2007年の秀逸な記事

素敵な記事はローカルに保存しているのですが、1年分まとめてみることにしました。
2007年1月から11月末までということで。

Second Lifeのビジネスモデル----CPUの作り出す「もう一つの地球」はハッピーか。
http://japan.cnet.com/blog/it_bigbang/2007/01/27/second_lifecpu_e63d/

バーチャル空間の経済とリアルの経済が融合するというのは、極端に言えばこういうことなのであり、広告モデルなどという牧歌的な、草食動物的な旧ネットモデルなど、根本から崩れる「可能性もある」ビジネスモデルだということである。

勇気と恐怖と全体と
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/03/post_469.html

ギリシア全土の存亡のかかったテルモピュライの戦い。レオニダス王以下スパルタ重装歩兵300人は、総数200万とも伝えられるペルシア帝国軍の侵攻を7 日間にわたって阻止した後、全滅した。
(中略)
「常に頭にとり付いて離れぬ問いがある。それは恐怖の対語とは何か、ということだ。」
決戦直前、スパルタのベテラン兵士ディエネケスは、こんなことを語り始める。

昔は子供を持つ事には経済的利益があった
http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0704.html#28t1

むかし、健康保険も生命保険も年金も出産手当てもなんにもなかった時代(それはわずか半世紀ほど前のはなしに過ぎないのだけど)、これらの人生に関わる大きなお金の融通は全て親戚の互助によっていた。親戚の付き合いと言うのは我々にとっての年金と健康保険組合と生保会社を合わせたような存在であった。
もしこの互助組合に次の世代の子供達が育たなかったらどうなるか。それは要するに我々が「少子化のせいで年金や健康保険が破たんするかも」と焦っているのと同じ事が、親戚という遥かに小さくて見えやすい範囲で起こるという事である。

老人の街に最も必要なのものとは…
http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20070327

孫と分かれて暮らすお年寄りにとって孫と会うのは何よりも楽しみなことだ。しかし、孫にとってみれば、祖父母と会うのはそれほど楽しみなことではない場合が多く、せっかく息子や娘が訪ねてきても、孫は付いてこないと言う残念な状況が生じる。ところが、近くにディズニーランドがあれば、孫はディズニーランドに行きたいがために、頻繁に祖父母の家を訪ねてくれる。そして、うまくいけば彼らの家に宿泊して何日か滞在してくれるだろう。こうしてセレブレーションの立地は、孫と会う機会の提供という、他の街には無いすばらしいプレゼントを提供することができるのだ。

【ゲンダイ】結婚できない男たちの勘違い人生・・・ラブホで「脱がせて」「洗って」のマグロ男★3
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180529492/

最近の恋愛資本主義って、実は新しいものじゃないと思う。
要するにクリスマスだの姫はじめだのバレンタインだのでイベントごとにプレゼントを持ってきて、
しかも定期的に通ってきて女の面倒を見てやらなければならないシステムを俺は他に知っている。
遊郭での、遊女と客の関係がそれだ。

つまり、恋愛に金と作法を持ち込んだ時点でそれはもう恋愛じゃなくて、
江戸時代の吉原とか遊郭の疑似恋愛遊びになってしまっている。
だとしたら、結婚は単なる身請けでしかないだろう。

114920
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20070605/1181016989

そうしていつか思い知るんだよ。あらゆる妄想を駆使しても、たとえどれだけ現実を否定しても、すべてを脳内で完結させようとしても、相手のためになにかをしてあげることはできないんだって。
(中略)
でも、でもさ。みさき先輩は変わらない。俺の力が、俺の存在が、みさき先輩に影響を及ぼす日は、永久に来ない。だって、みさき先輩はいないから。立派になった自分だけを抱えて俺はどこに行けばいい。俺は、物語に参加できないんだ。

我々団公式声明(後に外山恒一の支持により削除)
http://www.warewaredan.com/contents/warewaredan_statement_200706.html

受かるつもりなんか有るのなら、あんな政見放送を流すわけ無いだろう
受かるつもりが有るのならば、街宣車アナーキーインザUKをかけながら市民に向かって
「他の候補はロクデナシだ、外山のポスターを読んでくれ」なんて言うわけねえだろ

外山の行動は
国家の体面を潰すための

国民の自我を目覚めさせるための

てめえの頭で考えさせるための啓蒙なんだよ!!

外山恒一はなあ、お笑い芸人じゃないんだよ

外山恒一はなあ、革命家なんだよ!!

「オンナの話はオチがない」…なぜ男性は“しゃべらない女性”が好きなのか?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/998503.html

230. Posted by   2007年07月03日 04:24
彼女とドライブする時おしゃべりばっかりでうるさいなと思った
ある時彼女に運転させてみたんだ
彼女は久しぶりの運転に緊張してるのか無口だし人形のようだった

おしゃべりはうるさいって思うときもあるけど
女の子はしゃべったり感情を表に出してる方がかわいいと気づいた
それからは彼女のおしゃべりもBGMのようにイライラせずに聞けている

インターネットから自由が消える……法学者 白田秀彰氏インタビュー
http://www.inside-games.jp/news/220/22002p3.html

要点は、貨幣は情報量が少なくて、評判は情報量が多いというところです。それまでは情報量の多い評判という価値に基づいてゲーム内経済が回っていたのに対して、これからは貨幣というきわめて単純な価値によってゲーム内経済が回ることになった。そうした時に、おそらく人々の行動が変化するはずなんです。
別の言い方をすると、評判は盗めないけど、お金は盗めるんですよ。盗んだ評判っていうのは価値を失うんですけど、盗んだお金は使えるんですね。だから評判によってゲーム内経済が運用されていると、おそらく犯罪と呼ばれているようなもののかなりが抑制されるはず。ところがこれが完全に通貨になっちゃうと、どんな不正手段でもポイントさえ集めればいいっていうことになるし、さらに、それが現実通貨との交換可能性が出てくると、よりその動機が強くなっていく。

