批判は応援にはならない。批判でなく提言を。

批判は応援にはなりません。批判されないようにするだろうと期待して応援のつもりで批判する人がいますがこれは応援にはなりません。


批判された方は批判されないように態度や行動を改めたりはしません。反発します。
基本的に批判は相手の否定です。全否定でなく部分的な否定だとしても否定は否定です。自分を否定されれば大抵の人は反発します。この為ほとんどの人は批判を受け入れたりしません。批判されないようにするだろうとの期待は叶いません。


別の理由での反発もあります。批判が的外れなことに対しての反発です。当然のこととして批判は当人でない者が行います。その当人でない者は当人の考えを完全には把握してません。当人の置かれた状況も把握してません。傍からみてわかる程度のことを把握してるに過ぎません。そんな程度の把握で批判するのですから、当人でない者より当人(自身)の考えも置かれた状況も把握してる当人からは、考慮しなければならないものが抜け落てる的外れな批判にしか見えません。実際大抵は的外れです。じっくり相手と話してその言い分をしっかり聞いて、またわからないところは本人に聞いて、相手を十分理解してからでないと適切な批判など出来ません。適切な批判と言うのは凄く難しいのです。
また、批判されると様々な不都合が生じます。的外れでも出鱈目でも批判されるだけで様々な不都合が生じます。的外れな批判で不都合が生じるなんて堪りませんからそれは違うと言い返します。的外れな批判は考えや状況を理解してない証拠ですから自分をわかってない、わかってくれてないという反発もします。そもそも的外れな批判は的外れなのですから正しくありません。正しくない的外れな批判を受け入れないのは当然です。批判されないようにするだろうとの期待は叶いません。


批判されると様々な不都合が生じます。的外れでも出鱈目でも批判されるだけで様々な不都合が生じます。
たとえ応援するつもりで、悪いところを直させようというつもりで批判したとしても、それが批判である為に批判されることに伴う不都合は生じます。その批判とは、批判を聞いた第三者が批判されてる当人をその批判で評価するという不都合です。ものが批判ですから信用低下を招きます。信用が低下すると人がいう事を聞いてくれなくなるとかまともに相手をしてくれなくなるとか、疑いの眼差しでみるようになるとか。信用が大事とされる仕事に就いていればその仕事が続けられなくなったりもします。的外れでも出鱈目でも、応援するつもりでの批判でもこのようなことになるのです。批判は応援にはなりません。




批判で出来ることは何かをさせないことです。やらないように足を引っ張ることだけです。信用を低下させることで行動を制限することが出来ますから行動を抑えることは出来ます。ですので行動を抑えることに関しては批判は有効です。しかし何かをやらせることは出来ません。批判とはそういうものです。
信用低下を招く批判を脅しに使うなら別ですが、これは言う事を聞かないと潰すというものですから言うとおりにしない場合は潰します。潰すことまで考えての批判は応援のつもりでの批判とはまったく違うものですので除いて話をしてます。



批判は応援にはなりません。でも「悪いところがあってそこを直して欲しい、期待してるからこそそこを直して欲しい」ということはあるでしょう。批判がいけないのならそれをどう表現すればいいのか? 批判せずにどうやってそれを伝えればいいのか? そういう反論があると思います。そういったものは提言で行えばいいのです。「そのやり方では駄目だ」と言いたいのであれば「こうした方がいい」と言えばいいのです。「ここが弱い」であれば「ここをもっと強化すればいい」、「これこれが不足してる」なら「これこれをもっとやるとよい」等々。言ってる側が伝えたい内容としては同じです。言い方の違いでしかありません。それでも前者は批判で後者は提言です。前者は相手を否定する批判で、後者は相手を認めた上でのより良くを求めての提言です。前者の批判だと言われた方は否定されてると感じます。第三者は批判されてる人をそういう欠点を持った人だと受け止めます。後者の提言だと期待されてると感じます。第三者はそのような期待を向けられてる人なんだと受け止めます。内容としては同じですが、まったく違って受け止められるのです。提言であれば批判されることに伴う信用低下もありません。また提言であれば的外れでも問題は起きません。的外れなら取り入れなければいいだけですから。的外れでも期待してることは伝わりますし。
応援するつもりであれば批判でなく提言を。言い方を考えて提言となるような言い方を。応援する相手に活躍してもらう為に。


批判は批判の対象となってる人を応援してる別の人の反発をも招きます。応援のつもりでの批判であっても同じで、別の応援してる人の反発を招きます。これが応援してる者同士の言い争いを招き、分裂と対立を招きます。応援してる者同士の潰し合いになるわけです。この意味でも応援にはなりません。





応援するつもりでの批判が応援になることはありません。
応援のつもりであっても批判では相手を潰します。
批判は否定すべき者を抑え込む為にするものです。
応援としてやるものではありません。
応援するのであれば批判はしてはいけません。
提言によって行わねばなりません。




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「批判精神」という言葉こそ使ってませんがこのエントリーは批判精神の否定です。批判されないようにするだろうと期待して批判するのが批判精神の考え方です。批判されないように態度を改めるだろうというのが批判精神の考え方です。このエントリーはこれを否定するものです。批判精神による批判を期待する者に向けて行うとその期待する者を潰してしまいます。期待が高ければ高いほど激しく、細かいところまで見落とすことなく批判をし続けて結局は潰します。そうして期待する者を次々潰していくことになります。ドツボです。
「批判精神」とは希望を自ら潰す罠だと私は考えております。仲間同士の潰し合いを招き力の結集を妨げる罠だと考えてます。意図的に仕掛けられたものでなく結果的にそうなっただけだとは思いますが。