京都府宮津市の友人がやっている藤織保存会は30周年を記念して行われる作品展が様々な場所でおこなわれます。

藤織りの事は、言葉で説明するよりも、拙著のリンクを張ります、丹後地方の別の棚田も写しています。歴史的背景や藤織り継承者であった光野ためさんと、吉岡つやさんの生活が記録されております。原始布・古代布とも呼ばれる日本の文化をご覧頂き、藤織りという地域文化がなくなろうとしていたものが、今30周年という節目をむかえ広がりをみせている事はとてもうれしく、大凡10年の写真の記録が出来た事も大変感謝しています。


http://www.adjustbook.com/lib/?us=4667&bk=6910





前回のblogの続きになりますが、そもそも藤織とは、古代布・原始布ともよばれている布でしな布、楮布 葛布、麻布 苧布 幾つかの樹皮類・草皮類から繊維を作るモノをいい。藤の皮をむいて作るので、藤布とよばれています。以前私が出会った京都府宮津市上世屋という集落の中でも光野ためさんという方と吉岡つやさんの2人だけが細々と藤織を継承されていました。昭和30年代にはたくさん周辺に集落がありましたが、昭和38年の豪雪や丹後循環道路ができて、いっきに廃村という形で、集落がなくなり、文化も存亡の危機的状態になっておりました。上世屋から木子という更に、丹後半島中央部の集落に梅木好彦さんが当時住んでおられ、藤織を教わりたいということで、光野ためさんを紹介し地元に少しづつ広がり始めたきっかけでした。今は京丹後市弥栄町味土野という、明智光秀の三女玉子である細川ガラシャが幽閉された場所のそばに今は住んでいるようです。

http://kurashi-no-gara.com/blog/?paged=4

文化継承の中心にいたのが前回の写真集の井之本泰さんです。藤織の記録映画を撮り受賞したり、丹後郷土資料館で、常設展示したりで彼の功績は眼を見張ります。藤布のことを、丹後の古老は『ノノ』といいます。布・織物は英語でテキストといいます。テキストは縦糸と緯糸をつむぐということで、そこに言葉も布も魅力があるのではないのでしょうか。原始布や繊維に興味がある方は、是非藤織り作品展をご覧になって頂きたいと思います。