野心的だが、話のつながりが悪い〜鮭スペアレ『ロミオとヂュリエット』

 横浜の黄金町エリアマネジメントセンターで鮭スペアレ『ロミオとヂュリエット』を見てきた。板張りの屋根裏みたいな部屋に布をつり下げただけのセットで、翻訳は坪内逍遥版を使用、屋根部分に生演奏の楽器を配置し、台詞は歌に近くしつつ、歌い手を踊り手を分けてひとつの役を何人かで解体しながら演じるというスタイルの上演である。野心的だとは思うし面白いところもあったのだが、コンセプトとして無理があるところや、また個人的な好みとしてちょっとそこまで興味が持てないところもあった。

 坪内逍遙版のシェイクスピア上演というのは私は初めて見たのだが、たしかに格調高く、歌舞劇にするにはぴったりのものである。意外とわかりやすくリズミカルでもあるので、坪内版を使用するこの試みは高く評価できる。また、オールフィメールのシェイクスピアロミオとジュリエットはかなりクセのある役者をキャスティングしているというところは、若者同士の純粋な恋というステレオタイプを崩すもので、まるでレズビアンの恋愛みたいなちょっとクィアな感じでそこは大変面白かった。

 しかしながら65分に短くして上演するというのはちょっとどうかと思った。とりあえずカットの仕方があまりよくなく、バルサザーがロミオにジュリエットの(誤った)訃報を伝える場面が舞台で上演されないので、ロミオがジュリエットの死をどうやって知り、どのようにショックを受けたのかがよくわからず、そこがかなり劇的効果を殺いでいる。この間の『完熟リチャード三世』もいくぶんはそういうところがあったが、カットしまくって短くするとシェイクスピア作品はすごくダイジェストっぽくなるし、また話の流れも悪くなる。芝居が長いのにはそれなりの理由があるのだ。

 あと、私は以前に観た宮城聰版『ハムレット』とか地点とかクナウカ系のシェイクスピア上演がかなり苦手なのだが、この上演はどちらかというとそういう系統である。私は基本的にシェイクスピアをやる時は台詞と動作の一致が大事だと思っているので、歌と踊りを分けたりするような上演にあんまり魅力を感じておらず、そこでちょっと面白みが少ないと思ったところはあった。ただ、この上演はロミオとジュリエットについては役者に台詞を言わせていて、若い2人の肉体を強調する方向になっているので、そこはそんなに気にならずに見ることができた。