ファシズムとは何か(7)−「ファシストの理想とする社会」
http://www.warewaredan.com/blog/2005/10/7.html

自由は、自由主義者たるファシスト党員にのみ保障されればよいのであって、万人が平等に自由を享受すべきとの考えは民主主義であり、認められない。
(中略)
ファシスト政権は、絶対に腐敗しない。腐敗の温床となる利己主義は民主主義の構成要素であり、それはプライドを原理としたファシズム個人主義とは似て非なるものである。
また、ファシスト党とは戦士の共同体であり、その腐敗は即「敗戦」を招く。戦争に負けたら、ファシスト政権は存続しえないのだから、ファシスト政権は結局、存続するか、腐敗するかのいずれかでしかあり得ない。つまりファシスト政権が存続しているということは、それが腐敗していないということと同義なのである。

資本とネーションと、時々、国家 2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1182943592/

■なぜワイドショーに弁護士が呼ばれるようになったのか

不安の解消とは、自分たちが信じている世界観内に物事が収まったことによる。世界はまだ「わた したちの世界」だという安心である。
以前、ワイドショーにはコメンテーターとして精神分析、心理学者などが呼ばれた。彼らの仕事は、不可 解な事件の原因を人々の信じる世界価値の中に理由づけることである。彼らは、人々には一見、理解不能な事件も納得できるように説明するのだ。それによって人々の不安は解消された。
しかし、最近は、いくら理由づけようと、不可解な事件はあとを立たず、人々は欲求不満に陥っている。 このための最近のワイドショーでは弁護士が呼ばれることが、多くように思う。もはや不可解な事件の 理解することはあきらめ、弁護士はどのような理由であれ、この事件がどのように処理されるのかを語る。それが良いか悪かではなく、法律は一つの明確な答えを導き出す。不可解さが理解できなくても、その不可解さは終わるのである。もはや人々はそれで安心するしかない。
安心はこの世界への信頼によってではなく、システムによって保証されている。とにかく無法地帯ではないのだ。理解できないことが多くおこっても、それはシステムによって適切に処理されるという安心である。それが、アーキテクチャー化である。

ネットワーク依存性と老化の関係
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/08/post_528.html

いずれにしても、その患者さんの「生」というものは、骨折を生じた時点で事実上終わってしまうことがあって、最初の時点で「死に筋」を視覚化しておかないと、あとから大変。
ずっと悪い経過の人、自宅で何年も寝たきりで、家族の方ががんばって介護しているような人というのは、「生き筋」に依存することで生きている。
入院期間が長引いて、それが2 週間を越えた頃には、自宅の空気が変わる。それは汗がしみたシーツのにおいであったり、あるいは糞尿がついたオムツのにおいであったり。患者さんが病院に入院してしばらくして、家族の方が「空気の変化」に気がついてしまうと、その人を再び引き取る気力が消失する。

息子の成長メモ
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20071005/p1

このドラマを見ながら「おかあさん怖いよ」と言う。「自分が大人になって子どもを持つようになったら、と思うと怖い。普通の子は生まれないんじゃないかと思う」と言う。「それは誰にもわからない。わたしだってアンタ産むとき怖かった」と答える。「ただどんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していくことだと思うよ」と答える。
(中略)
「アンタ小さいとき『ちぃちゃんは変じゃない』って泣いたんだよ」と言うと、表情ひとつ変えず「変だよ」とさらっと言う。「ちぃちゃんは変だけど、おかあさんも相当変だ」と付け加えられる。

#はてなブックマークのコメントも併せて読むこと

そもそもそれ解決法じゃなくねーか、という話
http://anond.hatelabo.jp/20071118133959

俺はそもそも本当に女性側が解決策なんて求めてないというのに懐疑的だった。
解決策を求めていないのではなくたいていの場合こういったように、「まともな解決策が提示される事自体が超まれ」なのではないかと。
別に女性は解決策は求めていない訳ではない。例えば上で言うなら「なら俺が育児休暇を取って上の子をみよう」などと言ったとして「解決策なんて望んでないのよ!」と言う反応を示すだろうか?
そしておそらく、女性は(女性だけじゃなく男性もそうかもしれないが)それに薄々「気がついている」。他人に相談したってまともな解決策は来ないであろうこと、結局どうしようもない、やるしかないであろうことに薄々気がついている。故に、「やるしかないのなら、せめてその嫌さを軽減するため」共感を求めるようになる。

「統一病」につける藥
http://blogs.yahoo.co.jp/nozakitakehide/9047759.html

正しい表記であるからには、正字正かなが教育の場で行はれるべきである。もちろん、全ての日本人が正確に正字正かなを使ひこなせない事は、否定しない。けれども、それが何の問題なのか。正字正かな派の主張は、誤つてゐても通ずるならばそれはそれで良しとすべし、と云ふものである。かなづかひが間違つてゐても、それは訂正すべきだが、だからと言つて別に兒童・生徒を怒つて正確さを強要しないやうにすべきである。正しく書く能力を持たない生徒がゐれば、略式でも或程度書けてゐればそれで良しとする。
國語表記の教育は、正式の書き方を教へる、そして後に略式の書き方を教へる、と云ふものであるべきだ。出來る生徒はより高度に、出來なければ能力に應じてそれなりに――それは教育の正道だらう。ところが今の教育はをかしい。最初に目標を低く設定し、全ての生徒に一人の例外もなくその目標を完璧に達成させようとする。