キートンのように跳び、チャップリンのように恋する〜『バルフィ 人生に唄えば』(ネタバレあり)

 インド映画『バルフィ 人生に唄えば』を見てきた。

 舞台は1970年代のダージリン。主人公は耳が聞こえず、口がきけない青年バルフィ(ランビール・カプール)。バルフィはシュルティ(イリヤーナー・デクルーズ)に身ぶりだけで猛烈に求愛して相思相愛になるが、シュルティはバルフィを捨て、既に婚約していた他の男と結婚してしまう。シュルティと別れたすぐ後にバルフィの父が倒れてしまい、手術代を工面するためバルフィは幼馴染みで自閉症である富豪令嬢ジルミル(プリヤンカー・チョープラー)を誘拐してお金を手に入れようとする。いろいろすったもんだがあるのだが結局バルフィの父は手術が間に合わず亡くなってしまい、バルフィはジルミルを自宅に返す。ところが両親に愛されていないジルミルはバルフィを追って出てきてしまう。誘拐犯として追われているバルフィはジルミルを連れてコルカタに逃げ、そこで人妻になっているシュルティと再会するが、シュルティとよりを戻しそうなバルフィを見たジルミルは嫉妬でふらりと姿を消し、そのまま失踪してしまう。バルフィはジルミル誘拐犯として逮捕され、さらにジルミルは殺されたらしいということがわかる。バルフィはなんとか収監を免れ、シュルティは夫を捨てて傷心のバルフィと暮らすことにする。ところが時既に遅し、バルフィは結婚で自分を捨てたシュルティよりも自分を決して見捨てなかったジルミルのほうを愛していたのだと気づき、そのことにシュルティも気付いてしまう。最後の頼みの綱で二人はジルミルが元々住んでいた養護施設を訪問したところ、そこでジルミル殺しは財産目当てにジルミルの父親が行った狂言で、ジルミルは生きているということがわかる。ジルミルとバルフィは結婚し、天寿を全うする。


 予告からするとけっこうベタベタの話のように見えるが、実際はかなり本気で笑わせてくる、ロマンティックでしみじみするところもあるが基本的にはさわやかな恋愛喜劇である。波瀾万丈の筋立てに三角関係も絡めているが全くドロドロしていない。途中ちょっと中だるみして笑いが少なくなったり、またまたこれは実は時系列バラバラ映画なのだが時間の進み方にちょっと曖昧にされててよくわからないところがあったり(これは字幕のせいか、編集のせいなのかはちょっと不明)、いくつか欠点はあるのだが、それでも大変面白かった。


 まず、主演のランビール・カプールの、一切台詞を使わない演技がとても良い。手話がわからない相手にも完全に自分の思いを伝えることができ、周りの人を笑わせ続ける一方、優しい心と謎の生活力を持っているバルフィは恋愛映画の理想のヒーローなのだが、演技にとても人間味があり、コミカルなので全く型にはまった完璧男という印象は受けず、生き生きして見える。おそらくこれは脚本の時点でバルフィが型にはまった「天使のような障害者」キャラにならないよう気をつけているからでもあると思う。バルフィはロマンティックコメディのヒーローとしては完璧に近いのだが、ふだんはイタズラでご近所に迷惑をかけたり、家族のために銀行強盗や誘拐をやろうなどと思うあたり焦ると判断力がなくなるところもあったり、人間らしい欠点もちゃんとある。とはいえやはり演技でこういうキャラクターを表現するのは大変だと思うのだが、カプールは「話さない」ことを生かした縦横無尽な動きでバルフィを表現していて、今どきこんなにサイレント喜劇映画のスターみたいな演技ができる役者さんがいたのかとびっくりした。飛び跳ねる様子はバスター・キートンみたいだし、恋をする様子はチャーリー・チャップリンみたいだ。


 女優2人もすごく存在感がある。プリヤンカー・チョープラーが自閉症のジルミルを可愛らしく、かつリアルに演じている一方、絵に描いたような美女シュルティを演じるイリヤーナー・デクルーズもとても良かった。とくに最後、ジルミルとバルフィの愛を見て、「何度もチャンスはあったのにバルフィと逃げなかったから、もうバルフィとよりを戻すには遅すぎるのだ」と気付いて身を引くシュルティの大人な選択は作品全体を引き締めており、デクルーズはこのあたりの微妙な女心の変化をかなりリアルに演技していると思った。


 いくつか疑問点をあげておくと、全体的に『アメリ』とか『雨に唄えば』とか、過去の映画に相当あからさまなオマージュを捧げている場面も多く、そこが鼻につく人もいるかもなーという気がした。あと時系列の問題で、物語は「1972年」「1978年」「現在」の三つの時系列を乱して語られてるのだが、ちょっと混乱があると思う。「1972年」にバルフィとシュルティが出会う→ジルミルが施設から屋敷に戻ってくる→バルフィとシュルティが別れる→そのすぐあとにバルフィのお父さんが危篤になってバルフィがジルミルを誘拐しようとする(ジルミルを以前、引き取っていた施設の院長の台詞で「施設を出てから15日くらいしかたっていないのに誘拐事件ですか?」というような台詞がある)→バルフィとジルミル逃亡 という事件が起こっていると思うのだが、そのあと警察署長が「半年くらい手がかりがなかったが、また脅迫状が送られてきてコルカタのシュルティがジルミルの捜索願を出したので捜査が再開」というようなことを説明する台詞があり、これだけ見ると1973年くらいにジルミルの再失踪事件が起こったみたいに見えるんだけど、映画の時系列ではジルミル再失踪はシュルティの結婚6年目に起こったことになっているのでちょっと見た目の時系列が混乱している。これは院長の台詞か警察署長の台詞か、どちらかがちょっとヘンなのではないかと思うのだが、もともとの台詞あるいは編集がおかしいのか、翻訳の問題なのかはちょっとよくわからない。なんかうちが見逃した字幕とかありました?あったらコメント欄でご指摘を…