趣味が効かない、現代的な学園映画〜『スウィート17モンスター』における何にも夢中になれないヒロイン

 『スウィート17モンスター』を見てきた。

 高校で友達がおらず、はぐれ者のネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)は親友のクリスタ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)だけが頼りだったが、クリスタが大嫌いなイケメンの兄ダリアン(ブレイク・ジェナー)と付き合いはじめてしまう。一方でアーティスティックなクラスメイトのアーウィン(ヘイデン・ゼトー)が近づいてくるが、ネイディーンはイケメンのニックに夢中で…

 全体的にはオフビートで面白い青春もので、脚本がとてもよくでてきている。若手もベテランも演技が上手く、キャラクターにもよくあっている。会話が巧みで、ベクデル・テストもパスする(ネイディーンとクリスタが毛虫について話すところでパス)。個人的には韓国系アメリカ人のアーウィンが、アートハウスかつ感じの良い青年でネイディーンに夢中になるところが良かった。そもそもアジア系がこういう良い役をもらえることはあまり多くないと思うのだが、ネイディーンがアーウィンをチャイニーズと間違えてステレオタイプな発言をした後「ゴメン、私差別発言した?」とかドキっとして謝るところとかも微笑ましく可笑しい。ちなみにアーウィン役のヘイデン・ゼトー、30過ぎらしい…びっくりだ。

 一方でとにかくキツいと思ったのが、これは『グリー』以降の、2000年代くらいまでは確実にあった趣味によるスクールカーストが崩壊した後の青春モノ、コミュニケーション能力だけでスクールカーストができる時代の話だということである。2001年の『ゴーストワールド』でははぐれ者のヒロイン、イーニドには芸術的なセンスがあったし、2004年の『ナポレオン・ダイナマイト』でもナポレオンには意外な才能があった。学校ではぐれ者であるということには何か一般受けしないがセンスがいいとか、芸術に打ち込んでいるとか、そういう意味を持たせることができた。しかしながら『21ジャンプストリート』でシュミットとジェンコが言っていたように、『グリー』以降の学園映画の世界観では芸術的なセンスがあったり、オタクな趣味のある生徒でも感じが良ければ学校で尊敬され、好かれるようになり得る。趣味による階層分化が既に効かなくなってきて、コミュニケーション能力の有無だけで尊敬されるかされないかが決まるようになる。

 これは一見、趣味のせいでいじめられなくなったように見えるのでいい世界にも見えるが、逃げ道がない分、より厳しいとも言える。『スウィート17モンスター』は完全にそういう世界観で作られた映画で、この映画の中で何か熱心に打ち込めることを持っている若者は絵画やアニメを作るのが好きなアーウィンだけである。それでいてアーウィンはけっこう友達もいるようだし、ヒロインのネイディーンよりもはるかに学校生活に適応している。ヒロインの兄貴であるハンサムなダリアンはスポーツも勉強もちゃんとやっているようで学校では人気者なのだが、全くスクールカーストの壁などを気にせずクリスタと付き合いはじめて、彼氏ができてちょっと明るくなったクリスタをダリアンの仲間たちもすぐに受け入れる。人付き合いさえできれば高校で楽しく生きていけるようになったのである。

 そんな中、ネイディーンは人付き合いはできないし、一方でちょっと映画や音楽が好きとかいう趣味の違いはあるものの、夢中で打ち込めるというほどではないので、「自分は他の子と違うセンスだから友達ができないんだ」みたいな自己正当化ができない(途中でブルーナー先生に対してそれをやろうとしているが、全然うまくいってない)。これでネイディーンが楽器をやってたり、ものを書いていたり、美術をやっていたり、ベディ・デイヴィスやジェームズ・ディーンの台詞を暗記するくらいの映画オタクだったりしたら「人と違う」拠り所があるのだが、ネイディーンはそういう子でもない。ネイディーンはコミュニケーション能力が無いから友達がいないだけで、そういう現実を日々、突きつけられているのである。夢中になれるものがないので、つらい時でもそれに逃げられない。この現実は相当にツラいし、厳しいと思う。