この喪失感はなんだろう〜古今亭志ん五師匠の訃報に思う

古今亭志ん五師匠の訃報に接してから、とてつもない喪失感に苛まれ続けている。

落語を聴くようになって2年半になるが、定席のトリを観る機会もなく、末廣亭で10回弱軽い噺を聴いたのが数少ない師匠との接点。聴いた噺は「無精床」「新聞記事」「鰻屋」「幇間腹」「たらちね」あたり。

東京の落語家は数百人いるので、毎年何人かの落語家の訃報を知るのは当然のこと。実際、この2年半でも数人の落語家が亡くなっている。その中でのこの感情に自分でも戸惑っている。

「もっと聴きにいく機会はいくらでもあったのに、それをすることのなかったことへの後悔」

落語協会の会長を柳家ばかりがやっていることへの反発で、将来の会長と仮想していた自分の目論見が霧散したことへの敗北感」

「惣領弟子の朝太さんが好きなので、彼を含めて4人の弟子が誰の門下になるのか、という心配」

まだ整理はつきそうもない。