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2015-02-04

ホンモノの『フットルース』+ビターな『静かなる男』〜『ジミー、野を駆ける伝説』(ネタバレあり)

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 ケン・ローチの新作『ジミー、野を駆ける伝説』を見てきた。実話をもとにした歴史ものである。あまり知られていない史実を脚色しつつ、アイルランドの美しい風景の中で撮っており、とてもよくできた映画だった。

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 舞台1932年アイルランドリートリムのド田舎社会主義者で、迫害から逃れてしばらくアメリカに逃げていたジミー・グラルトンが年取った母の家に戻ってくる。静かに暮らすつもりだったジミーだが、昔運営していた教育ダンス用の公共ホールを再建してくれと若者たちに頼まれ、かつての恋人で今は人妻であるウーナをはじめとする思想をともにする者たちとホールを再建する。しかしながら、ダンス教育提供しているだけなのにカトリック教会のシェリダン神父極右(アイルランドでは「黒シャツ」じゃなく「青シャツである)の連中から激しい抗議を受け、ジミーはアイルランド人であるにも関わらず国外退去処分にさせられる。

 …で、これ、あらすじを見るとわかるように話ははっきり言って『フットルース』+『静かなる男である。ところが、基本的ファンタジーで非常にロマンティックであるこの二作に要素としてはそっくりなのに、『ジミー、野を駆ける伝説』は全然質感が違うし、圧倒的にリアルだ。『フットルース』を見ていると「ロックダンスが禁止されている田舎町」なんて非現実的な設定だと思いつつも引き込まれてしまうところがあるが、『ジミー』では本当にカトリック教会極右がいかにも田舎特有のいやらしいコネなど使いながら本気でダンス社会教育をつぶしにかかってくるところが非常にリアルに描かれる(実際にアイルランドカトリック勢力というのが極めて保守的なところがあり、この後もしばしば芸術分野では芸術家に不当な圧力をかけたりしている)。『ジミー』を見ていると、『フットルース』のレンって本当にいたんだな…と思ってしまう。またまたアメリカから成功した男が戻ってきてアイルランド田舎の村が沸き立つという最初のところは『静かなる男』にそっくりだが(『静かなる男』のショーンはアイルランド人じゃなくアイルランド系アメリカ人だが)、どういうわけだかカトリックプロテスタントが村の平和のために協力する『静かなる男』がある意味ものすごいファンタジーである一方、『ジミー』の終わり方はほろ苦いし、またいつの時代にも権力を持つ者が権力を持たない者を抑圧するのだということを強く批判している。『ジミー』はむちゃくちゃロマンティックな古典的映画二本を下敷きにしていると思われるのに、ものすごくビターで現実に密着した映画になっていると思う(『ジミー』は別に予習しなくても面白い映画だと思うが、見る前にこの二本を見ていくと数倍、楽しめるのでは?)。

 前作の『天使の分け前』と『ジミー』に共通するケン・ローチのコンセプトとして、酒を飲むとかダンスをするとかいうような、一見全然啓蒙」と関係ないように見えるプロセスの中にこそ、若者自分発見し、庶民が知識と力を得る可能性があるという主張が見えてくるように思う。シェリダン神父が「啓蒙は足から頭にのびていく」とダンスホール批判するが、ジミーのホールではアイルランド音楽や踊りと一緒にジャズなども教えており、つまりホールカリキュラム地域主義的でありかつコスモポリタンであるワーキングクラスを育てるようなものである。実際はアイルランド人としての文化を取り戻す試みをも含んでいるホール教育内容に対して、教会ナショナリスト的な演説をしてダンスホール糾弾するシェリダンの主張は全く筋が通っていないように見えるのだが、まあこれは完全に地域に閉じこもるか、それとも地域に密着しつつ国際社会に開かれるか(←このヴィジョン社会主義的なものと言えるのかもしれない)、という視点の対立なのだろうと思う。また、これも『天使の分け前』と『ジミー』両方で示されているヴィジョンとして、教育はつらいのではなく楽しいものであるべきだという点があると思う。『ジミー』でカトリック提供しているような教えは反快楽であるわけだが、ホール提供している教育楽しいものだし、また『天使の分け前』のウィスキー教育も楽しさに主眼がある。『天使の分け前』も『ジミー』も、あくまでも楽しく、生活に密着していて、地域に根ざしつつ国際社会にまで開かれ、労働者階級の抵抗の手段として有益ものとして教育を位置づけているわけだが、こういうふうに臆面も無く「啓蒙」を称賛できるケン・ローチはやっぱり信頼できるガチ左翼だと思った。『ジミー』は『天使の分け前』ほど明るい終わり方ではないが、それでも教育の可能性を暗示する終わり方になっているのは、やはりつぶされてもつぶされても知による抵抗が必要なんだというメッセージなんだろう。


 ちなみに、時代考証についてはちょっといくつか疑問も…全体的に、着ている服のデザインがちょっと新しいし、さらに状況を考えると服はもっとよれよれになっているべきでは?あと、字幕ジェームズ・コノリーの著作の日本語タイトルが「労働」と「労働者」をごっちゃにしてた気がする(ジェームズ・コノリーとパトリック・ピアースイースター蜂起を主導したナショナリストで、ピアース・コノリーホールという名前はそこから来ており、ホール写真も飾ってあった)。

追記:この映画はベクデルテストパスしないと思う。登場人物女性は出てきて重要役割を果たすのだが、女性同士で会話をする場面はなく、男性をまじえた集団で話していたりすることが多い。

 

cabcab 2015/02/24 23:59 まさにこの時期の農村復興運動について扱っただけに、たいへん興奮して観ました。

僕が扱ったのはティパレーリ(Tipperary)というところの運動で、これは神父が率いたものだったので性質が異なるのですが、この神父さんはどちらかというと権力を盾に上から押しつけた、というのではなくてかなり独自路線で草の根で運動を行い、徐々に上位の聖職者に許可を取り付ける、という形で活動を進めていったので些か異色ではありました。
きわめて雑に言うとジミーとシェリダン神父とを足して2で割ったような・・・

もちろん神父だったので、「ジャズ」と称され当時では眉をひそめられるような音楽、ダンスは、少なくとも積極的には認めていなかったと思いますが、彼らの運動に対する不満などがあったとしても、それらはなかなか史料から掬い出すのは難しかったです。

それはさておき、本当に美しい作品でしたね。アイルランドってこんなに美しかったっけ?って失礼ながら思ってしまいました。

時代考証には僕も少し疑問が残りました。
1932〜34年の話のはずが、なんかイェイツがすでに故人であるかのように語っている場面があったような・・・きちんと確認できていはいないのですが、イェイツが亡くなるのは1939年ですし、おまけに悲しい哉この頃には青シャツ団の活動に希望を見出し青シャツ団のために歌詞まで提供していた始末(後にすぐに興味を失いますが、思想を正しく見抜いたためか単に青シャツ団が脆弱な勢力だったためかは分かりません)。
何かとアイルランドの代表的詩人としてちょこっと言及されることの多いイェイツではありますが、アイルランドのナショナリズムとの関係はかなり独特であるゆえ、そもそも安易に引っ張り出してくる名ではない感じはします(『ミリオンダラー・ベイビー』の時にも感じたのですが)。

saebousaebou 2015/02/25 00:34  たしかに映像は本当にきれいでしたね!一見何の変哲も無い風景でも魅力がありましたし、ダンスや歌声が重なるとさらに美しく見えました。

 神父様の啓蒙活動というのも面白そうですね。神父ではなくても、敬虔なクリスチャンの社会主義者とかもいないわけではないですし。

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