なんでトラスクは小さいのか〜『X-MEN:フューチャー&パスト』

 『X-MEN:フューチャー&パスト』を見た。

 あらすじはまあいろんなところで書かれているので簡単に書いておくだけでいいと思うのだが、これはタイトルからわかるように時系列バラバラ映画である。センチネルというAI搭載兵器にミュータント(及びかなりの数の人間)が殺戮されるようになってしまった未来、手を組んだマグニートー(エリック)とプロフェッサーX(チャールズ)のチームが、シャドウキャットの能力を使ってウルヴァリンの意識を過去(1970年代)に飛ばし、センチネル開発を止めさせるように画策する、というもの。1970年代のウルヴァリンの肉体に現在のウルヴァリンの意識だけを飛ばし、命を受けたウルヴァリンはエリック、チャールズ、レイヴンたちを探し出そうとする。


 実は前作『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を見た時、なんでマグニートーは私服はあんなにカッコいいのに勝負服はアレなのかとか(原作通りなのでしょうがないのだろうし、まあ私がスーツ・ファンダム寄りなので個人的好みがあるんだろうが)、女性の服の時代考証が良くないとか、いろいろ疑問はあったもののチャールズとエリックのカッコよさにすっかりやられてしまった(このシップはcherikと呼ばれている)…のだが、今作もケンカ別れしたチャールズとエリックを、縁結びをするのに適した細やかな心遣いとかは一切なさそうなウルヴァリン(前から思ってたけどウルヴァリンって「クズリ」なのにヘアスタイルがミミズクみたいだよね?)が仲立ちして結局あんまりうまくいかなくて…みたいなところでちょっと笑いつつ、政治的テーマもふんだんに含まれていて面白く見た。

 センチネルは明らかにドローンその他の現代アメリカの兵器をもとにしており(あと、襲ってくるところの雰囲気とかちょっと『マトリックス リローデッド』のセンチネルに似てない?)、AIが人に危害を加えるようになるんじゃないかという不安なんかもうまく表現していると思う。しかし、もっと細かいポイントだがこの映画でなんというか非常に現実を反映していてイヤだなぁ…と思ったのは、このセンチネルを開発しているトラスクがすごくちっちゃい、というかおそらく障害か病気が原因で身長が伸びないようになってしまった人であるということである(この人、原作ではどういう設定なんだろう?)。身体障害があるのに優れた能力を持っているトラスクは、本来なら「普通と違う」ミュータントたちと似た要素のある人間と言えるのだが、自分の障害とか全部棚上げにして「マトモな自分とヘンなミュータントは違うのだ」と切り分けて、ミュータントだけを襲うセンチネルを開発しているらしいのである(センチネルがやがて自分みたいな「普通と違う」人間を襲うようになるかも、とかは全然考えてないっぽい)。終盤のほうで「実はミュータントにすごく心引かれている」と告白をするところがあって、これはおそらくトラスクがミュータントと自分の共通性に少しは気付いていて意識的に切り分けを行っていることを暗示しているのだろうが、この場面は一見したところからは想像もつかないくらい不気味だと思った。そして現実にも、自分がマイノリティであるにもかかわらず他のマイノリティを「あれとは違う」と切り分けてバカにし、「名誉マジョリティ」みたいなフリをして体制に取り入り、利益を得ようとする人というのはたくさんいるのであって、この映画はそういうところも諷刺しているのではないかと思った。これ、ひょっとして現代のアメリカ政治にモデルがいたりするのか?

 そう考えるとこの映画に出てくるミュータントたちというのは、マイノリティ同士であることをすごく大きい視野で認識していて、そこはかなり面白いところなのかもと思う。前作では、エリックが磁気を操る力を、チャールズが心を操る力を見せたら羽を持っているエンジェルが二人を信用するようになる、という場面があった。今作でもウルヴァリンが「お前と同じだから」みたいなことを言って爪を出したらクイックシルヴァー(とにかく動くのと考えるのが速い)が説得されて計画に入ってくれる、みたいな場面があったが、指から爪を出す能力ととにかく速く動く能力ってかなり違うもので「いや自分はあの爪出し野郎とは違う!速く動くほうがスゴいもん!」とか差異化しはじめるヤツだっていそうなもんだが、この映画のミュータントたちというのはなぜかそういう振る舞いはしないのである。そのあたり、トラスクとミュータントたちの態度に描き分けがあって、気が利いてると思う。