてくださいました。

僕からすると、先生はやり残したことがたくさんあるだろうし残念だったろうなという気持ち、頼っていた先生が居なくなってしまった自分の側での喪失感ということで、とても悲しく苦しいところに留まっています。しかし、亡くなった先生の少し微笑んでいる平和そうなあのお顔は、自分のやりたいことはやり尽くしましたよ、他にやり残したことはあるけれどもそれは全てあなた方若い人に託しましたよ、と言っているように思います。


先生今まで本当にお疲れ様でした。どうか安らかにお休みください。残されたご家族にも慰めがありますように。

先生が始められ、託して下さったことを、自信をもって、諦めずに続けていきます。


2015-11-05 2015年東トルキスタン共和国独立記念行事のお知らせ

2015年東トルキスタン共和国独立記念行事のお知らせ

しばらくぶりのブログ更新となりました。

休憩期間が長かったのですが、僕もウイグル問題についての活動を再開できるようになりましたので、このブログも有効に活用していきたいと思います。


今年の東トルキスタン共和国独立記念行事は、世界ウイグル会議日本代表部と、独立記念行事実行委員会が主催で行います。僕も実行委員の一人として、記念行事に向けて準備をしております。

ご参加頂けますよう、よろしくお願い致します。


以下告知内容


東トルキスタン共和国独立記念行事


1933年11月12日と1944年の11月12日に、東トルキスタン共和国は独立宣言をしました。この二つの東トルキスタン共和国はどちらも短命で終わりましたが、中国の植民地支配下にあるウイグル人にとっては、今でも民族の忘れ難い重要な建国記念日として記憶され続けています。

この日を記念し、世界ウイグル会議日本代表部主催の記念行事を行います。

皆様のご参加とご協力、よろしくお願い致します。


【日時】 11月13日(金) 開場18:00 開会18:30

【会場】 品川区五反田文化センター 第1集会

     (東京都品川区西五反田6-5-1) ※会場に駐車場は御座いません

【主催】 世界ウイグル会議日本代表部・東トルキスタン共和国独立記念行事実行委員会

     連絡TEL:090-2329-2352

【共催】 世界ウイグル会議を応援する日本人の会


【内容】

 18:30〜19:00 独立記念行事

 19:00〜19:30 世界ウイグル会議代表団来日活動報告 

 19:30〜21:00 記念講演(質疑応答を含む) 


【基調講演】 西原誠司氏鹿児島国際大学 教授) 

 

 東トルキスタン独立・民族自決権獲得運動と中国新シルクロード構想


【参加費】 無料  *事前申込みは不要です。


【西原誠司氏】 

経済学博士。グローバル化する経済と民族国家を越える共同体をテーマとした経済学理論経済学を専門とする。近年ウイグル問題についての論文を多数発表している。


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大使館前抗議】

11月14日(土)に中国大使館前の抗議行動を行います。

13時に麻布税務署前に集合し、簡単なスピーチなどを行い、5人ずつ大使館前抗議になります。

ウイグル人亡命者追悼】

11月15日(日)に多磨霊園に埋葬されているウイグル人亡命者の追悼をします。

13時に多磨霊園管理事務所側の入り口に集合します。

2013-07-03

鈴木さん

これまで一緒にウイグル支援をして頂いた、マレーシア在住の鈴木さんが亡くなりました。ムスリマとしてマレーシアの地に埋葬されたということなので、天国に入る日までそこで眠っています。彼女が天国に行けるよう、また遺された方々への慰めがあるようお祈り致します。

睡眠中の突然死であり、その連絡があったのは日曜の深夜、突然の話でにわかには信じ難く、日本人スタッフの皆も驚き、非常に悲しい気持ちでいます。まだ若い方でしたし、近いうちにまた会いましょうと言っていましたので、亡くなった事実をまだ受け入れることができていないような状況です。

昨年の世界ウイグル会議代表大会中に、日本に帰国中ということもあり、その英語力を駆使してウイグル人代表者とのコミュニケーションを取って頂きました。彼女が居なければ大会の運営はもっと大変なものになったと思います。膨大な資料の翻訳もして下さいました。


彼女がウイグル支援を始めたのは、僕と同じく2005年で、その時には既にマレーシアに住んでいました。マレーシアから2ちゃんねるを見て、東トルキスタンで起きている人権・民族問題に気付き、その弾圧の実態を広めるためのウェブサイトを一緒に運営してきました。

http://saveeastturk.org/

彼女はマレーシアサティ(串焼き)を焼いているということで、ハンドルネームはSATAYさんでした。

僕が日本語で書いた文章の大部分を、彼女が英語に翻訳してくれました。また彼女の旦那さんが一部をマレーシア語に翻訳してくださいました。

マレーシアでは中国批判が非常にやり辛いようですが、それでもなんとかして苦しんでいるムスリム同胞がいると伝えたくて、いろいろな方法で周知活動をしていたようです。

日本ウイグル協会が設立し、そして2009年の東トルキスタン共和国独立記念行事のときに、始めて彼女と顔を会わせることができました。この年から彼女は日本ウイグル協会の活動、特にその英語力を活かしての翻訳作業のお手伝いをしてくださいました。いつも急な依頼が多かったので、結構な無理をさせてしまったと反省しています。

