どうぞ、ご存分に


タンポポの揺れる北国の夏。
絶縁した祖父の墓前に気がつく。

この墓石を蹴飛ばして、フスがされたように、火を放つはずだったのに。
私を可愛がってくれた人を、断罪の崖に突き落とすはずだったのに。


父や母の物語を吸って、幼心に抱いた復讐。
だけど、どれも父や母が望んだわけではないことだから。

ぼんやりと焦点を持たない復讐心に、
輪郭と消失点を与えるのに、私は20年以上を費やしたことになる。

たくさんの人に首をかしげられながら。
私自身も首をかしげながら、
この気持ち悪さを、どうとも思わないで生きていなければならなかった。

今や苦悩は去って、
修養の負荷も、昇華の後先ですらも、
もはや惰性となり、なんだか志のようなものに転化してしまっていても。


なんだか結局、何か遺ってしまったものが、病のようにまとわりついている。
研いだ刀の重みが、鎖骨に食い込んでいる。

刀を研いで、敵を蹴散らし、
真実に近づくつもりだったのが、
心の安寧から遠ざかるよう。


私は敵を探している。
戦争を失ったアフリカの少年兵のように。

画用紙を、惨憺たる赤で塗りつぶしてみても、何でもない。



そして、どれも結局、独りよがりの結末なのだと、自分を責める。
私のせい私のせい私のせい。
これからは君次第君次第君次第。



人生のどこに戻っても、
同じ道を歩むことになるだろう。

どうであったのであればよかったのかも、わからない。


時も私も、私を突き放したきり。
私は私を中心に据えていても、
私を大切にする方法がわからない。


孤独だとか、辛いとか、無為だとか、そういうことじゃあないんだ。
こんな難解な単語が必要な話しじゃあないんだ。


私は物語上の人物といつも会話してきた。
本当にいる復讐の火の球と話してみたい。



ああ、こんな無駄なテキストの中身よりも、
人には、疲れるということがある、ということ方に、遠大な謎がある気がする。


寝ればいい、食べればいい、抱けばいい


私は満たされうる。

私は優しい、虚ろな器。


満たされることを知っても、私は、

私の底へ、私を突き落とそうと、
いつも背中を狙っている。



それがどんなに嫌でも、
音速の壁を破る前に、戻りたいとは思えない。



やはり、許せないんだ、私には。
その気持ちにしか突き当たれない。

だから平和ボケな人たちと会話が続かない。
闘いの終え方は、私はきっと自分で知るしかない。

それまで、殲滅を望み、殲滅を惜しむ、
哀しい夢のなかを走っている。



などということは、実はどうでもいい。

私の優しい人には、今度、私の志のことを話そう。

政治的な会談

今日はある種の政治的な会談をしてきた。


僕が余暇を削って本気でやっていることを、初対面の、修羅場をくぐってきた目上の大人に、プレゼンしてきた。それも、僕のやりたいことは、うまくいくかわからないが、あなたのところでやらせてくれ、みたいな。おぼつかない話に乗ってくれと説得してきた。


サラリーマンだって人並みに仕事をしていれば場数は踏むのだが、それは組織の一部として、組織の責任の下で組織の道具をつかって行う小作農の勝負にすぎない。が今日の僕のは、個人事業主としての僕の勝負であった。


こうした場面では、ごまかしも嘘もきかないし、言葉も一発勝負になる。
先も読めないし、くよくよと先読みしているようでは、大きな仕事はできない。


こうした場面で、堂々と存念と心中できるようでなければ、大きくもなっていけない。

しかし、正直と誠実と、勉強の成果で、やりたいことを存分に語るのは気持ちがいい。生きてるっていう気がする。


次につながったし、彼の目上にも紹介したいとのことだったから、及第だったと思う。


疲労感はあるが、爽快である。スポーツの後のような気分である。


すっきりとしてまた明日も小作農できる。

ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。

カールじいさんの空飛ぶ家を見てきた。


追憶のシーンと、中ほどのあのページに、やられました。
3D眼鏡の下に普通の眼鏡かけて、その下で泣きました。
涙をがまんする気にもなれませんでした。

夫婦愛と老人は僕のもろいポイントでございます。

こまごまとした演出もユーモアも実験も楽しみつつ、
勘所での画力勝負からも逃げず、
実に充実して豊かだった。

この半生best3に入ります。





僕は昔から、本気の若者のエネルギーより、
本気のじいさんの鬼気に揺さぶられる。

リスクの本質を知りぬいて、無駄死には決してせず、
それでいて、堂々と真っ向から刺し違えるつもりの。


彼から迷いを全く消し去る亡き妻への愛を、
妄執だ後ろ向きだと難じたところで、
本当に意味がない。

二人の思い出から、新しい明日へと一歩踏み出すことを、
天国の彼女は望んでいるだろうし、

世界にとって余生はまだまだ豊かであるのだから、
それが当然たどるハッピーエンドなのだとしても。


円空の、亡き母を慕う1000万本の仏像しかり。

東山魁夷の、幼き日に失った弟の幻が、緑の森の水辺に、ついに浮かび出る白い馬しかり。

尾崎秀実の、愛情は降る星のごとくと獄中に綴った、小さい娘への愛情しかり。

トゥーランドット姫に殺されても、愛する王子の名を秘する若い召使の娘しかり。


彼が妻に注いだ、執愛の集中を、人間にとって他に例えようもない、至上の何かであるように思えてくる。



それにつけても、誰かが誰かを思い詰める姿の、
何とせつないことか。

せつない姿を見つけるにつけ、
振り返り、自らもこの世に生きてみて、

確かに、その他に何をすることがあろうかと、
実にそう思えてくることか。

シリアスゲーム


シリアスゲーム(公共政策、ヘルスケア、教育、経営等の多様な社会問題に対応するゲームまたはゲーム技術とその活用)ってのがあるんですね。



ソマリア沖でタンカー捕獲するゲームw
http://www.wired.com/special_multimedia/2009/cutthroatCapitalismTheGame

海賊側に立つのでいいのかしら。

短言集 10


度胸とは、無敵の気分のことである。

無敵であればよいので、NO.1である必要はなく、
気分があればよいので、実際にそうである必要すらない。

しかしそれでも、度胸は多くのことを可能にする。

河童のクゥと夏休み

河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

重いアニメである。

河童を連れて逃げる犬、河童を逃がすため自ら囮になるおやじ、沼を守る父ちゃん、

大事なもののために体を張るものたちが出てくる。
いつの時代も、誰にとっても、これだけが一生で一番重要なことだと僕は思うので、大好きである。

他方で、群がっては人を孤立させ、いじめたり、狭い了見で早合点に排斥したりする、僕の大嫌いな日本人がしっかり描かれている。すっきりする。


この日本に、違和感を感じて生きている人間に、勇気を与えるアニメだなと思うのは僕だけだろうか。

主人公は河童だけではない。

孤独な少女は、親の離婚にいじめ。居場所がないと思っていたのは、思い込みだと気がつく。


疲労と絶望の末、自殺しようとする河童が高い空を見上げると、龍が力強く泳いでいるのを見る。死してなお息子を励ます父の胸中を思う。



重い筋書きを受け止める画力も十分。