日本ウイグル協会のスタッフの全員は、無償奉仕で熱心にボランティア活動をして下さいますが、彼女もそうでした。東トルキスタンの現地で起きていることに心を痛め、原文を読んで泣きながら文章を翻訳していた、本当に心の優しい方でした。

マレーシアに帰る時に、次に日本に来るときは旦那さんと一緒に来て下さい、と言ってお別れしました。彼女もマレーシアにもみんな来て下さいと言っていました。日本からのお土産として渡したのは夫婦箸で、彼女も旦那さんもとても喜んで下さいました。

子供が好きな方でしたので、近いうちに子供も授かれば良いなあと思っていましたが、本当に残念です。


彼女は純粋に、熱心にウイグルの解放を願って活動を続けてこられました。

僕個人が活動を続ける理由の一つに、鈴木さんの夢であった、ウイグルの解放を達成しなければならない、というものが加わったと思います。

2011-09-05 Abducted Uyghur children forced into theft

Abducted Uyghur children forced into theft

original text : ウイグルから誘拐されスリをさせられる子供達 http://d.hatena.ne.jp/sabit/20110719 (Japanese)

*元記事を翻訳して頂いたので掲載させて頂きます。

 

A video that shows a Uyghur child who committed theft beaten by adults in China is drawing attention.

It is shocking to see a child bashed by a number of adults.

 

D

another site : http://www.liveleak.com/view?i=1a7_1311109738

 

It is difficult to determine that the child was beaten for theft as the poster only states 'maltreated child', yet from the picture in the video, it is assumable that the child did pickpocket.

 

The Uyghur children are abducted and sold in the cities in China to be trained as thieves by theft rings.

Xinjiang regional Government welfare agency announces that about 4000 Uyghur children are forced to thief in the cities in China but it is estimated that there are larger number of victims.

 

A lot of children cannot locate their homes as they were abducted at very young age and so even if the police keep them under the custody, they cannot send the children back home.

The police also hesitate to arrest Uyghur thieves as it can be led to the 'ethnic issue'.

From those matters, the police have no choice but to turn over the children to the head of the theft ring claiming to be the guardian of the children.

 

As the police are not able to handle the problem, private citizens are forming anti-theft bodies to punish those children committed theft. They beat children relentlessly and some children get killed by the brute force.

It is assumed that the video above is showing the citizens giving the Uyghur child who committed theft the crushing blow.

The location is unknown yet it is clear that it happened in China, and the child being abused does not look like Han, but Uyghur and that is how the assumption above is derived.

About the reality of Uyghur children abducted and forced to be thieves, Mr. Muzappar Qurban contributed an article on Phoenix weekly in 2007.

 

Original article: http://phtv.ifeng.com/hotspot/200708/0817_42_193032.shtml

First appearance: Phoenix Weekly Issue 17, 2007

 

Assessment of Uyghur Street Children in Inland China

(English version)

 

中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査(1)

(Japanese version)

 

中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査(2)

(Japanese version)

 

The fact that there are a number of Uyghur committing crimes leads to Han's prejudice against Uyghurs.

 

Han's view of Uyghur, Tibet and South Mongolia - Different view on Uyghurs

http://bit.ly/p4QsJohttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0717&f=column_0717_004.shtml

 

The author noticed that a lot of Hans have hard feelings against Dalai Lama but not for Tibetans and Tibet itself is a Mecca for sightseeing. Hans think South Mongolians are suffering from poverty yet they do not have much bad feelings against them. On the other hand, they have a huge prejudice against Uyghurs and Xinjiang Uyghur Autonomous Region.

 

As above, Han's view on Uyghurs is worsened.

 

The grown up Hans abusing a Uyghur child in the video above is considered to be caused by Han's prejudice and contempt for ethnic minorities that was intensified by mass psychology.

 

Tightening the regulations by the police, recruiting Uyghur policemen to deal with Uyghur children, forming an organization to identify the place where the children were abducted to return them home, and what other countermeasures can be done?

 

The police seem to be operating the regulatory on the issue intensively yet...

 

http://news.livedoor.com/article/detail/5689405/

 

【Xinhuanet】On 4th, a spokesman from Xinjiang Uyghur Autonomous Regional Department of Public Security said that the low enforcement on kidnapping groups operated from 26 April resulted in detecting 66 groups and detained 332 suspects and rescued 138 minorities.

 

It seems to be a long way to uproot the matter.

 

From those facts, I think we also need support from the conscientious Hans living in Cities in China, while the government adopts the countermeasures.

Unless the people who directly deal with the Uyghur thieves take it as social issue, not the issue to be dealt with sanctions, we cannot save those children in the miserable situation.

 

Assessment of Uyghur Street Children in Inland China

As it is written in the article above, there are people like Jia Quan, who organized Anyang anti-theft group and sympathies the Uyghur children.

There are Hans living in Xinjiang Uyghur Autonomous Region who try to spread the miserable life of the children through internet. They are appealing 'Please don't beat the children harshly'.

 

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